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2024年 1月 私生活

1/1()遅めに起きて、年賀状確認。今年も減少。昨年は喪中葉書を出したので、来なかった。その間、異動などで住所の変わった人もいる。こちらも段々、住所管理も面倒になってきた。もう20年も30年も会っていないヒトはたくさんいる。
13時半に吉備津神社に。ものすごいヒト、マスクのヒトも半分以下に。今年のおみくじは、末吉、小吉と良くない。その後、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰るべく、ナビに沿って進むが大混雑。大失敗、そこは最上稲荷への通過点の道だった。4時間かかって高速に乗った。途中のセブンイレブンでトイレに行こうとしたら、トイレにも25人以上並んでいた。
コロナは完全に終了、昔は初詣はいつもこんな混雑だった。
研修医の時、31日にある病院で当直、元旦の朝、その病院を出発して17時半から別の病院で当直だったので、車で出て早めに着いたら何かしようと思っていたが,初詣の車で普段なら1時間で着くところが5時間かかって,漸く間に合ったことを思い出した。
研修医の頃は、年末年始は全部、外の病院の当直だった。元旦に自宅(実家)に帰れたのは医師になって6年目だった記憶がある。
1月2日()朝から入院患者が再々出血で危篤状態。病院へ行って仕事。
夕方は、なんとかMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)で休憩。
1月3日()別の疾患で2日に入院した2名の患者に指示。ということで、三が日は延々と働いた。疲れ切った感じ。毎日数時間は病院で仕事をした。

1月4日(木)仕事始め、外来も手伝って指示も書いてと休む暇も無し。17時には出発して歯医者へ。昨年から歯が今の今、3本欠けている。最初は月に一回だったのが、さすがにそれでは時間がかかり月に2回に増えた。行ったり来たりで頭がグラグラする。自宅(岡山市)で年賀状の返事を書いて、車の任意保険の継続をした。なんか「てんかん学会」の年会費13000円が自動で引き落とされていた。これはやめても良いものと思われる。急いで退会しよう。
もう、昨年の11月18日の「認知症サポート医」の資格が最後の資格で十分。
歯もボロボロになったが、目も見えにくくなった。それまでは50歳すぎても眼鏡無しで1.5、2.0と見えていたが、近くが見えにくくなった。もともと「モノヴィジョン」で近くは右目、遠くは左目での生活だったが、近くが見えにくくなった。手術は右目。フラフィッシングの遠くに浮いているドライフライは左目で見ていた。それも出来なくなってきた。要は老眼が入ってきたということ。もう、人生の最後の時期に会わせた生活を。
1月5日(金)今年の外来初日。午前中のみだったが、新患の3名のMRIで,最後のヒトが鼻腔内から蝶形骨洞当たりに塊がある。そんなこんなでいつものように午前のみの外来が14時前に終了。いつも多すぎる。この日に3名が退院。回診というか顔をみるヒマもなかった。
1月6日()なんとか無し無しの日なので、12時半まで病棟の仕事をした。カポックという観葉植物をDAISOで100円で購入してきた。以前,多肉植物を部屋で育てていたが、あっという間に全部枯れてしまった。さらに,以前もドラシネを部屋に置いていたが枯れてしまった。観葉植物、多肉植物は維持するのが大変。又涸れるかもで、100円の観葉植物で十分。

Todo :てんかん学会を退会。
裁判意見書。

1月8日(成人の日、しかし11時過ぎには病院へ、一日かけて裁判の意見書をだいぶ書いた。夜24時前にMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に、風呂のお湯をいれて、はいろうと思ったら、うとうと寝てしまった。
1月9日(火) 朝一からMRIの故障。段取り、さらには転倒して救急搬送された患者さんは脳挫傷と頭蓋骨骨折ありで入院。外来日ではなくて、午前中に3名、午後2名。時間外ぎりぎりの紹介に対応。夜は、裁判の意見書が済むまでカルテ、他の書類はかかないと決めている。
1月14日(

やはり、記録がないと、この間に自分は何をしたのか全く覚えていない。

1月26日(金)この日から病棟の患者の患者が発熱しだした。
1月29日(月)この日に自分の患者も発熱、調べるとコロナ陽性(+)
その日からドンドン患者が(+)になり。2月6日には全部で100名中27名(+)になった。自分の受け持ち患者の13名中8名が(+)になった。
まあ、この記事も書けなかったのは、土日は全部、裁判の意見書を書いていた。
2月4日()には、完成して、月曜日には郵送できた。文字数は22000文字になった。精魂尽き果てた感じ。

 

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