働いた病院には、それぞれ歴史があり、
それぞれに特徴的な医療をしてきた。記載方針
1)2026年2月から働いている病院を「O現病院」、「今の病院」
2)直前の8か月研修に行った病院を「O1前病院」。髄液漏の技術研修。
3)その前の8年8ヶ月通った半単身赴任の県北、真庭市の病院を「M2前病院」
  地域医療中心。高齢者多く「認知症専門医」、「認知症サポート医」取得。
4)その前の岡山市の病院、都合12年間働いた病院を「O3/5前病院」
  (前期3年7か月、後期8年5ヶ月にわかれる)専門病院で手術をたくさんした。
5)岡山市の病院から赴任した高知県県市病院合併の大きな救命救急センター
 「K4前センター」と記載。ドクターヘリに乗ってその後、救急専門医取得。
6) 
その前の大阪の病院は1998年から2001年なので「O6前病院1998」とする。
7)それ以上の前は、専門医を取りたての高知県の「K7前病院1995」にする。

6月1日(月)朝、漸く準備していた2例目。午後から外来なので、11時半から開始。うまくいった。夜には症状改善。一日の長というか2回目となるとノウハウが蓄積される。午後は,緊急避難で腰から硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ)治療をして、症状も改善した。

6月2日(火)台風が近づいてきている。朝は新幹線にのって「O1前病院」に移動。JR山陽本線なら80分。新幹線なら30分。「金が時間を買う」という状況。夜になって、紹介状を2名書いた。今までの「M2前病院」では、夕方18:30から勉強会があって、弁当が食べられる。単身赴任なので、それから診療情報提供書を書いて22時、23時に直近のアパートに帰ったら良いので大量の仕事が出来ていたことになる。20時過ぎに自宅に帰宅。食事、入浴をしないといけない。要は20時過ぎからは仕事ができないと判明した。帰宅してすぐに電話があった。入れていた持続チューブのコネクト部分が外れていたとのこと。なんか滅茶苦茶。予定の2日前にすっぽ抜けてしまった。一体なにが起きているのか。とにかくシステム構築までが大変。「患者に害をなすことなかれ」というヒポクラテスの誓いが守られない感じがする。とにかく、朝、早く仕事を始めないといけない。7時から始められるには、7時前に病院に到着しないといけない。9時から外来が始まったら、後はもう自分の用事はできない。紹介状をFAXして、午後には他の病院に電話して転院の段取りをした。
6月3日(水)朝、7時過ぎに病院。とにかく「超朝型」の病院なので急いで7時15分からは書類、紹介状、サマリーなど急いで書いた。8時40分にはリハビリが始まるので、その前に病棟の患者回診を済ましておかないといけない。8時には医局から回診にまわる。9時からは外来が始まる。そんなこんなで1名が、9時過ぎには転院していった。午前の5月からの、「なんちゃって専門外来」に紹介患者がきた。まだ子供で発症からの日数も浅いので、翌日からの保存的加療とした。
ばたつく。13時から久しぶりに慢性硬膜下血腫の手術だったが、ドリルの切れが悪い。研ぎに出してもらわないと。なんとかかんとか済ませられた。古い手術室、切れないドリル。小さな不満が蓄積していく。
6月4日(木)朝早くからとにかく、段取り。忙しい。慢性硬膜下血腫をオペした人が勝手にバイクのエンジンをかけにいったりと、「ここは何でもありの野戦病院か?」と驚いた。麻痺もないので当日、退院してもらった。また抜糸に来てもらったら良い。当日、入院したboyは点滴して1,2時間で連日の頭痛が急激に改善。保存的加療で治りそうな。バタバタし続けている。
6月5日(金)「M2前病院」から朝7時に迎えの車、慢性寝不足なので、車に乗ってすぐにアイマスクをつけて、1時間余分に眠れるのでほんとに助かる。8時20分には「M2前病院」に到着。後は、9時まで外来の準備、簡単な書類へのサイン。それからは55名以上の患者。昼食を食べるヒマは全くなく、そのまま18時前まで外来を行った。昼食と夕食をまとめて食べた。19時半ぐらいから、転勤の人の診療情報提供書。失神様症状後に胸痛を訴える人を循環器内科に紹介など、とにかく書類を書きまくって、翌日の2時半ぐらいまでかかった。
6月6日()朝、8:40から外来が始まる。朝、バタバタして朝食を食べれずに、外来がはじまった。13:30までノンストップであった。その後、自分の降圧剤をだしてもらって、昼食をたべて14時30分に病院を出発した。またアイマスクをして自宅直前まで眠った。頭が回転しすぎた感じ。その後は今の「O現病院」に回診にいった。自分の専門疾患の患者が増えだしたので忙しくなってきた。
6月7日()朝10時ぐらいに、「O現病院」にいって、書類を3種類、サマリーを2名書いた。もう昼になって昼食をたべた。さらに申し送りを書いた。16時に散髪屋に行った。その後、病院に帰って回診、とにかく病棟の申し送りも書いて自分のしておかないと行けない仕事は、全部すました。とにかく自分の入院の段取りをすました。

6月8日(月)この日には、自分の入院。13時半に病院の受付へ。その後は、さらに採血などして、準備は終了。夕食はでた。24時までは飲水可能であった。
6月9日(火)この日は朝から絶食、点滴など、12時から2例目の手術とのこと。なんか手術室に車椅子で行って、あっという間に全麻がかかった。気がついたのが夕方。なにか術後の説明があったらしいが、自分は記憶がない。その日の晩にPCA(Patient Controlled Analgesia)なるものがあって、痛い時は、これをone pushというのがあってなにかよくわからなかった。これはフェンタニルを少量ずつ自分で押すというものと後でしらべて、わかった。これは自分としては、眠くなる。その後は、しやっくり、吃逆がでてくる。呼吸がしにくくなるほどではない。まあ2,3日までである。
6月10日(水)Postop day1 この日は脳外科の先生方のおみまい、整形外科の先生など

6月19日(水)この日にだいぶ元気になったので、自分のブログを開けたら、なんと4月30日に勝手に使用されたカードのおかげで、新しいカードに変更になったので、サーバー会社の使用期限が5月31日となっていた。それが6月19日、要は、今日までなら簡単な手続きでカードが変更できるとメールが来ていた。要は今日までなら、ログインなしでクリックしてカード番号をいれたら良いメールがきていた。頭もすっきしりてきていたので、入れたら、楽天のほうから不正使用ではないかと問い合わせがきて、急いで電話をして、さらに同意を、後2秒とというところで押すことができた。そしたら、さらにサーバー会社からの番号をいれてなんとか払いが済んだ。この記事、というか6月8日以降の記録を書けることになった。
気になったこと。膝蓋骨はレントゲンでは浮いたようにみえるが、実際はどうなっているか。
6月29日(月)今日は、1/2荷重の中間。去年の4月22日に