6月1日(土)午前中に、片頭痛入院。その後は、急い自宅(岡山市)自宅(岡山市)へ。その後17時会場のハレノワ会場へ、Nobelbrightのコンサートへ行った。変わった声とは思う。竹中雄大のトークで、「姫路出身、18歳になってすぐに、新見の自動車教習場にきて、車の免許証を2週間半で取った。コンビニもなかった。変なカラオケ店が一件あるだけだった。他には3年前、IPUの学園祭に来たぐらい。」などだいぶローカルなネタであった。
※5月30、31日と電話。とにかく、今年で8年目になる頼まれていた大学の年3回の講義を今年で終了するので、近隣の病院に連日電話した。一番近い津○中○病院、次の岡○医○セ○ターは、どちらも人員を減らされているので無理ですとの返事。一つは4月から2名研究生の形で大学に帰って5人が3人に。もう一つは昨年10月に他の病院が人手不足なので引き抜かれて3名が2名に。結論は、地域で面倒をみるということが無理になってきている。
以上の背景あり。週末になったので交渉ごとは一旦中止。
6月2日(日)自宅(岡山市)から出てきて、脳出血の入院患者の段取り。
6月3日(月)上記で大学に電話して医局長と相談。コスパもタイパも悪い。要は社会貢献。教育はそもそも、専従のヒトがいないとだめ。「公立の施設は、公立でまかなってほしい」というのがこちらの気持ち。まあ、一旦話は聞いてもらったというところ。そうでないと、「こちらも努力をしている」ところをみせないと。夕方18時からの勉強会の前に、17時半から18時までにホームセンターで「ブクブク」を購入。
6月4日(火)朝、職員から多数のメダカをもらった。ビニル袋二重だが、ものすごい大量なので、ブクブクを使っていたら、医局の机の上でビニル袋をいれていたケースから袋が倒れて大量の水がこぼれ落ちて、大変であった。昼間にアパートに持って帰って、準備していたメダカ用のハチにいれた。その後急いでNIUに。8年間の最後の授業をして、昨年の試験問題も解説。帰りに、廊下でヒトが待っていた。その人は科長とのこと。「科長」のヒトが「コーヒーでものみましょう?」的なお話で、控え室で「出来れば、来年もきてください。」とのこと。「無理です」と返事をした。自分の手術ビデオも今の病院にくる8年前までのモノなので、「新ネタ」がない。
今の病院の手術部の主任は「動画なんか撮らんでよろしい。そんなものは不要」とはっきり言ってくれた。まあ、教える訳でもない。時間内に早く帰りたいなどの条件からしたら、手術の動画を教育に使うから撮るなどの発想は全くなくても当然。「そうですね」と同意をした。同意をした以上、手術動画の新ネタは一切できません。まあ、自分の役割も終了したであろう。帰りは、千屋温泉に入ってから病院に帰ろうと思ったら、到着したら「毎週火曜日は定休日」と書いてあった。去年まではなかった。26 kmも車で田舎に来たのに。しかし、めげない自分は、それなら神郷温泉はあいているかもと頑張ってさらに26km車を走らせた。そこは定休日が水曜日だったので、入れた。真っ昼間にそんな田舎の温泉に入りに来る人はおらず、自分が出てくるまで誰もはいらず貸し切りだった。その後、疲れがでて、休憩。8年間の講義の終了を気持ち的にかみしめて終了。
6月5日(水)半日分の外来で30人診察。後は回診。そのほか、とにかく、「易疲労感」がある。なにをしたかは3日も経過したら全く思い出せない。
6月6日(木)朝、メダカを半分、医局の水槽にわけてあげた。一見すると結構な数が入った感じにみえる。メダカは一匹1リットルなどと言われている。30cm×40cm×60cmなら、72リットルになるが、上端まで水をいれることは無いので、その2/3ぐらいなら、40匹ぐらいは飼えるかな。
またぞろ、新しい委員会ができた。これが無いと入院基本料がもらえないらしい。「身体抑制最小化チーム?」なるものがないと、入院基本料がもらえないらしい。どのように最小化するのかのガイドラインは国は作っていない。本人も不穏、譫妄になるのは意図的になるわけではない。最小化しているための測定、評価基準の提示もない。適当なことをいって、現場に丸投げ。日本文化の一つである「総論賛成、各論丸投げ」の一つである。 専任の医師が必要とのことで自分がなったが、仕事は増えることはあっても、減ることは絶対にない。コングレスのオンラインの領域講習を少しでも聞いた。12単位もらえるので、この際、全部聞いておこう。
6月7日(金)外来もたくさん。入院1名、入院中の往診依頼1名。まあ、しんどい。慢性の疲労。トップに今後の方針について報告。気持ち的にはある意味、爽快感がある。
自宅(岡山市)に帰って、メダカをもらっても、まだ多すぎて飼いきれないと奥さんに相談。なんか、子供がザリガニを捕ってきたり、近所のサカナを掬ってきた時の小さな水槽、メダカ用の睡蓮鉢などがまだ余っているので、真っ黒い、黒めだか、オロチとか別名があるようなもの、は自宅(岡山市)に持って帰るようにすることにした。5匹だけなので、何とかなりそう。夜はコングレスのオンラインの単位を一つ聞いた。
6月8日(土)朝、寝不足で自宅(岡山市)から真庭へ。外来も20名以上。その後は、帰って一寝入り。頑張って、車で釣り場まで30km飛ばしていったが、急に疲れて眠くて、やめたと、着替えもせずにその場でUターンして帰って来た。疲れて寝た。自宅(岡山市)から持ってきて小さなクーラーボックスに黒のメダカをいれた。白、黒、赤の3種類なので、混泳をみて楽しむなら大きな水槽にまとめて入れたら良いが、卵が出来たときに訳がわからなくなるので、3つにわけた。メダカといえども生き物なので、一人でMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)でそれらを飼うのは気を遣う。えさやりの頻度はどうとか一から覚え治し。
6月9日(日)この日はハイポ、塩素抜きをホームセンターで購入。
6月10日(月)この日は予約外来、少し、入院患者段取り、書類など一日、17時半ぐらいまで働いた。勉当会(お弁当がでる薬の説明会)が無いので、近くのスーパーに夕食を買いに行って、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)で食べて、近くの体育館にバドミントンへ。合計16名?が来ていた。名前がわかるヒトが7名程度。そもそも、同じ職場の人ではなく、誰かの友達の友達、その妹さんなどで、自分としては名前を覚えても、あまり使うことがない。職業ももちろん知らない。他で会うとか話をする可能性はゼロである。また普段くる人達は当日は来ていなかった。初めてのヒトも来ていた。久しぶりに来た当院職員は「アウェイ感いっぱいです」とのこと。そりゃ、半分以上が知らないヒトになっていたらそう感じるのも無理は無い。しかしながら自分の印象では、「急に来なくなって、それっきり」の人達も多い。人間はあきる生き物なので、そのようになる。自分にとっては、バドミントンの試合をするのは、体力のモニターみたいなもの。中学生の人達の、膝をものすごく曲げて前方へ落ちるシャトルを拾うのをみると、自分の四肢の関節がいかに硬くなっているのかが実感できる。昨年の9月からの靱帯損傷で7ヶ月は階段を使えなかったので、筋力、関節可動域、持久力など落ちるとこまで落ちている。21時過ぎに帰って、風呂入れて、さあはいろうかと言うときに、当直の医師から連絡。家人が救急搬送されて自分も帰らないと行けないとのことで急遽、22時半には病院へ。入院になる急患をみて、帰って風呂に入れたのは翌日1時過ぎであった。
6月11日(火)脳ドック学会、脳外科コングレスオンデマンド、
岡大からの若い先生の代わりに、火曜日は外来をした。
6月12日(水)月曜日のバドミントンの筋肉痛は2日後にくる。なんとか外来をすました。
6月13日(木)朝からバタバタ。16時前には一旦、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、もらったメダカのなかの色の真っ黒いモノをケースにいれて、水をかえて、車に載せた。白の砂も途中で購入して18時過ぎには自宅(岡山市)へ。そこで、自宅(岡山市)で準備していた睡蓮鉢に移動させた。その後に歯医者へ。去年の続きで未だに歯は3本欠損している。なんとかしないと。
メダカは調べたら、普通の黒めだかではなく、「オロチ」「サタン」などといわれる。デメキンみたいに真っ黒で、ひれがヒョロヒョロに長い。6匹持って帰ったが、後でホームセンターで値段を調べたら、一匹800円ぐらいすることもわかった。
6月14日(金)朝6時半過ぎに起床。自宅(岡山市)から病院へ。午前中外来をしたが、眠い。前日の晩に入ってきた慢性硬膜下血腫を外来が済んでから、オペ予定。伝言ゲームみたいな話。「13時にICして13時15分からオペ」と外来とオペ室で相談して病棟に連絡してもらった。自分の外来も最後に予約なしできた初診の2名が、脳梗塞疑いでMRIを撮らないと行けなくなり、バタバタしたが12:45分にはなんとか外来をすました。後は手術になる家人に説明してオペをすれば、良いと思っていたが13時になっても全く家族が来ない。連絡してもらうと「ずっと連絡を待っていました」と言われて、初めて「家族には連絡が、全く朝から行っていなかった」と判明。患者の自宅が近くだったので、急いできてもらって、30分遅れで、手術は問題無く終了した。原因は、外来看護師が「13時にICをして13時15分に入室」と病棟看護師に連絡した場合は外来看護師が緊急でも無い場合、家人に連絡することは一般的にはない。家人への連絡は「家人に病棟に来てもらわないといけない」ので、従来は病棟看護師が外来からの連絡をうけて、家人に連絡をする。その時に、入院に必要なものを持ってきてもらう事も含めて、入院の段取りをしないといけないので、病棟看護師の仕事である。そのときには「手術の説明」だけでなく「前日の救急搬送されたときに説明した、入院に必要な物品のことなど、あるいは必要な書類への署名」などしないといけないことはたくさんある。まあ、病棟の電話をうけた看護師が「今年入職した,まるまるの新人看護師」だったので、「13時にIC,13:15分に入室」と別の看護師にそのまま伝えた。伝えられた別の看護師は「家族への連絡はついたもの」と解釈をするであろう。
まあ、「伝言ゲームあるある」である。「連絡不足ですみませんでした」と謝罪から説明が始まった。こちらは「謝るのも仕事のうち」なので、自分は頭を下げたりすることには全く抵抗がない。昼食も食べれずだったが、それはいつものこと。家族が遅れてきた間にバナナとパンを食べれたので、マイナスからの逆転であった。
その後は、漸く病棟回診をすまして、オペ記録書いて、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、コングレスのオンデマントを1単位聞いた。
6月15日(土)本来は、外来の日ではなかったが、都合で5名だけみた。後は病棟の仕事をして、急いで自宅(岡山市)へ帰った。17:30からの山崎育三郎のコンサートを見に行った。3時間に及ぶ2部構成の豪勢なショーであった。歌は、なにか全部同じに聞こえたが、ミュージカル俳優なので、そうなるかも。祖父母が岡山で毎年小学生の頃から岡山には夏休みなどは来ていた話で、小学校上級生の時は山陽放送のラジオ番組にでて「少年時代」を歌ったなど、時代を感じさせるエピソードを語っていた。
6月16日(日)朝食後、いわゆるペットショップの「アミーゴ」にいって、黒めだかを3匹購入、これは、普通に黒っぽいもので一匹が80円であった。他に安い透明なプラの容器を3個1000円で購入。これは、1週間で全滅した。なにが悪かったのかの検討を。なかなかメダカも難しい。後はMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に戻って、コングレスのオンデマンドを聞きながら、試験の採点、これがまた88名ぐらいあり、大変。脳ドック認定医師の手配をしていたが、一般会員は7月からと書いてあって、振り込み手続きは取り消しにした。
6月17日(月)
6月19日(水)この日だったかどうか、大学から電話、要は、「県北の公立大学の講義は、遠すぎて、大変。人材を割くのも時間を割くのも大変。おそらくコロナの頃はリモートでwebで授業しただろうから、いざとなればそれで行うのはどうかと教授とも相談したと医局長から電話あり。まあ、都会の大学ならそれもありかも。自分はコロナのころは、大きな講堂で窓を開け放して、机の両端に学生さんにすわってもらって授業だった記憶がある。webではしてない。田舎なので風を通せば、コロナにもならなかった記憶がある。
6月22日(土)朝から雨が降るとの天気予報だったが,6時に集合場所へ行くと,「水がないので釣りにならない」とのこと.急に川を変えることになって,行った川が結局は結構歩かないといけなかった.堰堤を3個ぐらい越えたら,急に連れ出した.時間的なものかもしれないが,自分の予想では急に連れ出したのは,「そこまでえさ釣りのヒトが入ってきていなかったから」だろうと解釈した.目の前にフライが落ちたらイワナが食ってきたので間違いないと考えた.堰堤では同行したヒトに,バシャンとまずまずのサイズが疑いなく来てくれたので良かった.その上の堰堤の反対側の端にイワナが3匹ステイしていたので,勉強になった.その後は,雨が降り出して,川通しである程度帰って,途中から林道にでて,なんとか帰り着いた.自分透明なカッパをもっていたが,もう少し普通のレインジャケットを持って行けば良かった.「雨が降る」という予報だったのに.まあ持っているので次回は.
なんとか車のところに戻ってきたら15:08であった.そのときは土砂降りに近い.その前から個人的に気になっていたのが,wading shoes内がボチャボチャ音がするぐらいにぬれていること.だんだんおかしいとは思っていたが,間違いなく,ネオプレーンソックス部が破れているとわかった.まあ左足関節の固定のバンデージもびしょ濡れ.その後は,車でキャンプ場に直行,16時過ぎには到着.その後は延々と楽しい宴会だった.ボテジャコ,イノシシの肉などおいしかった.自分は一時,マイブームだった「ほりにし」を3本まとめて購入していたので,一本を提供した.普段,医療関係者しかまわりにいない自分にとって,別の職業のヒトたちと穏やかな話ができるのは本当にフライアングリングをやってきたからである.趣味を通じて世間話をいろいろできるのは,本当に楽しい.痛飲というほどではないが,アルコールが弱い自分としては飲んだ.ぐっすり寝た.歯ブラシを忘れていっていたのが失敗.忙しいと山小屋で一泊するのもいろいろ忘れるもの.
6月23日(日)11時ぐらいに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に車で帰ってきたが、やや頭がボーッとする。前日に気がついたが、両方の足にウェイダーのソックス部分から水が入る。これではだめ、調べてみたら2022年3月に購入。保証書もついている。修理に出して1,2ヶ月かかる。同じ商品を調べてみたら、2022年は定価が53000円だったのは今は75000円に上がっていた。円安の影響はひどい。同じ商品が22000円も上がるのはどうか。現在1ドル159円、2022年3月は1ドル116円であった。単純計算すれば1.37倍、それをその当時の商品価格にかけると72610円になる。郵送費用も人件費も上がるので、75000円は適性価格の印象がする。
しかし修理に出して、2ヶ月もかかるのは困る。その間のお助け用の安いモノを購入するかどうか。自分はwaderはfront zipのものがお好み。すぐに着脱ができて、排尿もすぐなので、非常に便利。日本製の安いものを買うか悩む。
6月24日(月)太ももなど、とにかくいろいろ痛い。
6月27日(木)自宅(岡山市)に帰って、なんとか、昔の自分のwaderがでてきた。当面使えるかも。あたらしいのを買うと8万円かかるので、ほんとに助かった。
6月28日(金)出張準備で気がせいて、東北の店にwaderを送り返せなかった。ちょうどかわいていたが、なかなか、大変。
6月29日(土)
6月30日(日)天候不順で、20分ぐらい飛行機が遅れて、到着