人生は「時間の使い方」に尽きる。
人生で大事なのは、「時間」と「行動」に尽きるともう一度納得。
11月5日(日)母親のお見舞いに高知へ。日帰り。こちらがわかるか聞くと、「わからん」との返事。まあ、息子としての役割は果たしたかも。帰りに高知のモンベルの店に寄って、自分の足首を緩めないようにバンドを購入。息子に冬のサムソン出張用のブーツなど購入。寒冷地仕様のブーツはアウトソールも3cmぐらいあるが、インナーも3cmぐらいあり、そのブーツを履くと5,6cmは背が高くなる。足長にみえて、息子は「これがモデルさん達が履いているものなのか」と納得していた。
11月10日(金)午前中大勢の外来。その後病棟の患者回診。指示だし。15時半前には出発。昼ご飯を食べる時間も全くなかった。なんとか17時前に自宅(岡山市)へ。この日は、岡山市に新しく出来たハレノワという劇場でオペラの「トスカ」を見に行った。岡山でオペラが見えるのは良かった。途中の休憩時間が短く、一日中、娯楽として見るような雰囲気ではなかった。
11月12日(日)冬タイヤに変えた。6000円足らず。タイヤのサイズが小さくなったので安くなった。ついでに一度水没したスマホが音が聞こえなくなってスピーカーホンでないと使えないので、お店へ。なんか、みてもらったら聞こえるようになった。保険にもはいっているので、8300円でもとのスマホと同じものに替えることが出来ると判明。まあ時間があれば、行動もできて問題点がひとつずつ解決。
11月13日(月)夜の温度5度までさがっている。帰りに灯油を入れてきた。冬支度。この日からヒートテックを着用。
11月14日(火)今年初めての灯油を購入。冬支度を急いでいる。
11月15日(水)驚くべき外来患者の少なさ。おかげで研修医に20分だが、DAI,皮質下出血、心原性脳塞栓再発を説明できた。
11月16日(木)朝、起きれなかった。これは「人参養栄湯」が合っていなかったとよくわかっている。これを飲むと「よく寝れる」のは実感していたが、飲み続けると、昼も眠くなる。本来は、疲れが取れるという触れ込みで今年売り上げが3倍伸びたらしいが、副交感を優位にして身体を休める働きをあげるものだろう。睡眠不足で働き続けないといけない自分に取っては交感神経優位に変わるのを押さえる薬はあわない。7時半,目がさめて8時半ぐらいまで身体が動かない。呂律困難にもなっていた。9時過ぎにへろへろになりながら病院へ。段々、薬がきれて11時の患者搬送は自分が病院車に乗っていけた。
労働安全委員会が13時からあり。職員満足度アンケートで、「医師の指示が遅い人がいて、困る。残業が多くなる」という自由記載のところで2個でていた。
「これは私ですね」と言うと「もう一人います」と言われた。要は自分なのであろう。
夜は自宅(岡山市)で認知症サポート医のお勉強。
11月17日(金)「人参養栄湯」飲むのをやめたら、金曜日は「パシンッ」と音を立てるようにぱっちり目が覚めた。やはり漢方薬も「合う、合わない」があると納得。翌日いつまでも寝られる時に飲めばたまった疲れが癒やされるだろうとは納得。午前の外来の最後の人が入院になった。12時までの外来が15時過ぎまでかかった。さらに病棟。ほんとに大変。夜は、ノート型PCがネットに有線でつながるか明日のためのテストなどいくつかした。病棟から、てんかん重積の人の電話が時々ある。
11月18日(土)朝8時半にログイン、9時半からの「認知症サポート医」のグループワークであった。自分は2021年にすでに認知症学会の専門医を取っていた。それなりに勉強もして、学会も出席して試験も受けた。自分の医師人生最後の専門医と思って勉強した。5年間の実績が必要だった。目も見えにくくなって記憶力も間違いなく落ちていたのを実感できた。それに比べると、サポート医は「間を取り持つ」程度のもので、専門医、指導医とは全く異なるもの。まあ保険点数に関してはサポート医が必要。専門医は不必要。縦割り行政の結果であろう。厚労省の中の「専門医」に関する部門と保険点数をつける部門は、考え方自体が違うであろう。9時半から11時半の予定が、11時前には終わってしまった。ユルユルであった。e-learningもせいぜい6時間で, 既知のことばかりであった。どうも新見、蒜山には初雪がふったような。
11月19日(日)chatGPTのアルトマン氏が会社を辞めさせられた。まあ、人工知能を開発する人と、その会社を運営する能力というのは別。普通に考えたらわかりそうな話。医師としての技能と病院経営の才覚とは別などはどこにでもある話。「現場向き」と「経営向き」は別。いまだに、左足底部、左足内側三角靱帯が痛い。靱帯損傷からすでに2か月半。おそらく9月3日に痛めた。ずっと階段の上り下りができない。エレベーターを使っている。体力がますます落ちている。
11月20日(月)今日こそ、紹介状も6名分書けると思っていたら、11時に高齢の認知症の慢性硬膜下血腫がきて、段取りして14時からオペして、夕方には指示を出してと結局、他の用事出来ず。夜は歓送迎会。帰ってきて、1名だけ紹介状+サマリー書けた。まあ、大変。17時半に「もう退院しても大丈夫ですよ」と説明したヒトが夜から発熱。ドンドン発熱。指示をだした。
11月21日(火)発熱のひとは胆のう炎と判明。さらには転院してきたコロナ中にけいれん重積になって、なんとか隔離解除となった。そのヒトのてんかん重積は止めたが、膿胸と判明。どちらも脳外科的には終了。後は内科。まあ「シーズン 1」 の脳外科編は終了。次は「シーズン2」で内科編がはじまるという感じ。エピソード1は「不明熱の襲来」という感じ。そんなこんなで14時半まで昼食もとらず。定期処方も全員出して、紹介状はなんとか1名分書いた。患者家族にも2件急いで14時半に病院を出発。16時の散髪に間に合った。
11月24日(金)朝起きるのが少し遅れた。急いで通勤していると、高速道路でスピード違反で捕まった。県北の病院に赴任して丸7年で、高速道路で捕まったのは2回目ではないか。3回目では無いと思う。必要経費みたいなもの。赴任してくるまでゴールドだったが、青色から変わらない。まだ3点あるので、3か月は安全運転で。
11月25日 (土)朝から外来、指示だし。コールセンターの人みたいに、3家族に電話。コロナになってから「きてもらって説明」というよりは、電話での説明がものすごく増えた。夕方15時からは、なんと真庭市久世の個人の映画館というかシアターで「ミルクの中のイワナ」と言う1時間の映画を見てきた。20名ぐらいしか入らないところだが、英語のタイトルが「Trout in the milk」であった。非常に学術的な映画であった。まあ、漁協が毎年毎年、30年以上放流してもサカナの数は減る一方。その川、その川の固有種が居なくなる。などなど学術的に価値の高いmovieであった。それでも16時半には病院に帰って来て、溜まっていた紹介状を2名。もう一名書きかけで疲れてMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰還。
おそらく9月3日に痛めた三角靱帯はようやく、短距離なら歩けるようになった。体力維持、増進はほんとに難しい。
11月26日(日)朝から病棟で呼ばれて、簡単にみて、それから自宅(岡山市)へ。木曜日の出張のスーツなどを準備。その後、脳外科専門医の更新をした。これはすでにポイントが足りていたので、今年の脳外科学会の講習をウェブで聞いても、上乗せにならないので、めんどくさいので申請した。年末が締め切りだったのでもう良いであろう。
と言うことで、今年は、産業医の5年目の更新すみ。認知症サポート医の資格取得すみ。脳外科専門医の5年の更新すみ。だいぶすました。次は28日からの救急のオンラインの講習を聞いて、救急科の専門医の更新をしないと。12月11日から聞けるような。
11月27日(月)自分のおばさんが脳塞栓、加療、エキセントリックないとこに電話で説明。1時間半かかった。
11月30日(木)この日は、学会前乗り。飛行機が17:50ぐらい。15時には病院をでた。
定期処方から、退院の段取りから大変であった。