私生活,雑感

2024年8月 9月 日々の記録

9月1日()この日は、新しい教授の就任お披露目式で駅の近くのホテルでパーティ?があった。そのとき、自分が医師に成り立ての時の上司が、わざわざ九州から出てこられていたので、40年ぶり?にお話をした。「先生は、紅顔の美少年だったなぁ」と言われてびっくりした。その当時25歳ぐらいだったので、そのような言われ方は一度もしなかった。

9月5日(木)とりあえず、個人的には岡山県北への恩返しの意味があった、薬会社主催の講演会を18時半から19時まで行った。疲れ切った。薬会社の本社のスライドチェックがかりというヒトは、こちらに言わせれば「現場も知らぬ、知性のない大馬鹿野郎」の印象を受けた。こちらが「患者から聞いた情報」をスライドに列挙したら、「参考にしたものをあげてください」とスライドの訂正があった。参考文献など無いよ。「患者から聞いた、生の情報だから」無いのが普通。むこうは、自分の仕事をしただけであろう。なにも困らないだろう。こちらは、腹をたてたのでそこの会社の薬を使っていたヒトは、5名ともに別の会社の薬に変更させてもらった。もちろん患者さんには「説明と同意」が必要。「自分は、なにも困らない」のは、「本社のスライド係」と同じである。これで水に流すことにした。
ある意味、「薬会社がバックの講演会用スライド作り」の勉強にはなった。
今まで「A」の薬が効かなかったので、同様の作用の「B]に変更して効いた確率は30%程度であった。しかし「A」が良く効いていた人を他の「B」、「C」に変更したというデータはないので、少数ながら良いデータになり、簡単な学会発表はできそうな印象もある。自分のモットーの「マイナスからの逆転」である。

これで、正式にセカンドライフのスタートです。後、7ヶ月。
体調を戻す。面談に赴くなど。To do Listが満杯である。
左足関節の靱帯損傷が改善したのが大きい。昨年の9月3日受傷なので、1年かかった。
その間に、人生そのものに対する考えが変わった。
7ヶ月、階段の昇降ができないのは、だいぶ応えた。
体力も落ちた。

 

9月7日(土)この日は外来(-)なので、病棟の患者さんを回診して、すぐ帰るつもりであった。それが他院から転倒後の頭位変換性めまいの90歳以上の男性。温泉に入っていてけいれん重積の男性など、入院患者がドンドン運ばれてきて、病院をでたのが16時ぐらいになった。「働き方改革」が聞いてあきれる。

9月8日()体力は戻っていないので、遠方への遠出はやめて、湯原温泉に14時頃入りに行った。結構な人で驚いた。普段は夕方以降に行くため、休日の昼間の人手の多さを少しあまくみていた。コロナの終焉も人手には影響しているだろう。入浴場で驚いたことは、小さいながらも木製の水風呂が隅っこに設置されていたこと。これはサウナの流行での「整う」ための必須ものなので、良い傾向でしょう。なんか気持ちも前向きである。

9月9日(月)久しぶりにバドミントン。体力低下と関節可動域の狭小化を実感する。
少しでも「遊べる身体」を維持しよう。試合で前にシャトルを拾いに行って、筋力でストップできず前方に転がってしまうのは自分だけ。

9月12日(木)この日に退院したヒトの息子さんが「土曜日なら連れてこれる」とのこと。郵便局も土日、休日の通常の葉書、郵便の配達をやめている。ゆうパック、速達は毎日配達しているらしいが。働き方改革がそれだけ進んできている時に、自分の仕事が土曜日やすみだからと言われても、こちらも、月に2回、サービスで土曜日は外来をしているが、循環器科も受診しないといけないので、近医に紹介になるだろう。病院はコンビニとは、だいぶ違う。各国の専門の料理を扱う修行したシェフの集まりみたいなもの。一般人のバイトのヒトがそれぞれの異なった料理を作るモールの中にあるフードコート等と一緒にしないこと。
国がお金をだしているので、一見すると同じに見えるのであろう。みな、他の職種に関しては、「無関心」なのはあたりまえであろうと納得。

9月15日()朝から疲れた。なにもしないとアウェイなので、つまらない。地元でも無い。外へ出て行っても、店もなにもない。映画館も本屋も無いエリアなので、どうしようもない。なんか、うつ状態になりそうなと思っていた。
びっくりした。夜に電話があった。親族が「自分の言い方がきつい」ので、それを聞いて、横で聞いていて、言われていない娘が気分不良で嘔吐するとのことで相談。怒りっぽくなる中高年男性の話は時に聞く。「怒りっぽいヒトは認知症になりやすい」などの本も出ている。実際は「怒りっぽくなった」は症状のひとつである。「易怒性」がでるのは「我慢ができなくなる。」の意味。特にヒトに対して「過剰な要求をして、かなえられないと怒る」というのが多いパターン。それはなぜか。「自分が出来なくなっていっているから」である。それを無意識に認めたくないので、「ヒトを攻撃することで、自分の能力低下から、自分およびまわりのヒトの目をそらす」のが隠れた目的である。要は「自分は、もう出来ないのであなたにしてほしいのに、してくれないのはなぜか」と怒っているわけである。理不尽か非常識かもわからなくなってきている証左である。ヒトに強く当たり出すと言うことは、自分の能力が無くなっていっていることの傍証である。そのように説明した。もう、締め切りに追われる仕事などからは手を引くのが一番、気持ちが安らぐと説明をした。若いときから壮年までは「仕事量」「できること」「他の人とのつながり」を増やす時期。そしてそれを維持する時期が次にくるが、いつまでもはそれは無理なのだが、もう無理と「認めたくない時期」が必ずある。その時期であろうと説明をした。
人それぞれの、「実感する時」は異なる。

9月17日(火)本日の新聞記事。100歳以上は95119人。女83958人、男11161人。
1963年は153人  昭和56年1000人  平成10年1万人超えた。との記事有り。
10万人あたり最高が島根県の159.5人、次が高知県 154.2人、鹿児島130.7人
最小は埼玉45.8人

 

 

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