1)2026年2月から働いている病院を「O現病院」、「今の病院」
2)直前の8か月研修に行った病院を「O1前病院」。髄液漏の技術研修。
3)その前の8年8ヶ月通った半単身赴任の県北、真庭市の病院を「M2前病院」、
  地域医療中心。高齢者多く「認知症専門医」、「認知症サポート医」取得。
4)その前の岡山市の病院、都合12年間働いた病院を「O3/5前病院」
(前期3年7か月、後期8年5ヶ月にわかれる)専門病院で手術をたくさんした。
5)岡山市の病院から赴任した高知県県市病院合併の大きな救命救急センター
「K4前センター」と記載。ドクターヘリに乗ってその後、救急専門医取得。
6) 
その前の大阪の病院は1998年から2001年なので「O6前病院1998」とする。
7)それ以上の前は、専門医を取りたての高知県の「K7前病院1995」にする。

8月1日()無事 15時に奥さんが迎えにきてくれて、2ヶ月に及ぶ入院生活も終了。自宅に帰った。大戸屋の「エビ卵とじ丼」になにを思ったか、山椒をかけて、滅茶苦茶うまかった。もちろん病院食を悪く言うつもりは全く無い. しかし、ほぼ「サカナの切り身」がメインディシュで、煮たり、焼いたりであった。それと食塩の制限があるので、とにかく「薄味」でした。2か月弱食べると、ほんとに、「もう十分です」と言いたくなる。自宅に帰って、アマゾンで購入しておいた一個1.5Kgの重りをつけてリハビリをしてみたが、歩く距離自体が半端ないので、大殿筋の腸骨起始部が痛い。
8月2日()この日は、朝から車の運転ができるか、要は出勤ができるか確認のため、車に乗って病院へ。さすがに働き方改革で、誰もいませんでした。しかも、確認すべき書類もなし。面白くもなんともないので車で入院していた別の病院へ。そこへ行く途中で電話がつながらない散髪屋がやっているのを確認。夕方に直接行って次回の予約をした。別の病院から自宅までの距離と時間をはかった。8.7kmで18分かかった。そして久しぶりにヒトカラに行った。なんか、何を歌っても86点台だったので、拍子抜け。音程が79%ぐらいまでしか正解でない。いつも思うが、85%は正解になりたい。
夜に実兄から電話、2時間。今回の誕生日で2回続いた雇用延長が、終了するとのこと。周りの4人ぐらいの話を聞いたら、「今までお疲れ様でした。本社で70歳まで働けたことはすごいことだと思います。」と周りの人は話をまとめたいようだが、兄としては、「週に3日ぐらいでも続けて働きたい」との希望。もちろん、時々、社外の外野?から、70歳なんてまだまだ若い。もっと働けばいいじゃないという意見を言われるような。兄自身は、給料は安くなっても良いからなどといろいろ話をしたようだが、そもそも、大会社の本社で社長も62歳ぐらいのところが、1)会社は給料が安くて良いなら、若い新人を雇う。これからのAi時代を乗り切るなら、2,3年後が勝負なので、70歳の人の2,3年後が将来有望などとは全く考えにくい。PCで計算してAIで段取りしたら、新人が2年かかって出来るようになった計算が1時間で出来たと、あの有名な電通の時短担当者の本にも書いてあったと思う。3年目の社員が到達出来る時点まで、今のAIなら1時間で到達できる。しかもビッグデータなどでも、夜間も大量に計算をノンストップでしてくれる。1日あれば、大問題も答えはでる。それを地道に高齢者が計算していって、7日後に正解をだしても何も会社としては得はない。すでに年金ももらっているのに「さらに必要」となれば、必要なのは「今の会社で働く」ことではなく「現金収入」なので、思い違いをしていると判明。すでに60歳で多くの同僚が定年退職。さらに65歳でも退職。その上にさらに70歳まで働けたということだけで、立派である。話を聞いていると、個人的なつながりが全くないと判明。典型的な「会社人間」である。そこの職場を去れば、だれも知らない様な印象。しかし、地元の別県の繁華街のど真ん中の実家にも定年退職前に引き継いだ小さなアパートの賃貸会社の必要経費で帰れるし、すめれるし地の利がある。中学、高校の友人達もいるだろうと思う。なんか負け戦感がただよっているのは、「60歳ぐらいから、今後はどうする」ということを全く考えていなかったような。「しがみつく」のは70歳までであろう。ということで、2時間に及ぶ相談を終えた。心配。後日、電話で60歳で延長、65歳で延長とのことで、そのときも、「自分はその後、どうするか」一切、考えたことが無かったような。自分の長所、雇ってくれるための秀でた部分など一切考えたことがない。内勤の見積り部門は収益を上げる前の計算部門であり、現場が作り上げてはじめて収益を上げるので、如何に優遇されていたかが70歳になる前に初めてわかったという、お気楽ぶりには驚いた。

8月3日(月)この日から出勤。午後に外来にいくと、「あれ、外来があるんです?」と職員が聞いてくる。自分は連絡をしてあったが。8月の段取りをする。
知らない間に、自分が主治医の2名入院患者が来ていた。
8月4日(火)
8月5日(水)この日は、午前中外来。自分は片頭痛、髄液漏を専門にしたいが、なかなか、メインの患者群はこない。交通事故などが来る。なんと最後に来た人が、片頭痛の患者さんで、実は岡山県北の人で自分が月に2回行っている病院がもっとズッと近いと判明。紹介状を書かないと。この日の夕方に病院のトップ2名と相談。これは自分が強制退院させられた件についての話であった。まあ、こちらは大分押さえて意見を表明しておいた。

8月6日(木)今日は午後から外来。なんとか17時過ぎに済んで、早めに職場を出て、杖を貸倉庫というが貸しトランクルームに取りに行った。フライフィッシングの時に川渡りの時などに使っていたもの。実は、それはよくなかった。
8月7日(金)貸し倉庫から取ってきたトレッキングポールは、先端が廊下や医局のなかで、「カチンカチン」と音が高く鳴る。久しぶりに、本業の中の本業の髄液漏の硬膜外持続注入カテーテル留置が来た。久しぶりにしたが、きれいにできた。透視で最後にレントゲンを一枚撮っておいたほうが良いとわかった。
8月8日()この日は、さらに外来。また髄液漏の患者が自分で調べて自分の外来に来た。MRIを撮ったが、自分の指示不足であった。「後頭蓋窩下半分から頚椎にかけて」という指示ができていなかった。しかし漏出はあった。早く硬膜外持続注入カテーテル留置をしてほしいと言われて、8月10日に予約をいれた。急に忙しくなってきた。
8月9日()なんとか、8月7日にチューブを留置したヒトなどを回診。予約患者が7名ぐらいいるので、2か月入院の遅れを取り戻すべく、突貫工事の印象。
8月10日(月)午前中は、膝のオペをしてもらった病院へ行って、レントゲンを撮ってもらった。まあ、なんとか10時40分には帰ってこれた。経過はまずまず。筋力低下が大変。帰って来てすぐに硬膜外チューブを一人抜去。この方は退院。次の人が11時に入院。午後の外来で、40日以上前から運動性失語の人が自転車で来院。これは間違い無くBrocaの周りの脳梗塞に違いないとMRIを撮ると、予想以上に広範囲の梗塞だったので、即入院となった。14時15分から急いで硬膜外チューブを留置した。外来の合間に留置。バタバタ。翌日が祝日であることが唯一の気持ちの余裕。
8月11日(山の日 とにかく休日でも、硬膜外持続注入カテーテル留置のひとは自分の入院中に7名ぐらい予約が待っていたので、連日回診して、問題無いように退院してもらわないと、機器が1台しかないので注意が必要。 頑張れば週に2名できることもある。
8月12日(水)
8月13日(木)自分が14日は夏休みをもらうことにした。留守中の退院のヒトのサマリーは前日には書いた。午後の外来もそれほど来なかった。
8月14日(金)今の病院は盆休みシーズンでもカレンダー通りのお休みなので、この日一日は夏休み、翌日の土曜日は半日の有休をもらった。これで有休も残9日となった。朝、7時過ぎに病院、病棟回診。当日のカルテをかいて、そのまま実家へ出発。混雑した部分のど真ん中に病院があるので、後は街中をぬけて高速のインターまで行くのは意外と速かった。盆休みでも、高速は意外と空いていた。ACT(active cruise control)が付いているので、速度を一定にしてのんびり帰った。右膝の負担を考えると、帰り道の大半が高速道路というのは、本当に楽。昼に帰りついて14時から母親のおみまい。その後にカラオケに行った。盆休み料金も、それほどバカ高い訳ではなかった。自分もカラオケは大分なれて89点はでるようになった。しかし90点はまだでない。新しい歌ばかり歌ったからか。観光客が結構歩いていた。夜に、定年退職の直前にまだ、結構な額の借金があるという実兄の話を聞いて、周りにもたくさん、そういう人がいると聞いた。
一般論として、都会のマンション、一戸建ては異様に高い。暴騰というレベルである。それなら、今売れば大もうけができる計算。しかし「都会が好き」という人達にとっては、地方の中都市なら倍の大きさで半額で一軒家が買えるなどは、「何を言っているの、それの何が楽しいの?」ということになると思う。
世の中のリタイヤした人達が、2,3年後に困窮する話は、まとめて入った退職金が、それまでの生活をしていたら、あっという間に激減したというストーリーが多い。退職金で自宅のローン借金も一括返済、あとは年金で悠々自適などが一昔前のお話。少し時代が近づいて、生活費が高いので退職後に急激に貯金が目減りして、なんとか日銭を稼ぐために警備員、コンビニ店員、駐車場の案内ががりのバイトなどをして、一日数千円稼ぐというのが、お決まりのお話であった。
しかし、いろいろ話を聞いていると、「70歳」では無理な仕事である。
次の世代の退職事情ということになる。退職金では全額返せない。さらに働きたいが、
まわりは、「長いこと活躍してくれてありがとうございました」というねぎらいの言葉とともに、次の世代との計画を立てている。
ひとつ時代が進んでいると実感した。
いままで、自分の知っている家のローンは35年間で、最初の10年は金利も安かった。それから上がって35年で完済というお話。それは年齢があがれば、給料もあがるという右肩上がりの経済が前提になっていた。それが今は存在しないので、なんと「50年ローン」というものが出来ている。50年前にたてたマンションは一銭の価値もない。修理費、リノベの費用などかんがえて、なおかつ給料はあがらない。働き出して25歳でローンを組めば、払い終わるのは75歳である。転職は当たり前の時代。まず、普通に考えたら成り立たない契約である。死んでしまえば払わなくても済むが、途中で売れば、マンション、自宅はなくなって残りのローンを2000万円とか払い続けないといけない仕組みである。

実兄の話を聞いていて、「日本はもう、ダメな国」になりつつあると感じた。

8月15日(

8月17日(月)

8月18日(火)この日は「O1前病院」に手術の手伝い。右下肢の痛みがでる。タクシーで一番安い、以前の自分のアパートの直近の駅の階段が大変であった。思い出したのはエスカレーターも、エレベーターもその駅はないこと。無人駅であること。階段を19×3段あがって、14段×2回降りる。それが、去年の6月も大変だったので、自分は苦労した。時間を○時16分と勘違いしていて、実際は12分だったので、なんとかホームに降りて、電車の前まで到達したら、ドアがしまってしまった。残念。ひと便乗り遅れた。昼間は1時間に一本しかない。そこからまた新幹線の駅までタクシーで移動。なんとか乗って14時前に駅に到着。そのまま車で病院へ。14時半にCTM用の腰椎穿刺を行った。この日は、ペンシルポイント針が到着しておらず、普通の25ゲージで行った。なんか右膝も痛いし、気持ちも急く感じだったが、見事に入ってうまくいった。後は、雑用をこなしまくり。
8月19日(水)毎日3000歩ぐらいしか歩いていないとアプリで判明。これではダメ。
この病院で2例目のブラッドパッチ。細い針で採血したので、途中で凝固した。注入部位、量は100点であった。ほっとした。漸く本格的に始動しだした印象。
8月20日(木)この日は午後の外来の時間に30分使って、硬膜外持続注入カテーテル留置をおこなった。硬膜外持続注入カテーテル留置としては、3例目。

8月21日(金)久しぶりに7時に迎えの車が来て、「M2前病院」 へ。
8月22日()、帰って来て、今の病院へ回診。
8月23日()硬膜外チューブを抜去。本人が症状がゼロになったので、次の方針を立てることにした。硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ)も7回他院もふくめてしているので、手術になりそう。
8月26日(水)午前中も外来。新しい病院に来て3例目の(ブラッドパッチ)である。局麻の追加方法など課題はあったが、無事終了。頚椎4/5ぐらいから。うまくいった。
8月27日(木)カードの一ヶ月の引き落としが17000円ぐらいであった。これは今まで単身赴任で、電気代、水道代、ガス代など全部カードで払っていたので、毎月15万から20万は、かかっていた。学会の参加費、出張費、宿泊費も全部カードだったので、結構な金額になっていた。今は、アマゾンでの買い物もほぼ全くしなくなった。とにかくボールペンなどもあるものを使うようにしている。まあ、長いこと入院していたので、購入品もなかったからと思う。
8月28日(金)この日は夏休みを1日もらった。9時から12時まで、「アサカラ」と呼ばれるものに行った。DAM-Gだったので、点数はあまり伸びないが、とにかく久しぶりに行ったので良い気晴らしになった。3時間で飲みもの付きで700円はお安い。その後、20年前ぐらいに書いた本が再出版されたのか、出版会社から印税が振り込まれていたことの用事をすました。その振り込まれた銀行名を見てびっくり。なんと三井住友銀行○○支店だった。20年以上前には「オンライン、ネットバンク」というものがほとんどなかった。最初にできたネット銀行だった。銀行から銀行への振込料金は当時210円だった。県内にも支店はひとつしか無い。久しぶりに行くと、まず駐車場はなくなっていた。近くにの駐車場に止めて、はいっていって、通帳は前日机の中に埋もれていたのを発見したので、それを出して記帳してもらった。10年前に警察署から解剖の手伝い料金が2回振り込まれていた。そして今回である。その後、偶然、実印を鞄にいれていたので、それかもと思ってだしたら当たっていて、無事に解約が出来た。少し小遣いが増えた。全部で11000円。さらに今となっては、使わない口座がひとつ無くなった。なんとなく、終活のひとつが済んだ感じ。徐々にシンプルにしていかないと。その後、夏休みの1日にもかかわらず病院へ。とにかく土曜日に退院する患者さんの主治医意見書をかかないと。情報、データは集めた。さらには歯医者が18:30だったので、急いで行った。出版会社には、連絡しておかないともしもう少し本が売れたら、今の銀行口座がなくなってしまっているので注意。
無事、夏休みも終了。と思っていたら、国税の第一期の督促状が来ていた。調べるとE-taxのヒトには6月11日にメールで催促状がきて、払わなかったら督促状が郵便でくるらしい。
金額は125600円。厳しい。もう一通、企業老年年金の封筒が来ていた。令和5年からの分が合計50万以上入るようなことが記載あるが、書類を4枚準備をしないといけないらしい。
一日で1)銀行口座解約、2)国税の支払い(これはネットバンキングで出来る)3)企業年金の手続きの開始と、夜中まで1日取った夏休みをを満喫した。
「高齢労働者の夏休みは終活の一部」と納得。
8月29日(土)この日は、自分が外来と思ったら、違う先生が当番だったので、病棟の仕事ができて、昼ご飯は近くの寿司屋にたべに行けてほんとに遅れを取り戻した気分。
8月30日()この日も9時から11時までアサカラにひとりでいきました。自分は何♭落とすかを曲ごとに違うので、それをスマホに入れた。後は、月曜日からまた大量の患者さんが入ってくるので、その準備をした。その後は、記憶がない。
8月31日(月)外来は午後あったが、「リハ前外来」の外来患者さんが大半で、全く自分の専門知識は役に立たない人が多い。まあ、ブラッドパッチの患者さんが入ってくるので、段取りをした。

 

 

 

 

10月末には、今の病院をやめるかどうかである。

12月末でボーナスをもらって、やめるか。