毎日,一体自分は何をしているのか.
もう,3日前のことも忘れてしまう.
私生活も仕事も全部忘れてしまう.
毎日毎日,雑用しかないような印象を受ける.
思い出して書いてみた.
3月1日(金)
スライド作り.2月末に急患,手術がなくてほんとに良かった.
3月2,3日(土日)
研究会で東京.2(土)の朝,飛行機でまず,朝はの中から空港へ.
空港から東京羽田へ.あとは都会内での移動と研究会.
ノート型PCが無くなっていたので大変.かしてくれた先生には感謝.
これは別記事に.
4(月)
昼にHCUを出た患者さんが夜に急変,当直の大学からの医師がCPR,挿管,レスピレーター使用と段取りをしてくれた.この日は自宅(岡山市)に23時に電話がかかってきた.
何が原因かは日記と別部門の記事に.
5(火曜日)朝から,昨日の急変したヒトを見て,家族に説明.
水木の記憶はない.木曜日も帰ったはず.急変したヒトが木曜日の午前中に永眠.
8(金)は昼から代休をもらって,15時から3ヶ月ぶりに散髪に行った.
あまりに行けなかったので,キャンセル待ちが出たので行ってきた.
予約もいつも,1か月待ちなのでなかなかいけない.
髪はボサボサでした.3月から,今の病院に入った新職員がペットショップに勤めていたらしく,その人にトリミングしてもらったらと言われたが.
「先生ならおとなしくているから,やりやすいのでないの?」と言われたが.
イヌの髪型とはまたやり方が違うと思う.
バウバウといいながらじっとはしていられるとは思う.
散髪も済んで,そのまま帰宅.
春休みに帰って来た息子に,鈴木雅之がアニソンを歌っていると聞かされた.
自分が自宅(岡山市)にプレゼントとして設置したBluetoothのスピーカーで聞いてみた.アニソンというよりはラブソングのアップテンポ版で,今年の紅白はおそらくこれであろうと直感.自分もどこかで歌わないといけなくなりそうな予感.
9(土)は朝,自宅(岡山市)から病院へ.
外来,日直,その後は22時まで副当直.
救急車は連絡があったが,なんと言っても満床だったので無理なものは無理であった.
22時すぎに帰宅.平日別荘(アパートの別称)に帰って,鈴木雅之の「ラブドラマチック」をダウンロードした.夜は,それを聞きながら休憩.
10(日)は,朝は休憩,疲れていた.昼過ぎにゆっくり入浴,16時半には平日別荘(アパートの別称)をでて,17時半から当直.朝まで病院.
以前とくらべて,「どこでも寝られる」というのは無くなった.
なんか月曜日の朝は,身体がだるい.
11(月)は,夕方は久しぶりのバドミントンであった.試合をやりまくりました.
久しぶりで楽しかった.何も考えずに一生懸命身体を動かすのは大事.
年度末の大バーゲンというかなんというか,新しいシャトルをドンドン出した.
ぼろになったのは捨てていっています.自分はシャトル供給かかりなので.
この時,以前撮ったバドミントンの写真をほしいと頼まれた.皆で見るだけなのか,勧誘かなにかに使うのかも.
12日(火曜日)は救急で来た慢性硬膜下血腫を,研修医の先生と一緒にした.
夜は医師会の年に3回ある春の宴会があった.
昔ながらの「割烹旅館」である,「おかもと」と言う旅館の広間で毎回行われる.
昔ながらというのは,平成ではなく昭和初期の風情を残した場所である.
ひょっとしたら,大正時代にはすでにあって,昭和に立て直したのかも.
その医師会の飲み会? 懇親会?
何のための会なのか,すでに自分には趣旨も何もかもわからないが,
すでに141回目のような.料理は別記事に.
最初は,自分は顔を覚えてもらうように頻回に出席していた.
前回から今回にかけて,ようやくベテラン開業医の先生の顔と名前が一致しだした.
なんか,自分も「ベテラン」扱いされているのがわかる.
この時も,「・・・・・」
早くしないといけないことがあると考えていた.
料理はたくさん写真を撮った.また別記事に.
3月13日(水)春になったので歩いて出勤.歩いても1.1 kmしかないので,
あっという間に到着.半年ぶりぐらい.外来.
この時3月末にやめる医局秘書のヒトが,自分の宴会芸の手品をまだ見たことがないとのことに気がついたので,再確認.
それなら,「自分が練習していた新ネタを見せてあげよう」と軽口をたたいてしまった.
自分が「今までしていなかったことをするのが人生」というモットーなので,
自分の持ちネタの手品以外の練習もしないと行けなくなって,
またストレスを背負い込んでしまった.
こんなことでもしないと,別の手品を練習することはないけれど.
3月14日(木)この日は,健診で,採血, 検尿,胸写,心電図,視力,聴力検査.
結果は少し良いような.別にもともと悪くもない.
視力も眼鏡なしで右が0.8, 左が1.5でした.
自分は「モノビジョン」と呼ばれる視力で,近くは右目で遠くは左目でみている.
車の運転は左目が中心.手術の時は右目が中心という感じ.
聴力は,右側が4000 Hzで少し落ちていたので,タイミングをはかってここだと言うときに押してみたら,うまくいって?聴力低下は無いとのことであった.
この日にあわせて22時以降は一切,食べ物を口にしなくなった.
これは良い習慣と気がついて,ずっとその後も実行.
夕方18時まで仕事して,手品の練習道具を車に乗せて75 kmはなれた自宅(岡山市)に持って帰った.頼まれていたバスバド(月に2回体育館でやっているバスケットとバドミントン)のやっているときの写真をリハビリから来ている人にメールで送った.写真をとるということに関しては,「夜の体育館は暗い.しかも動きが速い.」ということでなかなか課題が多い.以前,研修医募集のためにリクレーションなどもあることを示すために,頼まれて撮ったのがある.シャッタースピードを上げたらおそらく,光量が足らないであろう.
また設定を考えて撮ってみよう.
というか,過ぎてしまったので簡単に記載しているが,写真自体を選んで画像処理して,きれいに作り, メールで送る作業は2時間かかった.
結局,手品の練習は出来ず.重い手品道具を車からおろして部屋にあげて,またおろして車に載せるという作業でおわった.
「しないと後悔するが,していないこと」も全く進まず.
3月15日(金)の昼には,ふるさと納税で購入したVAIOが病院に届いた.1月5日にふるさと納税で払ったものが安曇野市から到着.3月下旬の予定であったが早かった.
おそらくあれもこれも設定して使えるようになって,自分としてはBluetoothにつないで,そのノートPCのデビューは3月26日になるであろう.
3月15日(金)の夜は,4名のための送別会.医師3名と助手さん1名が退職.
3月は別れの季節.送別会が一杯.
個人的には,忘年会の幹事役の看護師さんと今春結婚して移動していくその看護助手さんの無理強いのおかげで,皆の中にはいれたと解釈している.
10月に新しい病院に来て,12月はじめの忘年会で「なにか芸が出来ますか?」といわれて,「手品ができる」と答えた.
この時は,3個の手品を見せた.
アルコールが入ると,全く手が動かないので,
最初の15分でやらせてもらった.それがすむまで,自分は飲めない.
ということで,自分は「手品が出来るヒト」との認識で,仲間に入れてもらった印象.
来てからすぐは手術もあまりなかったので「脳外科部長」ではなく,先に「宴会部長」として認知された.めでたし,めでたし.
なんか,今となっては,もうすでに「良い思い出」になっています.
その人達の無理強いのおかげで,自分は手品がもう一つ二つできるようになった.
次の年.2017年12月の忘年会も新ネタも含めて出せた.
2018年和歌山への病院旅行でも無事にできたのは,きっかけとなる最初の忘年会のおかげです.時間がないところ,練習も大変であったは事実.
そのヒト自体がいなくなるので,自分は出席する義務があると思っていた.
外来主催の送別会.自分はカメラ係りとして出席.
「平成最後の王様ゲーム」とのことであった.
自分には全く縁がなかった.合コンで行われていたもの.今もあるのか知らない.
自分は合コンは行ってもおもしろくなかったので,ほぼ学生時代も行かなかった.
時間があれば,フライフィッシングに行ったほうが楽しかった.
学生にはフライの道具は高価だったので,そちらにお金を使った.
また学生の頃から,全く関係のないヒトのために自分の話芸?,持ちネタを披露する義務はないと思っていた.めんどくさい.
実は人生で初めて王様ゲームというものを見た.一般の宴会でもあるのね.
カメラで写真を300枚ぐらい撮った.
連射が効くのはよいが,後が大変.
3月16(土曜日)は,朝は歩いて出勤.歩くと体調は良い.
実際は,前日の送別会の疲れが残っていて,へろへろになって仕事.
新患の入院と別の科に入院していた家族に説明.
その後は,平日別荘(アパートの別称)に帰って,
宴会の写真を厳選して100枚ぐらいにして少し編集してDVDに焼いた.
その作業は,全部で4時間かかった.
自分なりに,恩に報いた感じ.
これは3月18日(月)に関係各位に配って,おそらく自分のdutyは終了.
鈴木雅之の歌をずっと聞きながら,そして手品のDVDを流しながらの作業でした.
頭が混乱しそう.仕事の時の言い訳にも使っているが,
「能力は3倍でも身体は一つ」がオアゾビ,私生活でもでている感じ.