「海軍飛行予科練習生」の略で「予科練」らしい.
1943年,航空機が戦争の趨勢を決める時代がきて,
なんとかパイロットをたくさん養成しないといけない.
そこで,東宝で海軍がバックになって航空兵を募る映画を昭和18年に作る.
それが「決戦の大空へ」である.
まあ,自分が感じたのは,「航空機が決する」という意味は同じだが,その当時も人間が操縦する戦闘機,爆撃機で雌雄を決するというか勝負をつける時代.
そのエリート養成校の学園ドラマである.
それは,1986年のアメリカの「トップガン」と同じ発想.
米国では,特に平時では恋愛などもいれないと映画はヒットはしないが,戦争中だとなかなかその部分は困難.
時代が下って,今は,戦闘用のドローンが飛ぶ時代になってしまっている.
まあ「予科練」は練習生で,そこから「飛練」に選ばれて段階を上がっていくような.
トップガンはそのレベルの若者の青春群像を描いたもの.もちろんアメリカ海軍の大々的な協力がないと出来ない.
それ以降の映画は,大々的な戦闘機の空中戦などはなく,対テロの作戦を秘密裏に敢行するような映画が主流になった.大きな空母などはテロリストに核メサイルで狙われるターゲットになる場合がほとんで,あとは起爆装置をエージェントが解除するのがドラマの中心になるものが多い.時代はどんどん流れて行っているとわかる.
トム クルーズの代表作がトップガンからミッション インポッシブルに変わった様に,「航空機決戦」から「テロとの戦い」に時代は変わった.
この歌詞で驚くことがある.「轟沈した敵艦」の燃えさかる写真,あるいは,動画は
今風に言えば,「ばえる」写真で動画であろう.
不謹慎ではあるが,実際の動画があれば,それは再生回数はすごいモノになると思う.
「母に写真で送りたい」は今の時代のSNSの発想と同じである.
これは,軍歌ではなく戦時歌謡と呼ばれたモノだから,許された表現と思う.
軍歌なら,こんな弱々しいというか,本来の人間性を表出するような歌詞は許されないと思う.これが真実だからずっとヒットしたものと思う.
日本人が同じなのではなく,世界中のヒトが同じ考えなのであろう.
この歌が特攻隊の歌に変わっていったのは,悲惨でむごい.
「大和魂にゃ敵はない」は,ある意味無謀.
普通は「敵を知り,己を知れば」で戦力分析をしてから戦うモノ.
予科練は操縦士になれるかどうかの選抜をする学校だった.
飛行機も,操縦士の力量に頼る部分が大半だった時代.
AIとコンピューターでクルーズコントロールから攻撃まで全部やってしまう時代なら不必要な訓練もあったと思う.
それが戦争末期には,選抜などなく全員が片道飛行になっていったのは,残酷.
最後まで徹底抗戦を訴えていた軍部の人達も.原爆投下を知って
「これは軍事力の差ではなく科学力の差」なので,軍隊が戦う意味がないという趣旨の発言をした記録がある.
それなら,戦争をやめることの大義名分も成り立つ.
昭和18年は戦闘機,爆撃機も日本よりも米国のモノが優れてきた状況.
歌詞を聴きながら,歴史の転換点,その後の歴史の流れ,人間の本質,変わらぬ心情などが感じられる.
75kmの距離を,車を運転しながら通勤途中に聞いている.
時代はどんどん変わっていくとわかる.
この歌を聴きながら10月22日,結構な雨の中を高速道路を通って帰宅途中.
勢いに乗って運転していて,降りないと行けないインターを通り越してしまった.
雨で景色が変わっていたのも事実だが.
もう一つ先まで行って降りて,またのってで20km以上無駄に走ってしまった.