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2022年10月後半、日々の記録

10月16日()遅ればせながら白賀渓谷へ。14時には終了。なんと、サカナも毛針になれてしまって、前日、入れ食いだったフライを見に来ては、元に戻る。後ろにすべってこけてさらにもう一段すべって、最後には頭から水につかってびっくりした。本流では無いほうにこけたので、水深は10cm程度だったので死ぬようなことはなかったが驚いた。シューズのフェルト底にスパイクのようにねじを打ち込んでいるが、石の上ではそれはすべる。道を歩くときはフェルトの目減りを軽減するので一長一短だが、どうせ3年しか持たないでボロボロになるので、あまり工夫しても仕方がないかも。わかったことは、ウェイディングシューズがぼろぼろになるということは、それだけ靴、要は足に当たっているということ。足をカバーしてくれているということであろう。そのおかげで足の怪我も無くフライアングリングができていると言うことなので、ありがたいことと納得した。来年用に新しいシューズも購入した。

10月17日(月)朝から日曜日に入院したヒトの段取り。説明。14時から手術。問題なく終了。その分、脳ドックの説明はできず。17時半から勉強会。19時からバドミントン。6名しかきていないが、自分としては最近はyou tubeでいろいろ試合、サーブの仕方などたくさん見れるのでおもしろい。自分の若い頃は全くそのようなものはなかった。回転かけるショートサーブやトリックショットは見ていておもしろい。実際は、力任せになんとかコースを打ち分けして、前後に振られるとおしまいというパターンだが、下手なりに身体が動かせて楽しいのでそれで良い。シャトルも自分が10本まとめて購入しているが、コロナのおかげでこの2年間はできなかったでの減っていない。そろそろ購入しよう。

10月18日(火)、この日も大量の雑用。その後、22時まで当直。紹介患者の返事を書いたり一日中、仕事。(日)、(月)の身体を動かした後の22時までの仕事は、なんか身体に堪える感じ。年を取ったと実感。

10月19日(水)
高知県の物部川の冬期特別採捕券は、申し込みの締め切りが9月13日だったので、電話で聞いてみたら、もうだめでした。

10月20日(木)夕方,他院からややユニークな相談.要はアクティブな慢性硬膜下血腫の患者さんとのこと.最近の感じること.60才台で脳梗塞になって,再発予防で抗血小板剤を飲むために自分で通院して来ている人が多い.その人達が80代半ばになると,「もう良いかな」という感じで通院してこなくなる.それまでは自分で車を運転してきていたりもしているヒトが認知機能も低下し,車の免許も返納.高齢の妻と二人暮らしと言うパターンが非常に多い.なかには「先生が,もう飲まなくても良いといった」などと家族に説明している患者さんもいるが,それは事実と異なる.80才台過ぎからが実際は大事なのだが,医療保険から介護保険に変わるところぐらいか.その後,病院には来なくなる.認知症にもなって薬も飲まなくなる.その人達が1年か2年ぶりに,介護保険が必要になり他院に相談とか行くと,評価のためにMRIを撮る.そうすると,こちらに相談となる.その患者さんは当院では2年前までのMRIがあり,比較すると慢性硬膜下血腫になっていたりする.本人に説明しても全く要領をえない.認知症は大抵,かなり進行していることが多い.その日のうちに手術をしようとしたが,連れてきた人達と同居している人達とは異なる.そんなこんなで,後日の入院,段取りをした.2007年ぐらいからの通院の方なので,以前から働いていた先生で今は非常勤になった先生の外来に来ていた方である.当たり前だが自分は6年前からなので,それ以前の方は自分は一度も診ていない.85才前後で認知症になって,自分ひとりで病院にこれなくなって,それを周りも気にしないぐらいの状況になる.そこで,なんとなくおかしいのではないかと,今までなるべく見ないようにしていた遠くの息子,娘が「介護が必要かも」と病院に連れて行くパターンが大半である.自分の父,母がこんなになるとは思いたく無いのは自然な気持ち.それで,あたかも「病院がちゃんとしていないから認知症になった」かのような口ぶりのご家族も時々経験する.

10月21日(金)午前中外来.13時半から手術.16時から薬の説明をPCで.忙しい.16時半にはtPA適応なのかどうかのヒトが来院してきて相談受けて,急いで17時には出発.自宅(岡山市)に18時半には自宅(岡山市)に戻って,その後タクシーを呼んでなんとか19時8分には「手術研究会?」の会場に到着,メインの講演は聴けた.楽しかった.帰りにお弁当をもらってタクシーで自宅(岡山市)へ.
自宅(岡山市)に帰ると,この前のふるさと納税で購入したノートPCの画面がうまくでていない.再設定で1時間ぐらいかけてwindows 11の画面もでて,無事,設定終了.速度はまずまず.一日中,用事の山だった.
10月22日(土)

10月23日()朝から日直副当直,9時前から最初の救急車で来たヒトが救急車内で37.4度とのことで,念のためID nowをしてみるとコロナ陽性,転倒して肩が痛いらしいが普通に動く.朝の1台目の救急でコロナ陽性患者さんが入院になると,スタッフ全体がコロナ体勢に変更になる.施設からだが全員個室らしく,コロナの内服薬を処方して施設に帰っていただいた.来院して2時間半経過して,そこの職員は,5日前に帰宅した職員が発熱してコロナだったと初めて,話をしてくれて,5日前,2日前と抗原検査をして,その方を含めて全員陰性だったらしい.翌日には「抗原検査」と「ID now」の違いをさらに知らされることになる.その後は,なんとか22時まで延々と働いた.

10月24日(月)14時から手術予定.そこへ13時38分に腰椎穿刺の依頼あり.急いで行った.頭痛と発熱で他院で抗原検査で(-)なので髄膜炎疑いとのこと.腰椎穿刺の結果は正常.入院のつもりで入院前にID nowの検査をしたら,陽性と判明.要はコロナだった.若いので薬を投薬して帰宅.自分は,合計3回目の濃厚接触者になった.そこで調べてもらったこと.
抗原検査はウィルスの蛋白に対する抗体検査なので,簡単に言うと,感受性は50-70%で10人コロナなら7人は陽性を示せる.3名は偽陰性なるとのこと.ID nowはアボット社のもので,常温でのPCR検査で感受性は95%とのこと,いわゆる本物のPCR検査は98%とのこと.要は,抗原検査では多くのコロナ患者がすり抜ける.陽性率が高くなるのは,感染4日目とのこと.症状の出始めは抗原検査ではマイナスになりやすい.
と言うことで,正式に2回目の濃厚接触者になり,今回は,翌日朝,その次の朝,抗原検査を出勤前の真庭ベースキャンプ(アパートの別称)で2回した.2回ともマイナスだったし仕事は普通にしていた.もう,コロナは人類の脅威ではなく,一つの疾患になった印象.インフルよりも死亡率は低い.
10月25日(火)朝からフライアングリング,雨が降って寒かった.今年最後の白賀渓谷。昼からは仕事.なんか,風邪をひいた印象.寒気がした.
10月26日(水)
10月27日(木)19時から20時半まで久し振りの外食.病院に帰ってきて土曜日の退院のヒトの紹介状をなんとか書いた.金曜日の退院のヒトの段取りもなんとかすました.23時には仕事が済んで真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に.疲れ切っている.
10月28日(金)外来やって脳ドックやって,副当直.17時前から延々と22時まで、間無く患者さんをみて働いた.入院もしてもらい23時には真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰り着いた.それから真庭ベースキャンプ(アパートの別称)の掃除.コロコロとクイックルワイパーと掃除機で久し振りに掃除をした.翌日の火災検知器?の検査でヒトが入ってくるので,足の踏み場も無いのでは困るだろうと掃除.風呂入って寝たのが2時ぐらい.もうヘロヘロ.
10月29日()朝8時45分に火災報知器?の検査に来て,3分で終了.その後に病院へ.とにかく用事の山.13時半には一旦,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って昼食.その後,さらに病院へ行き指示をだして,自宅(岡山市)にようやく帰れた.
10月30日()森のマルシェとか、Dean &Delucaなどが入っているモールに行ってみた。もともとはイトーヨーカ堂が有った場所.


駅前にイオンが出来て,赤字になって撤退した場所.

昼食は,昔懐かしのナポリタンが食べられるお店に行った.

10月31日(月)一日中,仕事.その後,19時半過ぎから「ソロ活男子」として,院庄の「えびす乃ゆ 院庄店」に行ってみた.まさに昭和レトロの銭湯,町のお風呂屋さんであった.すごいのは,洗面器というか湯桶が,昔懐かしの「ケロリン」の印であった.いわゆる「ケロリン桶」であった.歴史を調べると,前回の東京オリンピックの前年,1963年に桶が木から合成樹脂に切り替えられた時期に「ケロリン」の広告を湯桶にいれたらとのことであった.それが連綿と続いているということ.そこの湯桶自体は非常にきれいで最近のものとおもわれた.高速道路の料金が720円であった.23分かかった.入浴代金が650円だったので,帰りは下道を帰ってきて,29分かかったが無料なので,6分ぐらいの遅れはたいしたことない.夜遅くになったからであろう.その後,仕事をしようとしたら,なんか,新患が入院していて指示を書いた.なんか23時まで仕事になった.夜の予定の仕事は一切できなかった.

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