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2022年11月後半 日々の記録

11月16日(水)友引で、義母の段取りは進まず。

11月17日(木) お葬式で半日休み。11時まで働いて帰宅.葬式,火葬、初七日と全部すまして、帰宅。なんとかかんとか済ませれた。臨済宗の読経をはじめて聞いた。だいぶ違う。自分はお棺に最後に花を入れるときに、滅茶苦茶というか適当に皆が入れるので、それをきれいにレイアウトし直して顔のまわりに飾ってあげた。自分の家族以外だれもいない。そして、その2時間後には骨になることを自分は重々承知している。人間の形をした最後の姿の写真を残しておくことは大事なことと思い、スマホで写真を撮ってあげた。今後「お棺フォト」サービスはコンテンツとして出てくるのではないかと思う。父親の時に写真を残しておけば良かったと悔やんだ思いがある。自分が写真を撮ろうが撮るまいが、他の誰も気にしない。あるいは2日もすれば、そんなことは、出席した全員が忘れるだろう。一生の悔いの無いように生きるのがモットーな自分としては、悔いが残っている。
11月18日(金)忙しい。外来がたくさん。副当直で22時まで。その後、自分の用事をすました.
11月19日()外来、その後入院、日直、当直で22時までノンストップで働いた。これは外科の先生が子供さんからコロナを移されて、出勤できなくなったため、自分が二日続けて22時まで働いて、「それから自分の貯まっている仕事」をすますことになる。当直の時間に患者さんが来なければなんとかなるが、今回はだめだった。なんとか自分の仕事が済むのが連日23時45分ぐらいである。めまいが起きそうな感じ。そもそも,この土曜日は外来の予定日ではなかった.次週に学会があるため,代わりに外来を開けた.さらには16時頃からフライの仲間とのキャンプというか酒宴が山の家である予定だった.さらには自分の属する教室の教授が来春引退する最後の同門会もあったので,どっちにどれだけ出席してなどと悩んでいたが,コロナで「日直,副当直」をすると言う結果になった.

11月20日()疲れ切った.昼間に湯原温泉に入りに行った.そのときに前日のキャンプにでていたヒトが釣っていた.湯原温泉自然ます釣り場の範囲が昨年から拡大されたため,その範囲をみてきた.その後 風呂とサウナに入った。真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰ったが、疲れが出て仕事が全く出来なかった.
11月21日(月)とにかく連日,入院,退院,転院が多いので,休む暇がない.11月になれば,脳外科はシーズンインなので,毎年大変.また高齢者で整形外科、内科に入院しているヒトの不穏、不眠のコントロールの依頼も受けて、分析して処方。毎日毎日、気が休まる暇がない。何とか脳ドックの2名のデータも入れて23時半には病院をでた。

11月21日(月)何をしたか忘れた。
11月22日(火)とにかく忙しく、何をどれだけしたか忘れた。

11月23日()疲れ切って、一日中、真庭ベースキャンプ(アパートの別称)で引きこもり。my deadlienから1年4ヶ月になった。もう、やりきった印象。ワールドカップでドイツに勝って、もう、やりきったよと言うのとは違うが、自分の医師人生もやりきった。学会出張の準備を久しぶりにした。今回忘れたのは、bluetoothの充電用ケーブル。いっそのこと全部type Cにしてほしい。前のものはtype Cだったのに今のはtype Bで別に持って行かなければいけない。

11月24日(木)なんとか14時まで働いて,車で岡山駅へ.西口パーキングへ車を置いた.そして新幹線に乗った.自分の心づもりは新幹線の中で、救急学会のオンラインのセミナーを順番に聞いていくこと。それが、Shinkansen WiFiは、30分ごとにきれて、さらにトンネルで切れるので、3時間以上乗っていても、一つ1時間のセミナーを「連続して聞いていない」ことになって、終了にならなかった。苦労した。品川駅から降りて、ホテルまでの道を間違えて、google mapで似たようなホテルをいれていて、違うところについた。さらにホテルに着いて、JR品川駅から京急に乗ったら、隣の駅の横にホテルがあった。事前に調べないとだめ。40分も歩いて疲れ切った。なんとか救急のセミナーは1時間続けて流して、テストを受けて少しできた。全部で14時間、聞かないといけない。あと半分ぐらい。

11月25日(金)朝はタクシーで学会会場へ。7時半からセミナー。うとうとしながら、聞いた。ちょうど、会場のホテルのすぐ横のホテルが偶然あいていたので近くのホテルに変わった。昼に自分の患者が発熱と連絡あり、高齢者なので膀胱炎だろうと思い、抗生剤を依頼した。なんとかランチョンセミナーも聞いて、夕方は近くのホテルでさらに救急医学会の専門医用のほうのセミナーを聞いた。しかし、夕方、病院からの留守電があり、コールバックすると、なんと、昼の発熱患者がコロナと判明。困った。自分は濃厚接触になるか? マスク、アイシールドをしていると、一応はならないらしい。本当か?

11月26日()朝、7時半から8時50分までセミナー、その後、9時から11時まで問診の仕方の実践講習。その後、ランチョンセミナー聞いて、新幹線で帰ってきた。自分も学習したので、Shinkansen WiFiが30分で切れる前に、自分で救急セミナーを止めて、要は自分で止めて自分で再開するのは、通常の視聴と同じ扱いになるので、それを繰り返して2時間分は聞いて聴講は終了。岡山駅に帰ってきて驚いたこと。集団で旅行をしているグループが3個はすぐに見つかった。いわゆる団体旅行。先頭には旗をもったガイドさんがいる。行動制限がないというのはこういうことなのか。自宅(岡山市)には、念のため帰らず、岡山駅西口のパーキングから真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰り着いた。今回は、品川へ直行直帰だったので、パークアンドライドで、3日間までは駐車場料金が無料になる手続きをあらかじめ行っていたこと。駐車場料金が額面8000円とでて、計算すると1枚が3600円分になる。2枚入れて後800円と出て計算した。無事に無料で、2泊3日分駐車できた。「3日分無料」になるというもの。要は72時間分であろう。前回6000円も払ったので、今回はお勉強した。ヘロヘロ。しかし頭痛学会の点数は一回の学会で29点獲得した。5年で50点なのでこれは大きかった。

11月27日()朝11時に病院へ。抗原検査をして(-)だったので、病棟で貯まっている仕事を延延と行った。夕方には、なんと自分の患者さんが永眠。それにも対応。そのときに「何もしてやれなかった」とお嫁さんが泣いた。看護師さんが「洗濯などいろいろしてくれた」と慰めたが、内容が違うと思った。自分の違和感は、90歳近いヒトに「何もしてやれなかった」はおかしい。何かしてあげられるチャンスは1000日以上あったはず。自分は父親を伊勢エビを食べに遠出して食べにつれていったのが父の最後の遠出になったので、自分にできる範囲のことはしたと思っている。自分のモットーは「試験勉強は試験の前にするもの」なので、死ぬ時期が迫っていることは85歳以上になればわかりきっている。その間にしてあげることであろう。それはこちらの自己満足なのはわかっているが、多くの人が「温泉に連れて行ってあげたらよかった」などと亡くなった直後に言ったりするのがきわめて強い違和感があった。なくなる2年前なら温泉など何回も行けたであろう。それをせずに、死んだ直後にことばに出すのは、お為ごかしの自分へのいいわけであろう。多くの人がそうである。
脳ドックの結果も3名入力。サマリーも締め切りの近いヒトから3名済ました。真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って、救急専門医の更新の最後のセミナーを聞いて、なんとか14時間分、14点をゲットした。11月1日から30日までに聞かないと行けなかったので、無事終了して本当に良かった。ところで、さらなるセミナーを聞かないといけない。認知症学会のセミナーが日曜日の9時から火曜日の17時までに合計4.5時間聞かないといけない。なんとか救急のセミナーが聞き終わって、24時前から聞き始めて1時半には無事、3コマのうち、一コマ終了。ところが、真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰る前にワールドカップで日本対コスタリカ戦を、医局で短時間ながら一緒にみていた先生が、翌日の朝、抗原検査でコロナ陽性と判明。自分がその先生の発症直前の最後のコンタクトパーソンになっていたと判明。その先生は途中にマスクを外していたのを覚えていた。自分はマスクはしていたが、アイシールドはしていない。
11月28日(月) 朝一に、自分が濃厚接触者疑いで、外来の前に抗原検査してみた。(-)。その後10時から外来。自分の患者さんも日曜日に外出した後に発熱。月曜日も発熱。それで、IDNOWをしたら、その人も陽性。一気にクラスターになった。職員にも陽性者が出ている。月曜日に転院予定だったひとも当院がクラスターになったと連絡したら、なんと相手先も先週末からドンドン、コロナが出ていると連絡あったような。これは先週末のこと。
さらにたまっていた紹介状、脳ドックのコメント入れなどを行った。外来をしながら、認知症セミナーをノート型で流しながら時間を過ごして、なんとか2コマ目も終了。
残りの3コマ目は、紹介状を医局で書きながら視聴。無事すまして聴講証明書をダウンロードできた。火曜日の17時までと書いてあるが、自分は日中は仕事があるので、とにかく月曜の夜までにすましたので、なんとかできた。この日の夜は、頭痛学会、救急医学会、認知症学会と必要な学会の用時をなんとか全部クリアしたので、良かった良かった。達成感は味わえた。
11月29日(火)朝、もう一回抗原検査で(-)。連続7回目のマイナス。それで仕事に取りかかった。PCR検査も今まで2回して2回ともマイナスであったので、今のところ、9回連続マイナスという、病院のタイトルホルダーである。抗原検査では「接触して4日目以降に症状がなければ、(-)になる可能性が高い」ので、すり抜ける不顕性感染の可能性もある。自分の患者さんのうち、本格的な保健所のPCR定量検査で陰性の連絡だった患者さんには、本人、家族に説明して、退院してもらう段取りをした。退院前、転院のつもりだった予定前の検査をした。また別のコロナとなった患者さんには家族に連絡した。研修医になんとか、症例提示ができた。22時までは副当直。しかし昼間も夜も入院患者は取れない状況なので、ある意味、遅れている仕事が進む。紹介状を2名分書いた。患者、職員合わせて20名以上出ているような。県北の他の大きな病院もいくつもの病棟から陽性患者がでているようなと連絡あり。まあ、自分のモットーは、「マイナスからの逆転」なので、ちょうど良い感じ。
翌日、急遽退院になった患者2名の段取りをした。

11月30日(水)滅茶苦茶忙しい。朝から外来にたくさん予約外の患者が来ている。脳幹梗塞が一名外来に受診。入院対応はできないので他の病院に診療情報提供書書いた。そこへ片頭痛の患者さん。14時15分から総合脳ドックの説明。15時からの午後の外来までに少しでも昼ご飯を食べて、午後の外来を開始。午後は比較的少なかったので18時前には済んだ。もう疲れたが、なんとかもう一名紹介状を仕上げて、21時過ぎには帰れた。先週の木曜日から真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰れた時間としては一番早い。12月1日の朝に体重をはかると1.0 kg体重が減っていた。大変だったのでしょう。

 

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