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私生活 2022年3月

3月1日(火)母を転院させた.自分で自分の働いている病院から車に載せて搬送.朝9時に出発.個室だったので,一分後には「私は寂しい一人部屋はイヤです」とのこと.クローゼットに服を掛ける時には,「タンスにナフタリンを買ってきたいので,売店を教えてください」と,とにかく会話の内容がメチャクチャである.この半年で完全に認知症になった印象.15時には,段取りが済んだ.

3月2日(水)まだ,寒い.灯油が無くなって,暖かくなったので購入するかどうか検討していたが,「まだ寒い時もくるので,後18リットルは購入しようと決断」

3月6日()自分に取っては,初めての渓流の解禁釣行のつもりだが,川の横には雪が積もっており,しばらくすると雪が舞いだした.これは釣りどころでないので,すぐに撤退.
激サムという表現.

3月9日(水)この日は母親の手術の日.予め休みを取っていたが,「電話で説明のみなので,来てもらうだけムダです」とあっさりした説明だった.いかにも外科外科した医師の説明であった.

3月15日(火)夕方17時に,ものすごく遠くの上斎原の方から紹介があった.

3月17日(木)母親が手術をして、こちらにまた帰ってくる。 夕方自宅(岡山市)に帰って、ファミマに行って、なんとかマルチコピー機というもので、マイナンバーカードで印鑑証明書を発行できた。マルチコピー機というのが今までのコピー機が進化したものと知らず、料金を入れてくださいの画面でどこにお金を入れたらよいかわからず、戸惑ったが、店員さんに聞いてなんとかできた。コピー機の横に、お金をいれる小さな機械があったが、高さが低い。ユーザーにわかりやすいに様にするならば、コピー機の上面の高さと同じか少し高い位置に見えるように設置した方がよい。ついでに母親の入院時のカスタマーサービスセットの料金2万円ぐらい払い込んだ。それも、その日が締め切り。毎日ばたばた。

3月18日(金)脳外科のJNDというものを昨年の9月26日分まで記載した.脳外科専門医の更新に必要なもの.2021年12月末までの登録の締め切りが,3月末なのでなんとかしないと.一晩に数名ずつでも入れないと間に合わない.ヒト月に12,13名ずつ新規入院があるので,間に合うかどうかギリギリ.

3月19日(土)外来も一杯.自分は謎なのが,頭を打って数日後に受診してくるヒト達が,自分の外来日にくることである.まあ,段々そのようになる.2,3年で新しい若い医師が大学から手伝いにきてくれる.彼らは初期研修,後期研修がおわり,卒業後5年目以降の医師がきてくれているが,長期間ずっと来てくれるわけではない.要は2,3年おきに医師が変わるので,変わるときに,「来週から,新しい先生に代わります」とその医師が説明すると,それではと言うことでこちらの外来に回ってくる.一般的には「非常勤の,どんな先生が来るかわからない医師より,常勤の医師が何かの時も安心」なので,そのようになるのは致し方ない.中には他の病院で縫合してもらったヒトがCTを撮りに来る.それは良いが抜糸に都合の良い日は自分の外来日でないので,その日の医師に抜糸をしてもらう予約をしてもらうと,「先生では無いんですか」と聞いてくるヒトもいる.自分が最初に診たわけでもないし縫合したわけでもない.どの医師が抜糸をしても同じなので,他の医師が時間的に余裕があるので,お願いしましょうと説明をした.どうすれば良いか,働き方改革で考え中.

3月21日(春分の日.朝から雑用して,マツダに実印と実印証明症をもって行った.3月終わりには,中古のデミオで16000kmしか走っていない中古ディーゼル車にかわる.自分の乗っていたデミオよりは大分ランクが落ちるが,「どうせ,山の中を走って,傷をつける」ので,事故した車を15万円で下取りしてくれたのはうれしかった.修理代40万円に4月には車検代が17万ぐらいいるなら,103万円はらって中古を買うのが正解.11万キロを7年弱で走行.高速道路での通勤と,未舗装の山道へ入っていく走行と二本立てで,よく走ってくれた.ディーゼルで4WDというデミオはほんとに自分のニーズにあっていて,感謝の念しかない.日本に5ナンバーで4WDでデーゼルでトルクが強いという車はデミオ一択というところ.
ということでその日は,2台目の台車をに乗り換えて自宅(岡山市)に帰宅.車が来るのにも2週間はかかる.九州から帰って来ている,息子と家族で食事にいけた.

3月22日(火曜日)母親を朝,岡山市内の病院に迎えに9時半に到着.息子が春休み帰って来て,当日午後九州にかえるので,おそらく生きているうちに一緒に写真を撮れる最後の機会になるだろうからと病院まで一緒にいってくれた.その後,四国銀行に行ってキャッシュを引いて記帳もして今の自分のいる病院に13時には帰って来た.土日は大学からの若い脳外科医,日月は別の脳外科医が当直で来てくれていた.そうなると,脳外科の入院患者さんが増えている.総合病院で耳鼻科,神経内科があれば「メニエル病あるいはメニエル症候群」はそれらの科で入院になるが,そんなものがない田舎の病院では「めまいで起き上がれない」なら脳外科に入院になっている.(日)(月)と連休で火曜日に出勤すると脳挫傷後の症候性てんかん,転倒後の脳挫傷,メニエル病様の高齢者の人達が,当直医が入院させてくれていた.病棟に行くと,はじめて判明.「この人達は,全部主治医が自分ですか,そうですか」という感じになる.午後からノンストップでさらに仕事.疲れる.
疲れる理由は,急に22日(火曜日)に朝から朝から移動,転院させたこと.そのために外来の患者受診日を移動.簡単な手術を移動,産業医としての面談を断った.これは自分が産業医である.
それらの仕事を別の時間に割り当てるのも大変.
平均110人しか入院していない病院で15人が自分の患者さん.

3月24日(木)この日は,自分の健診.朝から絶食というか朝はほとんどいつも食べないが,検査に回った.久しぶりにバリウムを飲んだ.その後,すぐに仕事.13時から委員会,13時半から簡単な手術.なんか,身体がしんどい.トイレにも頻回に行く.後日,採血結果をみたら,心配通り,肝機能障害となっていた.これは脂肪肝の進行であろう.体重も増えている.身体も動かしていない.なんか毎日だるい.男の更年期障害のような印象もある.

3月25日(金)午前中,外来.最近の多い紹介は,「ギクシャク歩く」ヒトで「物忘れ」のある高齢者.真庭市で言う高齢者は85才以上を指すことにしているが,彼らが初診で県北の遠くから紹介されてくる.その目的は,「介護保険の主治医意見書」を書いてほしいということが目的.医局の机の上に,一回しか診察していない患者さんの「主治医意見書」が7人分たまっている.介護保険そのものが「認知症のヒト」向けに変わって行っているので,時代の流れである.午後からは,病棟.現在,5年目の内科,外科専攻医の先生が数名来てくれている.そのために,脳外科入院患者さんが増えた.
この日は,夕方に簡単な送別会.まだ宴会を大々的にするまで,多くの人が開放的にはなっていない.大皿ではなく、個別に分けた形で出てきた。今までとは異なる。

3月26日()外来の日,意外と患者さんは少ない.その間に病棟の仕事もした.2名が退院.15時には疲れて真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って休憩.夜もそのまま寝た.
3月27日()朝8時前から脳外科の専門医更新のための症例入力.JNDと言うものを行った.3月末が締め切り.最後の3ヶ月分を入力.昨年1年間の入院患者さんの記録を全部いれるという面倒なもの.昼食などをたべて,15時前には終了.朝から合計,7時間ぐらいかかった.達成感にあふれた.そのまま自宅(岡山市)へ.そして母親のパジャマ,肌着,靴下を買いに.ついでに収入証明書をファミマでプリントアウト,これは母親を施設に入れるときに身元引受人の収入があることの証明がいるため.意外と簡単にできた.さらには,自分が行っていたAI投資を解約して自分の口座に出金したいが,そこは,まず別の証券会社に出金されて,そこからさらに自分の口座にまわさないといけない.その二度手間が面倒だったので一定の金額を引くのではなく,「全解約」した理由.「Theo」というところ.悪いところではなかったが,SMBC日興證券の口座を新しい人は作らないといけない.自分は大昔に持っていたのでそれで良かった.そのパスワードがわからなかったので,苦労したが机の引き出しに書いた紙があって助かった.2008年にシンガポールに遊びに行った時に,カジノが出来るところへ行った.そこの部分の株をいれた投信がでたので,200万円いれたのが,半年で250万円に増えたので,全解約して車の購入資金に回した時に日興證券の口座を作った.今回,中古のデミオを購入するのに併せてまたその講座を使うことになった.奇妙な縁を感じる.

3月29日(火曜日)

3月31日(木)この日は、午後から代休をもらって、母親のためのグループホームを見に行った。軽度認知症までのヒトが入れる場所。母親が商店街のど真ん中に一人で住んでいたので、すぐに買い物に行けるところを希望している。岡山市は大都市に近いので、そんな町中には、グループホームはない。周囲の環境が大事。
自分の家の近くにのにも行ってみたが、近くは「人食い用水路」とも呼ばれる岡山市でも有名な用水路がたくさんある場所。要は、ガードレールや囲いがないので、すぐにヒトが落ちる。前につとめていた病院には、「1週間前に近くに引っ越してきて、夜に自転車で行っていたら落ちた」などで顔面骨骨折やいろいろな怪我で多くの人が運ばれてきていた。また2000年頃は、そこら近辺はたんぼばかりであった。今は多くの家に変わってしまっている。しかし田んぼと用水路は残っている。母親はそこ転落するイメージがわいた。

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