8月24-27日は北海道に夏休みで遊びに行った。
9月1日(日)この日は、新しい教授の就任お披露目式で駅の近くのホテルでパーティ?があった。そのとき、自分が医師に成り立ての時の上司が、わざわざ九州から出てこられていたので、40年ぶり?にお話をした。「先生は、紅顔の美少年だったなぁ」と言われてびっくりした。その当時25歳ぐらいだったので、そのような言われ方は一度もしなかった。
9月3日(火)薬会社の「自分の作ったスライドに対して」、わけのわからぬ指摘にむかついて、一晩眠れなかった。「田舎の医者」と思ってなめたまねをしてくれたと感じた。まあ、自分の個人の評価と今の自分が働いている病院の評価の違いなどが影響しているだろう。県南に行けば、今の自分の勤めている病院など、名前も知らない人が大勢いる。「病院の知名度」と「医師の知名度」は別の話である。
「自己評価」と他人からの評価はどちらが高いかという統計がある。それは「他者からの評価」が低いのが普通で正答である。それは、「自己評価」は自分がマックスに出来た時の評価を「自分はここまで出来る」と評価する。まわりからの評価は「普段はこの程度」と毎日の評価をしているので、「最大限の努力をした時」など見ていないので、評価は低めなのが、当たり前である。今回は、自分もそれに当てはめられたというお話である。
9月5日(木)とりあえず、個人的には岡山県北への恩返しの意味があった、薬会社主催の講演会を18時半から19時まで行った。疲れ切った。薬会社の本社のスライドチェックがかりというヒトは、こちらに言わせれば「現場も知らぬ、知性のない大馬鹿野郎」の印象を受けた。こちらが「患者から聞いた情報」をスライドに列挙したら、「参考にしたものをあげてください」とスライドの訂正があった。参考文献など無いよ。「患者から聞いた、生の情報だから」無いのが普通。むこうは、自分の仕事をしただけであろう。なにも困らないだろう。こちらは、腹をたてたのでそこの会社の薬を使っていたヒトは、5名ともに別の会社の薬に変更させてもらった。もちろん患者さんには「説明と同意」が必要。「自分は、なにも困らない」のは、「本社のスライド係」と同じである。これで水に流すことにした。
ある意味、「薬会社がバックの講演会用スライド作り」の勉強にはなった。
今まで「A」の薬が効かなかったので、同様の作用の「B]に変更して効いた確率は30%程度であった。しかし「A」が良く効いていた人を他の「B」、「C」に変更したというデータはないので、少数ながら良いデータになり、簡単な学会発表はできそうな印象もある。自分のモットーの「マイナスからの逆転」である。
これで、正式にセカンドライフのスタートです。後、7ヶ月。
体調を戻す。面談に赴くなど。To do Listが満杯である。
左足関節の靱帯損傷が改善したのが大きい。昨年の9月3日受傷なので、1年かかった。
その間に、人生そのものに対する考えが変わった。
7ヶ月、階段の昇降ができないのは、だいぶ応えた。
体力も落ちた。
9月7日(土)この日は外来(-)なので、病棟の患者さんを回診して、すぐ帰るつもりであった。それが他院から転倒後の頭位変換性めまいの90歳以上の男性。温泉に入っていて,けいれん重積の男性の救急搬送など、入院患者がドンドン運ばれてきて、病院をでたのが16時ぐらいになった。「働き方改革」が聞いてあきれる。
9月8日(日)体力は戻っていないので、遠方への遠出はやめて、湯原温泉に14時頃入りに行った。結構な人で驚いた。普段は夕方以降に行くため、休日の昼間の人手の多さを少しあまくみていた。コロナの終焉も人手には影響しているだろう。入浴場で驚いたことは、小さいながらも木製の水風呂が隅っこに設置されていたこと。これはサウナの流行での「整う」ための必須ものなので、良い傾向でしょう。なんか気持ちも前向きである。
9月9日(月)久しぶりにバドミントン。体力低下と関節可動域の狭小化を実感する。
少しでも「遊べる身体」を維持しよう。試合で、前に落とされたシャトルを拾いに行って、筋力でストップできず前方に転がってしまうのは自分だけ。
9月12日(木)この日に退院したヒトの息子さんが「土曜日なら連れてこれる」とのこと。郵便局も土日、休日の通常の葉書、郵便の配達をやめている。ゆうパック、速達は毎日配達しているらしいが。働き方改革がそれだけ進んできている時に、自分の仕事が土曜日やすみだからと言われても、こちらも、月に2回、サービスで土曜日は外来をしているが、循環器科も受診しないといけないので、近医に紹介になるだろう。病院はコンビニとは、だいぶ違う。各国の専門の料理を扱う修行したシェフの集まりみたいなもの。一般人のバイトのヒトがそれぞれの異なった料理を作るモールの中にあるフードコート等と一緒にしないこと。
国がお金をだしているので、一見すると同じに見えるのであろう。みな、他の職種に関しては、「無関心」なのはあたりまえであろうと納得。
9月15日(日)朝から疲れた。なにもしないとアウェイなので、つまらない。地元でも無い。外へ出て行っても、店もなにもない。映画館も本屋も無いエリアなので、どうしようもない。なんか、うつ状態になりそうなと思っていた。
びっくりした。夜に電話があった。親族が「自分の言い方がきつい」ので、それを聞いて、横で聞いていて、言われていない娘が気分不良で嘔吐するとのことで相談。怒りっぽくなる中高年男性の話は時に聞く。「怒りっぽいヒトは認知症になりやすい」などの本も出ている。実際は「怒りっぽくなった」は症状のひとつである。「易怒性」がでるのは「我慢ができなくなる。」の意味。特にヒトに対して「過剰な要求をして、かなえられないと怒る」というのが多いパターン。それはなぜか。「自分が出来なくなっていっているから」である。それを無意識に認めたくないので、「ヒトを攻撃することで、自分の能力低下から、自分およびまわりのヒトの目をそらす」のが隠れた目的である。要は「自分は、もう出来ないのであなたにしてほしいのに、してくれないのはなぜか」と怒っているわけである。理不尽か非常識かもわからなくなってきている証左である。ヒトに強く当たり出すと言うことは、自分の能力が無くなっていっていることの傍証である。そのように説明した。もう、締め切りに追われる仕事などからは手を引くのが一番、気持ちが安らぐと説明をした。若いときから壮年までは「仕事量」「できること」「他の人とのつながり」を増やす時期。そしてそれを維持する時期が次にくるが、いつまでもはそれは無理なのだが、もう無理と「認めたくない時期」が必ずある。その時期であろうと説明をした。
人それぞれの、「実感する時」は異なる。
9月16日(月)(なにかの祝日)2年ぶりにフライアングリングに行ける人から電話。頑張って行った。5分で20cm弱のヤマメが釣れてとどんどん釣れるかと思ったら、それっきり。2年間で雑草が生い茂り、1本目の川は入れなくなっていたとのこと。2年の月日は、自然にも長い。後は、中流河川で大きなニジマスをねらって、深いところにニンフ、ウェットを沈めたが流れが速くビーズヘッドをつけた2連の仕組みでも沈まない。底にいる大きなニジマスに届かない。
そこでひらめいて、もう一個、重いウェットフライをドロッパーとして付けたら、1回目の流しで見事に来た。50 cmクラスであったが、サカナについていけず外れてしまった。まあ、うまい人といくと勉強になる。個人的には多幸感に包まれた一日でした。
9月17日(火)本日の新聞記事。100歳以上は95119人。女83958人、男11161人。
1963年は153人 昭和56年1000人 平成10年1万人超えた。との記事有り。
10万人あたり最高が島根県の159.5人、次が高知県 154.2人、鹿児島130.7人
最小は埼玉45.8人
9月23日(月)祝日:
9月24日(火)この日は、午前中に翌日の手術の段取り、13時には出発して米子までいった。玉置浩二のコンサートが当たっていたので、頑張っていった。彼は一言も挨拶も無いが、二部で田園、メロディー、なかないで、ワインレッドの、、、などギターで歌いまくった。すばらしい。病院に22時前に帰り着いたら、翌日の手術だけでなく、翌々日の手術になる患者さんの情報がはいっていて、24時までかかって、その段取りをした。ヘトヘトである。
9月27日(土)午前中、外来。今年最後の鳥取釣行。夕方、行ったが、疲れた。