2023年9月からは「仕事を減らす」プロジェクトが進んでいる。
現状、全く減らない。9月にこういう風にすると周囲に徐々に周知している。
効果は10月からでるかも。
10月からは,ダイエットプロジェクトを開始。まずは「2週間、10月16日まで間食をしない」である。16日にある新任教授が挨拶に来られるので、それまではそのようにしてみるということにした。
2023年9月からのプロジェクト
その1)9月からのプロジェクト:
自分の仕事を減らす。Workload reduction project
全体の仕事は減らさないようにしながらそれを行う。
その2)10月からのプロジェクト。
今後の終末期へのダイエットと健康的な生活をする。まずは間食を無しにする。
final diet project
その3)11月からのプロジェクト
MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)をきれいにする。
tidy room project
当面の目標は、ルンバで掃除が出来るような部屋にすること。
とりあえず、そのpoint of viewで記録をつけていく。
10月1日(日)全く減らないことのひとつ。その日は他の先生の代わりに、朝8時半から月曜日の8時半まで日直、当直。その後、月曜は外来という予定。ガーゼ交換、指を詰めたなど診て、転落して骨折のヒト、さらに施設からの脳梗塞のヒト、次は夜中に施設からの高齢者てんかんの救急搬送などで入院は3名だった。胃の調子が悪い人が来た。胃の調子がわるくなった時期を聞くと、自分がドネペジルを処方して少し経ってから。どうも、それが原因のようで、止めてもらった。2週間後には、その診断が正しかったことが判明した。自分が当直でほんとに良かった。内科から幾つかの薬がでていたが、認知症の薬は良いことは余り起きないが、他の作用はかなり起きることがあると知っていて良かった。
ダイエットは左足の三角靱帯損傷で動けないので、「10月16日までは間食をしない」という計画に。夜の寝る前のつまみぐいが一番良くない印象。まあ、病院で寝たので、間食は全くなしであった。午前中も、病棟の患者さんが帰る当日に、胸が痛いとのことでCTを撮ると肋骨多発骨折が判明となかなか忙しかった。
なんと、過労で口唇周囲にヘルペスがでてしまった。
10月2日(月)朝7時前に、施設の90歳ぐらいのヒトが前日から昼に発熱、嘔吐した。そのヒトが夜明け前にも嘔吐してボーッとしているので、今から救急車で行ってよいかと問い合わせ。「発熱、嘔吐」で半日以上経過をみて、朝の7時前に救急車で来て、診てもらいたいというのはどうか。熱でボーッとしているのではないか? 当直の脳外科医師が頭のMRIは問題ないですと言って、結局内科に行きそうなら、初めから日勤の時間帯で内科に連れてきた方が正解であろう。言葉はわるいが、「一日ほっておいて、とことん悪くなっては職員の自分が責められるから、明け方なら待ち時間なくみてもらって、自分も責任を果たせる」という気持ちが透けて見える。昼間なら「まだまだ、いつでも行ける。良くなるかも知れないし。」と思っているので、様子をみながら来ないことが多い。明け方に悪化すると「どうして連れて行かなかったのか」とのことで、翌日の日勤の職員達、家族からも攻められるので、明け方にこのような電話はよくかかってくる。フラフラして17時半にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。寝不足でかえって夜眠れ無かった。ヤクルト1000を2本飲んだ。
10月3日(火)この日は、病棟からの紹介患者が3名あった。結構手間がかかる。主治医不在でこちらで代わりに説明の電話など、「説明自体は5人」ぐらいしたか。とにかく忙しかった。しかも自分の患者ではない。
夜は、なんとか車のディーゼル、軽油を入れた。日曜日の日当直がいまだに身体に応えている。
10月4日(水)午前中の11時から12時までの間の外来患者数が15名。新患などで11時から12時までの「1時間のみの外来枠」が済んだのが13時45分だった。1時間の予定が2時間45分かかった。まあ、患者さん本人は困っていて脳自体がなにか悪いことが起きていると思っている人達が多い。「MRIでは脳は何も無いです」と言うと、頭が痛かろうが安心して帰ってしまう。患者が多すぎる。
多すぎる原因は、常勤が自分だけ。
急患ではいってきたヒトは、自分が病棟での受け持ち医師。自分しかいないので仕方が無い。退院時には、当たり前だが慣れた医師にみてほしいので「自分が外来でフォローアップ」となる。
軽症の2,3ヶ月に一回だけの内服薬をもらいに来て数年、変わりの無いヒトも年老いて脳の病気が再発したりする。それまでは別の非常勤医師の外来でよかったのが「入院加療」となると、上記と同じ現象になって退院しても外来通院は「自分を希望してくる」
そうなれば、時間が経過すればするほど、自分の患者だけが増加して、非常勤医師の外来患者数は減少するということになる。時間が経てば経つほど、そのようになる。
10月5日(木)人参養栄湯を処方してもらった。これを飲むと疲れが取れると言うよりも、「眠くなるので長時間眠る」という効果で疲れが取れるのではないかという印象。
10月6日(金)午前中に外来、退院のヒトの診療情報提供書を書いた。★
脳ドックを午後から1名。久しぶりの開放感で、余り眠れなかった。
なんか、産業医の面談を希望などがきていたが、時間が午前10時希望と書いてあった。外来の直前などに出来る訳がない。皆、自分の職場の産業医がどれほど忙しい生活をしているのか知らない。相談を受けたい人の何倍もストレスを産業医が感じている実態は誰も知らないであろう。おかしな話。もっと時間のある人がすべきである。一番忙しい現場のトップで働いているヒトが産業医と言うこと自体がおかしい。替わってもらわないと。
10月7日(土)何とかして、サマリーを2名書いた。提供書からのコピペは簡単★★診療情報提供書を書いた。頭がグラグラする。
10月8日(日)午前中、少しだけでも書類を書いた。その後は自宅(岡山市)へ。
10月9日(月)左足の三角靱帯損傷は響いている。歩くと段々、動かなくなる。足底の縦のアーチも壊れている。11時過ぎから見た「ジョンウィック」は鉄砲を撃ちすぎ。チャプター4を見てきたが、単純な話を引っ張り過ぎ。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に車で75 kmを帰り、仕事をしようと思ったが、人参養栄湯の影響か疲れたら寝ると言う感じでねてしまった。
10月10日(火曜日)
10月11日(水)なんとか診療情報提供書を3人分書いた。10時までに1名、夜の23時までに2名。それだけで2時間はかかる。外来は奇妙な患者が多すぎる。水曜日はそもそも11時から12までが午前の外来。予約は6名の枠。そこへ新患含めて13名がきて予定外の脳MRIを4名撮って、その日に説明となるとさすがにしんどい。夕食は勉当会(弁当がでる薬の説明会)の弁当を食べた後、20時から出ていない定期処方、退院時の診療情報提供書、他院への紹介状など書いた。車の運転免許の評価の書類など書類指数★★★。一日に3名分ぐらいまでが限界。翌日は朝から転院、他院受診の段取りが仕事の最初。人参養栄湯のおかげで25時過ぎには寝てしまった。6時過ぎには目が覚めて、調子が良いのかどうか不明。ヤクルト1000のほうが熟睡感はある。
10月12日(木)朝から午前中ケモの説明書き。診療情報提供書1名、オペ記録1名で書類指数★★★、カルテ書いて、回診して指示書いて、夕方16時過ぎから慢性硬膜下血腫のオペを研修医の先生として、晩ご飯食べて、その後にオペ記録、診療情報提供書書き直しなど、23時前には仕事を終えたいが、極めて困難。
10月13日(金)朝から、認知症サポート医のe-learningの講習の日の連絡がない。電話をしてみると、なんと10月21日の申し込みが「選からもれた」との答えでした。どうなっているのか。5月から段取りをしていたのに。その日のうちに11月18日をもう一度申し込みし直したような連絡。まあ、受講料を県の医師会が支払っていただけるというものだった。なにか、「厳正な審査の結果、あなたが選ばれました」と連絡が来たのは5月の話だったが、まあ、無事e-learningを見終わったのが11月4日の夜でした。10月末に日付などが届いたので、少しずつ聞いて、無事終了。本番は11月18日。
10月16日(月)K医大の脳外科教授になった先生が挨拶とのことで来院。まあ14時予定だったので、12時過ぎには近くのお店で「マカロンとようかん」を購入しておいた。時間通りに到着。大学からの若い先生も挨拶。その後、30分ぐらい情報交換をして終了。まあ、自分の出身大学は教授選で、T大出身の先生が1月に赴任することになったので、こんな僻地の弱小の脳外科などに医師を派遣はしない気がする。そうなるとK医大にお世話になる可能性も高い。どちらにも筋を通しておかないといけない。気分としては、真田昌幸の気分で、東軍にも西軍にも気を配ったようなお話。
10月19日(木)
10月23日(月)午前中に1例、自分一人で慢性硬膜下血腫の手術。午後は両側の慢性硬膜下血腫を岡大の若い先生と研修医2名でしていただいた。その間に脳ドックを自分は済ました。
10月24日(火)前日の朝からマーカー付けてCTを撮って、13時15分入室で脳出血の全麻の血腫除去術を行った。手術が済んで、麻酔をさましているとき、音楽をオルゴールのものから変えてほしくてスタッフに聞くと「Siri、穏やかになる音楽をかけて」と聞くと、別の音楽に変わった。「藤井 風」君の歌が流れ出した。良く聞いてみると、「死ぬのがいいわ」がかかっていた。変更してもらった。「Siri」は賢いのか? 疲れる。
10月25日(水)なんとか外来をして、その日は意外と患者が少なかった。手術記録も書いたか? この日は歓送迎会があった。すぐ近くのお店に行った。まあ、この日は神戸、大阪のお話が楽しかった。神戸、六甲の山側に実家がある研修医の先生がいたので自分としては楽しかった。自分は大阪の病院時代に西宮に住んでいた。阪神甲子園駅のすぐそばのアパートだった。阪神沿線で駅のまわりは自転車がものすごく多かった。駐輪場が一杯であった。北側を走っているJRの駅のまわりには国産車がぐるぐる回っていた。さらに北にある阪急線の駅のまわりには、外車が駐車しているのが目立った。阪神電車の中に乗っていたお客さんは、朝の出勤途中でも、耳に赤と青の鉛筆を挟んで尼崎競艇、阪神競馬場の予想の新聞を読んでいた。なんか、山側と浜側の「格差」を感じながら生活をしていたことを思い出した。
10月26日(木)頭痛でまた、慢性硬膜下血腫が来た。その人は金曜日も頭痛がしたので、来院。週末に手術となった。
10月27日(金)この日は有休をもらって、朝から大相撲真庭場所を見に行った。以前、バドミントンをやっていた体育館で行われた。痛めた靱帯をtapingして早めに駐車場にいくと、一番遠いところに置くことになった。なかなか勉強になった。形式通りのものであろうが、いまの大相撲の力士が大半きていて勉強になった。写真もたくさん取ったが、
見直してアップすることが出来ない。終わりは駐車場から30分以上かかって外へ出た。大変でした。なんかヘロヘロ。晩ご飯は、Grill moriでブイヤベースを食べた。
10月28日(土)外来を早めにすまして、慢性硬膜下血腫を急いで行った。特発性で変わった状況。手術は問題無く終了。
10月29日(日)朝から前日の手術のヒトのCTを撮って、ドレーンチューブを抜いた。
10月30日(月)
10月31日(火)10月は結局、手術は7件行った。驚きの展開であった。9月はゼロ件だったので驚いた。