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2023年7月 私生活

7月1日(
7月2日()この日は、朝からあれもこれも仕事しおたはず。もう忘れた。

7月3日(月)この日は、18時から9月半ばの3日間の大阪での産業医の集中研修の申し込みが開始になる。自分も申し込みの練習をしていた。18時にサイトから、申し込みの文書をあけて、申し込んだ。できたと思って、クリックしたら同意するところができていなかった。18時4分にクリックしたら、「もういっぱいです」とのことで終わり。18時2分なら大丈夫だっただろうが、もう、自分はまとめて産業医の単位が取れないと決定。後は地元で9月末までに20単位を全部とる算段をしないとだめとなった。
「大阪夏の陣破れたり」という感じ。
裏側の情報としては、以前は募集人員が400から450名だったのが、200名に減少。要はコロナで距離を開けないといけないので、半数の募集になっているため。

7月4日(火)18時前に大雨の後、川へ見に行った。本流は激流よりはだいぶ水は引いているが、いったい、どこにサカナがいるのか全くわからない。20時まで汗だくになってやって終了。

7月5日(水)とにかく外来、そのほかのことをノンストップでドンドン済ました。なにをしたか、もう忘れた。夜中まで、とことん仕事をした。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、学会出席のためのスラックスのためのベルト、髭剃り、顔のケア用品などを準備。内服薬も準備。

7月6日(木)洗濯物を朝、車に載せた。内服薬も朝のセットも載せた。それで職場へ。11時まで、とにかく仕事。そこで急いで帰宅。自宅(岡山市)で急いで昼ご飯を食べて、サムソナイトに荷物を詰め込んだ。念のために、ノートPCも入れたが、結果としては全く不要であった。特急「しおかぜ」は、よく揺れる。これも振り子電車であろう。昔の話だが、高知行きの特急「南風」が振り子電車になって、山のカーブも10kmは速度が速くなってものすごく揺れるようになった。右に2回揺れたと思ったら左に大きく1回など不規則に常に揺れて大変であった。兄も母も「列車酔い」で吐いたという歴史がある。自分は高速バスで移動することにしていた。まあ14時半頃の「しおかぜ」に乗って、JR松山駅に着いて、あまりの「田舎」具合に唖然とした。昭和の風情。駅に2階がない。ダイソーが入っているような。地下街がない。街中の三越、高島屋あたりは立派で大きな本屋さんがデパートに入っていて文化都市のような印象。当日は、瀬戸内海の天ぷら丼を食べて、坊ちゃんビールを飲んで休憩。その日は、前乗りなので、ホテルの温泉に入って休憩。
7月7日(金)朝は、ホテルの朝食を9時に設定。だいぶぐっすり眠れた。朝食後、すぐ近くの足湯に入りに行った。その後、実際は、なかなか学会会場へ行っても聞く内容がなかった。大雨が降りそうだったので、朝のうちに松山城へ。お勉強になった。昼は宇和島の有名な鯛飯をたべた。鯛飯にもたくさんの種類があるとわかった。天然鯛と養殖鯛では値段が数百円ことなる。これはどこの店も同じだった。その後、「坂の上の雲ミュージアム」に行った。個人の夢と国家の夢が一致したまれな時代の話。やはりNHKの番組が大きな影響を与えていると思う。晩ご飯はハンバーガーになった。店が閉まるのが早い。「道後では、食事をとるのも8時まで」と俳句にもならない感想であった。この日はよく歩いた。
7月8日()この日が自分のメインの日。朝から会場で聞いた。専門医の単位用に2個講義を聴いた。「薬物中毒」と「重症熱傷」で救命センターでなく、救急の最前線の人達なら必要なものであろう。現地で聞かないと専門医更新の単位がもらえないため頑張っていった。間のランチョンセミナーも聞いて、セミナーも聞いて、伊予鉄高島屋へ行った。その後は、また道後温泉に帰って、この日はイタリアンでパスタとピザであった。この3日間は昼食、夕食ともにカジュアルでおいしかった。普段は学会が終了した当日に帰ってくるが、その日は泊まった。
7月9日()この日は12時過ぎの「しおかぜ」に乗るべく、ホテルをチェックアウト。
学会出張費の請求で、2日間の学会で実質3泊4日の旅行になった。実際は学会が終わった日に頑張っていつも帰って来ていた。夫婦で行ったので、自分が使った分として「2泊分のホテル代の半分の料金」の請求書を作ってもらった。あらかじめ電話で頼んだが、そのようなサービスはしていないとホテルに言われて、奥さんが、無理なお願いしてすみませんと岡山のお菓子を先に送っていたので,その領収書を作ってもらえた。ホテル側も、「お菓子をいただいたので」とお礼の松山のお菓子を最後に手渡してくれた。驚いた。
実際は、普段,出張で泊まるような東横インやアパホテルとは全く違う料金なので、出張費用としてでる上限を超えている印象。サムソナイトに入れたままなので、また後日請求しないと。松山から昼頃の「しおかぜ」に乗って岡山まで。その後、少し休憩してお土産が18時に届いたので、その足で、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。そのまま病院へ。手術のインフォームドコンセントの用紙、同意書など全部作った。自分が留守の間に転院が決まったヒトの最後の検査の段取りなど、24時までかかって指示、書類を出した。ヘロヘロだが(木)、(金)、(土)の2日半の仕事が溜まっているので、大変であった。朝には,松山、夜には真庭と400 kmは移動して、仕事という状態。
7月10日(月)朝からノンストップで12時前まで働いた。10時のヒトのCTをみて、翌日、慢性硬膜下血腫の手術にいれた。他にも留守中の土曜日のMRIをみて、本日退院を決定して、段取り。書類、診療情報提供書など、できるだけ急いで仕事をした。16時半には別の手術予定の家族に説明。その後、12日に帰る別のヒトの家族に電話で結果説明。18時までとにかくできるだけの仕事をした。18時20分にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、パンを食べた。その足で、19時からのバドミントンに行った。なんか、女性保育士3人組が来てくれてから華やかになって、毎回10名ぐらいが来ている。19時から20時まではコートを3面も張れて贅沢になった。途中でダカラ(商品名)の飴をもらった。ビー玉くじ引きで、次に試合だったので、窒息しないように、試合が始まる前、始まってからもコートの中でも一生懸命、かみ砕いていた。なかなか硬い。硬すぎる。おかしいと思い口の外に出すと、奥歯への詰め物がとれてしまっていた。なんか大変。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、道後温泉で覚えた足湯の気持ちよさを味わおう。まずは足湯形式でお風呂場で足をバスタブに入れる前に洗ってから、お湯に浸ける。その後、入浴、汗みどろだったので、まあ良し。
実感:体力も落ちた。中学生の頃のむしばの治療でつめた銀?、アマルガム?が外れつつある。歯がなくなって隙間が空きだしたのであろう。

7月12日(水)外来、いろいろ19時以降は、翌日の手術のメンタルリハーサル。実際は、脳表側の硬膜からではなく大脳鎌の下のほうが髄膜腫の発生母地だったので、だいぶ違った。夏の賞与がこの日にでたか? 忘れた。仕事を始めて40年近くになるが、手取りはいっこうに増えない。頭打ちである。仕事は減らない。増える一方の印象。

7月13日(木)朝9時から脳腫瘍の手術。8時過ぎに病院へ行き、計算して,マーカーを頭皮に付けて8時半から撮影。あれもこれもしながら9時入室。計算。
勉強になった。傍矢状洞髄膜腫だが、円蓋部からではなく大脳鎌からのものと納得。
18時には終わった。SONOPETも比較的安価で1日レンタルさせてもらって、なんとか使えた。機械が800万円なので、レンタルしたほうが安い。いろいろと気を遣った。ノンストップで頑張ったが、18時には退室。気力、体力ともにゼロ迄落ちた。なんとか帰って、眠った。体力が落ちた。まあ、松山出張、バドミントンと「やり過ぎ」の感が否めない。
7月14日(金)朝9時前に外来診察室のpcが壊れて30分は外来スタートが遅れた。途中でも動かなくなり、9時から12時までの外来予定が、14時過ぎまでかかってしまった。救急の部屋とか、別の診察室とかジプシーのような感じ。手術の疲労が残っているところに、「初めての電カル用のPCの不具合」でイライラした。こちらがヘロヘロに疲れている時に限って、そのようなことが起きる。「医師の働き方改革」がどうのこうのと言うなら、すぐに予備のPCが使えるようにしてもらわないと、間違いなく帰宅時間が遅れる。
7月15日()外来、9時から12時過ぎでなんとか終わった。外来診察室のPCは不具合が続くため、違う部屋で行った。14時過ぎまで働いて比較的近所の川へフライアングリング、結構,次から次へと小さなアマゴのアタックはあった。車をおいたところが私有地だったらしく。「おにいさん、釣りたい気持ちはわかるが、もう少し考えておけや。自販機もおいとるし」と大きな車で来たオッチャンにおこられた。謝罪して車を移動した。しかし、自分の印象では、怒った白髪交じりのオッチャンより自分のほうが年上は間違いない印象。フライの服装、頭のキャップなどは30年以上前から、ほぼ似たようなもの。また自分の毛髪量の多さ、髪の毛の黒さなどから「オニイチャン」と呼ばれたのだろうが、ある意味、うれしかった。この年で「オニイチャン」と呼ばれたのは初めてであった。汗びっしょり。気晴らしにはなったが、体力は戻らない。夜も仕事にはならなかった。
7月16日()昼まで休憩。シャワー浴びて病院へ。17時半からは副当直だったが、15時過ぎには病院へ到着。脳ドックの結果、介護保険主治医意見書、脳ドック施設認定のデータ入れ、出張届け、紹介状など雑用をして、夜は簡単に食べてきて、さらに産業医の単位取得の業務外出を7月分を作成して提出した。23時半頃にMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰還。部屋が暑くて窓をあけて、カーテンを閉め切って光が漏れないようにしてクーラーを付けて,ボーッと休憩。窓をしめたとたんに、なんとアシナガバチが入ってきていて、室内のライトのまわりを飛び始めた。近くに常備していた噴霧剤でなんとか処理した。虫自体をよく見ると立派な毒針が飛び出していた。まあ、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)でじっとしていても、することは部屋の掃除ぐらいなので、仕事をした方が良い。

7月17日(海の日。朝から日直副当直。8時半には病院に入って朝から産業医の8月分の業務外出、出張届けを出した。さらには、PSC(一次脳卒中センター)へのアンケートんも答えて送った。なんと11時には、大学教授から早速,返事がきていた。彼も休日返上で働いていると思い、驚いた。さらには退院サマリーを2名分書いた。患者さんが来ない間に溜まっていた雑用を「呼吸しているのなら、仕事をする」という感じで済ましていっている。もちろん、患者さんも数名みた。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)でエアコンのフィルターの掃除をして、目詰まりの解消。ものすごくまた冷えるようになった。
7月18日(火曜日)病院の開院記念日で病院は休み。昼までグダグダ休んだ。
夏の部屋の片付けは、暑すぎて吐きそう。
夕方は、歯医者へ、左の奥歯の詰め物ものいたものをみせて、前回のレントゲンをみて、中学生の時のつめた金属と年齢で無くなってきた自分の歯の間に虫歯ができたことによるもの。1時間はかかった。

7月22日()この日は、朝7時に起きて倉敷へ。この日は倉敷市役所の夏休みのイベントで小学生に「毛針、フライ」の作り方の講習の講師として参加。カディス、パラシュート、パラスタといくつか作ってもらった。なかなか器用な少年だった。13時前には出発して岡山駅前の医師会館へ。産業医の講習を受けて、その足でまたMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って来た。食事をしたが、そこに電話。tPAの適応のようだが、1時間半かかった。疲れたので火曜日の大学の講義のスライド作りができなかった。ヘロヘロ。
7月23日()朝から、病院へ行って、午前中からずっとスライド作り。昼ご飯食べても、夕ご飯を食べても、続けて一日中、火曜日の授業のスライドつくり。医局でPCを使ってやり抜いた。夜の23時半には講義のスライドを添付文書で大学に送った。正味8時間はかかった。医局の隣には日直、副当直の先生が座っていたが,別に会話も全くしなかった。月曜日の朝にその先生がコロナ(+)と判明して朝のうちに外来も閉鎖して帰宅した。びっくりした。
7月24日(月)患者さんから、「先生は、どちゃくそ有名な先生らしいですね」と隣の市の病院にもいっているので、そこの看護師複数名から聞いたとのことであった。まあ、「どちゃくそ」と言う単語を初めて聞いた。関西の方なのかな?と最初は思った。「滅茶苦茶」はよく使う。
それに「どえらい」「ど根性」などに使われる、強調の「ど」がついたもの。さらには、「メチャクソ」などの変化系と思われる。どうも「くそ」がネットスラングで、「くそかわいい」などの強調につかわれるので、それらの合成の単語のような。調べると2010年ぐらいからネットでは使われていたような。お笑い芸人が最初に使ったなどの説もあった。関西弁かどうか、「関西生まれ、関西育ち」のヒトに聞くと、「絶対に違う」とのことだった。
7月25日(火)この日は、13時20分から14時半ぐらいまで、隣の市の大学の看護学科で講義、2回分、合計180分もしゃべらないといけなかった。まあ、いつものように、こちらは気合い入れてしゃべりまくって、学生さんは睡眠学習をすると言うパターン。まあ、良い。自分は責任を果たした。帰りは、千屋温泉に入った。寝不足と疲れで気分が悪くなった。やり過ぎ。
7月29日()この日は頑張って、7時半に白賀渓谷へ。先週の続きで子供に作ったフライでアマゴを釣る。13時前にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。コロナに感染した他科の医師の代わりの副当直。落合花火はあったが、その音を聞きながら授業のスライドを作っていた。大変。

7月30日()身体を夏型の代謝にしないとだめと納得。「早寝早起き」。4時に起きて、現場に5時過ぎには到着したかったが、起きたのが5時半で大失敗。要は鳥取県の川で朝、オサカナを釣って、昼からの産業医講習に出たかった。もう8時過ぎには暑すぎて、白旗あげて釣りはストップ。水も少ないし、フライも違うし、ダメダメでした。着替えて、近くのコンビニで氷のアイスを食べて、近くの温泉へ。そのコンビニは、トイレをよく使わしてもらった。お礼代わりに、100円台の水分、アイス、消しゴムなどどうでもよいものを購入していた。9月末で閉店とのこと。今後、トイレはどうするか問題がある。温泉には10時前に到着して入場。11時前には温泉からでて、その足で産業医の講習へ。距離にして10kmぐらいか。鳥取県医師会主催の産業医の更新講習に他府県から参加すると、参加費用が1万円いる。しかし、とにかく出ないと。12時15分から17時半まで、非常に充実していた。なかなか力の入った研修会だった。終わってもまだ日は高いが、サカナは釣れる気がしないので、一路MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)へ。毎日疲れてきて、なんとなく浮遊感がある。スライドを夜中にメールで送った。

7月31日(月)午前中外来。午後も雑用。疲れ切っている。やはり、土日に用時が入ると、頭が休まらない。脳のこなせる仕事がピークの時と比べ8割ぐらいに落ちていると実感する。仕事量のピークは40歳ぐらいの時か?

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