2月1日(日)新しい職場は本当の意味で町中なので、車で周りを回ってみた。大通りを一つ渡ると、驚いたのは、めちゃくちゃ若い人たちが多い。皆自転車で行き交っている。基本的には専門学校やら予備校やら、大学が林立しているエリアである。18歳ぐらいから25歳ぐらいの人たちがメインの町。道路がまた狭い。車の制限時速も時速30kmであった。実際、それ以上の速度が出せるとは思えなかった。
2月2日(月)初出勤。本日より仕事、朝の全体朝礼で挨拶をした。後は、午前中は箱の荷物を荷台に載せて5個運んだ。荷物をunpackingした。午後から外来だが、その前に指を挟んだヒトがきて縫合した。レントゲンを撮ると異物?が入っている。なにかわからず再びあけた。何もなかった。金属ではない。どうも爪が割れて重なった部分が写ったような。確かに横からみたら爪の上である。その後、外来を17時半までおこなって、17時半からのパワハラの講習に出席した。初日は終了。外来は「リハ前診察」が途中に流れ込んでくるので、わかりにくい。
「リハ前外来」の他は、ほとんどが、「若いヒトで、車で後ろからぶつけられた」というヒトばかりで驚いた。脳外科疾患の患者はゼロであった。しかし、自分は3個前の病院で交通事故、特に後方からの追突に関しては、系統的な診察方法をマスターしたので、新しい電カルにセット展開をできるように入力した。
2月3日(火)この日は前病院の手術の手伝いにいった。朝、車で駅までいって、7時50分発の新幹線にのってZ市へ。手術は9時半から、予想以上に調子よく11時過ぎに終了。12時21分発の新幹線で帰って駐車場から車を出して新しい病院へ。新幹線往復6200円。タクシー往復4100円。駐車場代2400円と高かった。交通費はでないという噂であったがどうなるか。その後は、新しい病院でカルテの使い方。薬の手配、プリンターの設定など行った。相変わらずバタバタしている。後で調べたが、駅近の駐車場も特徴がある。5時間以上車をおいていたので、意外と駅に直結した建物の地下の駐車場が安い。1時間で100円違うと5時間で500円違うということになる。
2月4日(水)朝、
2月5日(木)この日は早出の日。8時前に到着。しかし何もなし。後は午前中に机まわりの片付け。午後はまた外来。「リハ前外来」が多く、全く、頭を使わない生活。
昼休みに、以前、4つ前に働いていた病院に当直に来てくれていた○○科の教授に偶然、遭った。その話では「あそこは、もう高齢化したのであまり手術もやっていない」様な話を聞いた。日本全体が高齢化すれば、医師も高齢化するのは当たり前。そこへ帰っても、次から次へと雑用が増える印象しかない。前の前の前の病院の話となる。
2月6日(金)朝、7時に迎えの車が来てくれて、なんとか8時15分には県北の病院へ。
今日は比較的少ない。午前午後で48名程度。夕方18時には夕食を食べて、なんとか、紹介状を6名書いた。他の書類も含めてへろへろになったが、午前2時にはすんだ。
シャワー浴びてねた。紹介患者を実は、自分の新しい病院宛に紹介している。
2月7日(土)朝8時40分から外来。なんとかすまして12時半には終了。食事、なんとか15時過ぎには帰宅。今週は疲れたというか行ったり来たり。
2月8日(日)昼に、コーヒーハウスというところに行った。鉄板でサンドウィッチを焼いてくれる。「街中(まちなか)」に帰って来たのを実感。
2月9日(月)この日は、午後外来のあと、居残りの外来、17時から19時までを行った。まあ、午後外来も「車でぶつけられた人」以外はこない。後は「スポーツ外来にくる生徒さん、アスリートばかり」なので、要は「リハビリ前外来」なので週に一回なら保険点数73点、2週に1回なら110点、毎週来る人が2週間なら143点になる。一回730円と1100円ということになる。多いときは、居残りの時に学校帰りの生徒さんが30人は来る。自分の専門とは全く別のもの。意外と高額でびっくり。
2月10日(火)この日は、いくつか工夫をした。8時前に駅の近くの駐車場へ。考えていたことは、最初の時よりは、駅の近くの駐車場でも少しでもやすいところに駐めた。5時間長だが、1650円で済んだ。最初のところは2400円だったので、だいぶ安く済んだ。なおかつ、大きな駅では8時にはすでに多くの駅弁を売っていることが判明。そこで、昼に食べるための駅弁を購入した。8時20分発の新幹線にのってZ市へ。まあ駅からタクシーにのって病院へ。手術をして、すぐに着替えて、タクシーに乗って12時21分発の新幹線にまたのった。帰りの30分で新幹線の中で駅弁をたべた。「こだま」なので、自由席もいつも、がらがらなので、のんびり出来る。なおかつ到着駅が「終点」なので、うとうとしても、乗り過ごす事がない点がすばらしい。移動時にとにかく楽をしないといけない。昼過ぎにかえりついて自分の車にのって今の病院へ。なんと右折するところを間違えて10分で帰り着くところを35分ぐらいかかってしまった。分単位の仕事、移動なのでとにかくミスをしないことが大事。しかし「駐車場料金が安くなったので、昼の弁当代が少しでて、帰りの新幹線の中で昼の食事もできる」ことが大きな進歩であった。駅から病院への車の移動で道を間違わないようにすれば、時間通りに帰れる。それから午後の仕事に入れば良い。
2月11日(水)建国記念日 久しぶりの休み。寝不足解消。近くの「杜の街〇〇」というところへ行った。とにかく近くに都会的なスーパーと食事処があるのがすばらしい。意外と価格も安い。便利な場所である。
2月12日(木)毎週、木曜日は8時からの早出の日。呼び出しも何もない。午後の外来、全く脳外科的な疾患患者はゼロであった。不完全燃焼というよりは、全く無燃焼というレベルであり、医局のPCなどの設定。
2月13日(金)朝から病棟まわって、さらに10時半から医療安全の講習1時間。ほんとに空いた時間の活用で非常に助かった。
2月14日(土)午前中外来、驚いたことには、外来には予約システムがない。呼び出しシステムもない。名前も看護師さんが、直接「〇〇さん、△番にお入りください」と呼び出すこと。これは10年は遅れている。1998年頃の病院はほとんどの病院がそうであった。名前を呼ぶのが看護師の仕事の一つだった。そうなると、各診察室に看護師が一名ついていないといけなくなる。人手が足らない。話を聞くと5月ぐらいには、「呼び出しシステム」が入るらしい。また外来の患者内容は、「リハ前外来」しかない感じなので、全く頭を使うことがない。二つ前の病院では、初期研修医の地域研修の一ヶ月の間に来てもらった時に、ひとり1分でしてもらっていた外来。驚いたことに9時には大学から若い医師がきている。脳外科の若い医師は「整形のスポーツリハの、リハ前外来」はしたくないと思うが、バイトなので彼にしてもらったら良い。頭痛などを訴える患者さんがきたら、こちらを呼んでもらったら良いと思う。まあ、全く自分のやりたいことは、今のところ達成度は「ゼロ」である。2か月はかかるだろう。
2月15日(日)記載していて、前の前の病院とか前の前の前の病院とかいろいろ出てくる。それぞれの病院で培ってきたノウハウが、今の今、それぞれの分野で生きている。記載方法が面倒なので、
1)2026年2月から働いている病院を「O現病院」、「今の病院」
2)直前の8か月研修に行った病院を「O1前病院」。髄液漏の技術を学んだ。
3)その前の8年8ヶ月通った半単身赴任の県北、真庭市の病院を「M2前病院」、
地域医療を学んだ。高齢者ばかりで「認知症専門医」、
「認知症サポート医」も取った。
4)その前の岡山市の病院、都合12年間働いた病院を「O3/5前病院」
(前期3年7か月、後期8年5ヶ月にわかれる)
専門病院で手術をたくさんさせていただいた。
5)岡山市の病院からの間に高知県の県市合併の大きな救命救急センターの病院を
「K4前センター」と記載する。
ドクターヘリに乗って救急専門医を取る直前まで働いた。
6)その前の大阪の病院は1998年から2001年なので「O6前病院1998」とする。
7)それ以上の前は、専門医を取りたての高知県の「K7前病院1995」にするか。
まあ、27年前にさかのぼるので、そこまでで十分であろう。
とにかく、前の前の前の前の病院でやってきたことが今、役に立っているなどは
その当時は、当然、予測もつかなかった。人生流転である。
今の今、何ともないのは、大阪の福祉法人の「O6前病院1998」で3年間働いていたおかげである。要は、患者さんで、いれずみあるのがあたりまえ。小学下級生も親が染めて金髪、密入国の○○人、オヤジ狩りでの頭蓋骨陥没骨折の緊急手術、バットで殴られるなどは日常茶飯事であった。中には失踪して戸籍もなくなっていたヒトなども運ばれてきた。認知症の奇妙な行動のヒトも、2000年ぐらいはまだまれな行動、BPSDだったが、認知症の勉強をした後は納得がいった。とにかくわかりやすく刺激的だった。その当時は、「米国留学中にはカルチャーショックは受けなかったが、ここにきて、新鮮なカルチャーショックを受けた」と言うのが口癖であった。おもしろく興味深かった。「日陰に咲いても花は花」「嘘800でだめなら嘘1600」など勉強になった。それに比べると、「街中、繁華街が近くなので夜職のヒト」が来たリするのは、なんでもない。まだまだ刺激が足らないぐらい。
2月16日(月)県の医師会に入るようにいわれた。去年の6月には退会していた。PCからはいるが、「医師免許証」の原本のスキャンしたものをドラッグしてドロップ、履歴書をドロップと家に帰ってなんとかできた。紙の医師免許証に変わる、カードの様なものがあり、それを持っておくと、なにか便利な時があるらしい。以前作ろうとしたが、3か月かかると言われて、間に合わなかったのでやめた。自宅のwindows 10のPCが古いものだったので、なんとかかんとか、前の病院の医局で使っていたwindows 11のグラボのはいった最大最速の最強戦力のPCと変更していっている。幾つか問題があり、結構、面倒である。現病院の医局には単身赴任時にアパートで使っていたものをセッティングした。何をするにも準備がとにかく時間を取る。
2月17日(火)朝7時半に家をでると、街中なので車の数が多い。登校途中の自転車の生徒さんも多い。信号でも、最後に走って来る生徒さん達もいる。しばらく田舎で生活していた自分に取ってはストレスだが、早く家をでて、早く駅に着きすぎても、駐車場代が高くつくので考え物。無事、8時前に駐車場にはいって、駅で昼用の弁当を購入。8時20分のコダマにのれた。11時50分にオペもすんで、12時21分発のコダマに乗って帰ってこれた。一番の心配は、病院の前にタクシーが待っていてくれるかにかかっている。駄目なら呼ばないといけないが15分かかるので、帰りの新幹線に間に合わない。今度は駅近く駐車場からの道も間違わずに無事に病院に。だいぶ慣れた感じ。前日に作っていた機材、機器の件に関しての用紙をお願いした。夜に認知症学会の専門医更新のお知らせが来ていた。なんと自分は学会のウェブ参加をクリックして聞いていなかったのか点数がはいっていなかった。50点必要なところで46点しかない。1年間の保留届けを郵送しないといけなくなった。この4月webseminarを聞いて9点入るので、なんとかなりそう。めげずにすること。
2月18日(水)この日は、外来がないので、自分の用事を。昼は病院内を案内してもらった。やはり新しい建物は、光がLEDの部分が多く明るい。暗いところで目がみえにくい自分にはよい。古い病棟は蛍光灯で天井も低く、今の基準ではない。どこも似たようなもの。医局は蛍光灯だが、本数が多く明るくで助かる。午後は論文書き。機材の代理店が、今まで聞いたことない会社だったので、段取りをしなおしである。
2月19日(木)
2月20日(金)朝、7時に迎えの車が来て、「M2前病院」へ。車の中で寝てしまった。気がついたら病院の駐車場にはいるところだった。75km、1時間半の車旅である。
当日の外来は、ものすごく患者さんが少ない日。17時には終了。自分に出してもらった薬も取りに行けた。血圧の薬が一週間足らず、1錠の翌日は半錠、次は1錠と内服してどうにかこうにかこの日まで持たせた。翌日からは普通量で毎日のめる。電カルによっては「指示簿」「異常時指示」などがあるが、自分は30個以上自分で作っていたので、それを抽出して印刷した。これを「今の病院」の電カルに移さないといけない。我流というよりは、毎回アップデートが大事。発熱時、痙攣時などの一般的なものの他、呼吸器をつけてプロポフォールで鎮静の指示など、ほんとにたくさんの指示を作った。これは、常勤が自分1名しかなく、自分が外に出ているときに当直医が相談の電話をかけてきてくれる時などに、「指示簿の中に私のいれてあるものがあるので、それを使ってください」と言うと、当直医、現場のスタッフなど全員が「主治医の責任」でこれこれをしていると言うことになって、気持ち的にも楽であろう。
2月21日(土)朝8時40分から外来。患者数は少ない。おかげで新患も診られた。いつもいつも少ないわけではなく、滅茶苦茶、多い日もある。これは患者さんが2週間毎、3週間毎、4週間毎に来る場合を考えたらわかりやすい。12週後には全員が来ることになる。いわば、波と波が重なってBig Waveになると言うときがあるということ。その次の週は、来ないことになる。すでに36名の予約枠に50人は入っている日があった。
2月22日(日)連休なので、なおかつ、(金)(土)は別の病院、(日)、(月)は天皇誕生日で祝日なので、朝は病院に患者さんを診察に行った。4日間も診ないのは心配。その後は、この日は高速バスで高知へ帰った。パークアンドライドがあるので高速道路のインター前の駐車場に自分の車をおいた。これがくせもので、近くに2カ所あって、以前は高知行きが止まらないほうの駐車場においてしまい、バスが素通りしてしまったので要注意。今回は、なんとかうまくおけた。運賃も値上がり、出来た当時は片道3000円だったのが今は4400円になっている。往復で7920円とだいぶ安い。バスの中で書き物をしようとしたが、眠気とバスの揺れで爆睡してしまった。PCが重い荷物になった。帰高して、すぐに母親のお見舞いへ。その後はカラオケへ。一日終わり。人生のやり残しは「○くことと△うこと」以下は、「W & S」と決めているので、もう一歩、今一歩ととにかく努力をする。
2月23日(月)天皇誕生日:2日間の母親のお見舞いもすんで、夕方18時半頃発の高速バスで帰ってきた。なんと、途中のSAで15分も休憩時間があった。今までは考えられなかったこと。15分早くついた方がよいのではないかとも思った。しかし、その間にお弁当を食べれたので、よかった。隣にヒトが座っていると食べにくい。以前は、JRの特急「南風」との競争の意味合いがあり、高知ー岡山間も時間、値段ともほぼ同じであったが、最近は「急いでも仕方がない」時代に変わりつつある。バスの中でも寝たのに、さらに早く寝た。
2月24日(火)朝から「O1前病院」に。移動もなれた。今日は駅近のさらに地下の近い方の駐車場にとめた。だいぶ近い。駅弁を購入してコダマに乗った。病院について、奥さんの「扶養からはずれる手続きの書類」ももらった。手術も無事に終了。地元駅に帰ってきて、はじめての駐車場で地下1階か2階かわかっておらず、バタバタした。後は「今の病院」に帰って回診。
奥さんのほうは、当日に区役所にもっていってなんと1時間以内に手続き終了。まあ、よかった。1月からの問題が解決した。少しずつ。その後、回診したときに、病棟が歓送迎会をするので、いつがよいか聞いてきた。スマホでスケジュールをみようとしたら、「許可」が降りていないので見えないとでた。初めてのこと。まあ、古くなったので、この土曜日にドコモショップを予約して機種も変更することにしよう。
2月24日(火)
2月25日(水)この日は、お勉強日。リンパ浮腫のLVAの手術を見学した。ICGでリンパ撮影をして、DB(これは、dermal backflowの略)でsplash, stardust, diffuseなどのパターンに分かれていて、要は、流れが悪くなった場所。その末梢のところでリンパ管と静脈をつなぐ手術のような。片足で、合計4カ所行う。しかも局麻。0.3 mmから0.6mm程度。12-0のナイロン糸で行うのは大変。一応、主治医をしないといけないとのことでなんとかかんと理解が進んだ。
2月26日(木)早出の日。というか毎日8時前には病院に到着している。どうしてかというと、今までは片道75km、88km というところに単身赴任だったのが、急に片道5kmになったので、同じようによりもさらに遅く出ても、20分もあったら到着してしまう。街中なので、早めにでないと通勤、通学の自転車、左横をすり抜けていくバイクなど注意しないといけなくなる。10分でも早くでることが大事。午後の外来も手を切ったなど休日診療みたいなものばかり。
2月27日(金)認知症学会の期間がおわって、更新の手紙が来たが、自分は50点中、46点しかなかったので、1年間保留のお願いを郵送する段取りをした。これは、ゆうパックで送った。4月半ばにweb seminarがあるので、それで9点もらえれば、無事単位がもらえる。1年保留で十分である。また、この日に「M2前病院」には認知症の指導施設の更新手続きの更新届けが来ていた。これはもう継続はしない方針。認知症専門医を取りたい医師は誰もいないし。
2月28日(土)外来。15時にはトランクルームの費用を払いに行った。その後は、ドコモに相談に行った。それは、スケジューラーが一時的に見えなくなったため、アカウントがおかしくなっていたので、行った。今のスマホは6年半前に購入したものと判明。ファーウェイのものなので、今は日本では取り扱いがない。いろいろ見せてもらった。
