私生活,雑感

2025年3月 記録

3月4日(火)午後から歯医者。まあ、2023年9月に芋けんぴを食べていて、歯が欠けたのがはじまりで、あっという間に3本がかけて、その横にある歯にも、むしばが出来ていて,はや1年半。合計6本ぐらいは直している。中学生の時のむしばの治療は50年保証だったということ。
3月5日(水)火曜日の晩から頑張ってE-TAXを入れ続けて、水曜日になって、メール?で送って終了。今回はノート型では、見た目が異なることがよくわかった。デスクトップでないとダメ。大半は夜中に医局の自分のデスクトップで作った。

3月8日(土)

3月9日()新しいPCが来て、背面をみて驚いた。15ピンとHDMIしかモニターにつながらない。今までの自分のdual モニターはdisplay portとDVIでつないでいた。どちらのモニターもつながらないかとおもっていたが、とりあえず、もともとあった15pin ケーブルでつながったので簡単な設定はできた。それはアナログなので、hulu、アマプラなどは見えないものがある。毎日、毎日めんどくさい。
持って行って,アプライドなどで後ろにつけてもらおう.

3月13日(木)3月も毎週火曜日が外来なし。木曜日も大学の派遣医師が初めての医師なので、脳ドックは自分がやっている。木曜日は9時、13時のリハビリ診察も自分がしていたが、初めての人でも、一人1分のリハ前診察なので、それはカルテの使い方を覚えてもらい、なんとかしてもらった。そのおかげで昼の委員会の会議にでられた。助かった。
大学からの手伝いの医師の最後の患者さんが,なんと悪性神経膠芽腫であった.当地なら普通の年齢だが,その若い先生からしたら「そんな年齢でなにかするんですか」と聞いてきた.本当の超高齢社会を、彼はまだ見たことがないのであろう.脳ドックも、任せられないので、こちらがやって大変。夜は自宅(岡山市)に帰った。その日の夜に、次の次になる病院の先生に、経過を電話連絡した。

3月14日(金)午前から外来,午後も予約枠も関係なしに外来.脳ドックがないだけまし.
MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、学会出張の準備。
22時頃には、疲労で倒れそうになった。
3月15日(土)学会東京 朝、7時前に起床。準備の確認をして、8時前に出発、9時に空港到着、9時50分発の飛行機にのれた。新橋駅で降りるので、モノレールで浜松町までいき、山手線をまっていたら、横に京浜東北線がきたので、飛び乗ったら、快速で東京駅までいってしまった。そこで降りてまた山手線にのって、もどって会場側におりたが方向がわからずタクシーで学会会場へ。開始から20分遅れで到着。その後は自分の14時過ぎからの座長を無難に?すました。
途中で、別の病院の先生にも自分の人事の経過を報告した。気が急くというか、バタバタする。
夜は、はじめての「もんじゃ焼き」を食べにいった。小さなスパチュラで端っこから掬って食べるというのだが、実物を初めてみた。自分としてはお好み焼きのほうがおいしかったが。人生初体験でした。いくつになっても楽しいもの。その後は、もう少し、「ちゃんとしたもの」を食べに行った。ノドグロ、ハマチなどの刺身とぶりカマなど、都会でないと食べれないものをたべた。田舎の漁港では1種類のサカナは大量にとれるが、各地でとれたおいしいモノをまとめて食べるには、やはり、都会でないと無理と納得。同行した医師が五苓散をくれてびっくりした。それを日本酒の冷酒で飲んで、それから酒を飲むらしい。
3月16日(日)学会東京:朝9時過ぎから学会会場へ。なんか自分としては、飲み過ぎか頭が重い。17時前には学会会場を後にして、新橋駅、浜松町、モノレールで羽田へ。空港に到着してみると、いつも思うが最終便の飛行機は「予定の飛行機の到着遅れましたので、出発が20分ぐらい遅れる」とのアナウンス、他には横の秋田便が「現地の天候が悪いと羽田に帰ってきます」など、何となく、ごった返していた。22時頃に岡山空港へ。それから1時間かけて病院へ。それから月曜日に紹介、転院するひとの段取り。身体と頭が持つかなと思いながら仕事。グラグラしてきた。
6月から行く病院の先生ともお会いして、段取りを話をした。

3月17日 (月)朝は、おきるのが大変。寝たのは朝4時。とにかく紹介状、退院の段取りなどに加えて、忙しい大学病院からの医師の代わりの脳ドックなど。倒れそうになりながら仕事。フラフラするので19時には仕事を止めて、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に退却。MBCで新しいPCで文章を打っていて、一太郎がはいっていないことに気がついた。一太郎のパッケージは病院。それとウィルスバスターも入れた。以前のマザーボードがこわれて短時間しかモニターが写らないPCからAdguardはのけたが、ウィルスバスターものけないと。廃棄処分するので、金のかかるアプリは全部アンインストールが大事。なんとか24時前には入浴。のんびりしたい。
小さな事からこつこつと。早めにねた。「夜更かしをしない」が今のモットーなので。

3月18日(火)雑用の日々。今日も脳ドック。説明。結果まとめが4名溜まっている。一人20分ぐらいだが、その時間が取れない。夕方18時半から、去年12月に真庭市に帰ってきた医師の遅れた歓迎会。まあ他の施設に異動した人達のお話を聞くのは知らないことが多いので、興味深い。
そこで聞いたのが、「別の病院に勤めているスタッフが、自分がリクルートしていた医師が、『急がしいので、あそこ(今の自分の働いている病院)には行かない』と言っていたと聞いたこと」。それなら、初めからその様に断ってくれれば、週に4日で手術もしなくてもよいなのでなど、いくつも条件を付けて話をしていて苦労した自分がむなしい。彼にはできないであろう。自分が受けた脳外科界隈の薫陶では、「出来ない人には優しく接する」というのが厳密に存在している。彼にも今後は、もっと優しく接してあげないと。これ以上、壊れてもらっても、こちらも困る。次の木曜日に来てくれる先生にも最大限の優しさで、その医師が出来る仕事だけを、限局してお頼みしよう。その分、こちらはものすごく忙しくなるが。2度と来ない人には優しくしておいて損はない。まあ、まわりが自分に優しくしてくれるということは、「あなたにはまだ仕事は頼めない」という意味が入っているので、勘違いはしないほうが良い。

基本的な考え方:能力にはcapacityとabilityがある。本人の器の大きさと、獲得して出来るようになった能力の二種類。器の小さな人にいろいろ教えると、本人もまわりも出来るような気がして結果は中途半端なものになる。大きなタワーマンションなどは地下の工事が大変、広さも確保しないと倒れる。この地下工事、面積の広さにあたるものが人間のcapacityなので、それがない人も表面的には簡単な日常生活はできる。トイレ行って、歯磨きしてなどはできる。

3月19日(水)外来もたくさん、本当に多い。毎日、返事、上位病院への紹介状など、3-4人は書いている。そこへサマリー、介護保健の書類、脳ドックの結果説明など、人間的な感情がなくなってくる。この日は副当直は院外扱い。勉強会の弁当食べて、へろへろになってMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。

3月20日(木)ひきこもりのように、一日動けなかった。忙しかってバリバリ働いていた、アドレナリンサージがきれたのであろう。なんか一日中、身体が重く動けなかった。その間に入院患者さんが亡くなったと電話あり。当直の医師に何もかもしていただいて、感謝です。が、はじめから脳外科の疾患ではなかったので、モヤモヤした気持ちのままである。100歳近い人を、病気になる前まで元気にしてほしいと言う家族の希望はわからんでもないが、人間が若返らない以上、無理な話である。

3月21日(金)午前中から外来、14時半に午前の外来が済んだ。午後は病棟の仕事をしようとしたら、年に一回の会議があって15時から17時20分まで出席。会議にはご高齢の恩師でもある理事のお一人が出席出来ない旨連絡があったが、高齢で手術もされたので無理であろう。会議中に病棟、外来から3本の電話があり、いったり来たり。もう、やる気がなくなった。18時には自宅(岡山市)へ。本当に疲れた。疲れた理由は簡単。火曜日の大学からの派遣がなくなって、木曜日の派遣されてくる人は、週替わりで初めての若手ばかり。その都度、説明が面倒。しかも2度と来ない。自分がした方が早いため、全部自分がしている。その日は自宅(岡山市)へ。頭がぐらついたので早めにねた。

3月22日()朝6時半に起きて自宅(岡山市)から車できて外来。病棟。最後に変わった患者さんが紹介されてきた。説明して、病棟をその間にまわった。ふらつく。後は、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)でボーッとしていた。もう、身体は若くないと納得。「目もまわるほど忙しい」という表現があるが、寝不足、過労になると、本当の回転性めまいがでる。ベッドから起き上がろうとして、身体がぐるぐるまわって、横に転がっていった時は、「これが本当の回転性めまい」と納得できてよかった。

3月23日()朝から日直当直、途切れない程度に、骨折2名、トゲがささった、指の縫合、胸部打撲など17時半まできた。その後、買い物2軒、ATMへお金を入れて、車の軽油を入れに行っていたら、患者搬送があるので留守番に病院に来てほしいといわれた。その待ち時間の間に亡くなった患者さんのサマリー、報告書などをすました。夜は、今年初めてのフライアングリングの準備を車に載せた。もう昼間は社内の温度は25度になっていて驚いた。気持ちは春になってきた。自分の身体の代謝も夏型に変わりつつある。

3月24日(月)朝の体重をみて驚いた。72.9Kgと自分の人生最大まで太っている。こちらに来たときは68.0Kgだったのに。5Kgぐらい太った。全部、脂肪であろう。体調が悪くなるはず。
3月30日()この日は、フライアングリングに行って、驚いた、吹雪で、前がみえない。
3月末で大雪なのには参った。サカナはどうかと言うより、早く身体を温めなきゃという感じ。

3月31日(月)この日は、画期的な一日であった。
岡山県西半分(倉敷、総社、高梁、真庭、新見など)の脳外科同門医師が集まっての懇親会。13年ぶりに開催されたらしい。25名は集まっていて、去年の1月に赴任してきた新しい脳外科教室の教授もこられていた。宴会の最中に、自分の隣にすわってきて、「先生が最後の世代と思います。私は中間です。今の若い人は考えかたが違います」とのこと。何の話をし出したのか聞いてみると、当院のトップが「次の医師の派遣依頼」を含めて、3回ほど、直接会って私のことを褒めてくれていた。「夜中に電話しても、オフの時でも、的確なアドバイスをくれる。いざとなったら、病院に出てきてくれて対応をしてくれる」などと褒めていたらしい。要は「どんな時でも対応してくれて、働き続けてくれる医師にきてほしい」と「今の医師と同じぐらい、一人でやり続ける医師を後任として希望」と熱く要望を述べていたわけである。新教授は「自分は中間の世代です。私より若い世代の医師は、自分がオフの時に、病院から電話があったりしたら、翌日から辞める手続きを始めます。」とのこと。要は、自分のところのトップが、「こんな人が来てくれたら良い」と熱弁すればするほど、聞いている新教授の心中では、「そんなブラックな病院には、うちからは医師はだせない。若い医師に打診したら、翌日には医局を退局するだろうな」と聞けば聞くほど、気持ちは冷えていったのがよくわかった。
さらには、同期が参加していなかった。聞くと一人は、ある疾患で、もう脳外科と言うより医師をやめたとのこと。さらにもう一人は、ある疾患で外来を週に1日?しかしていないと聞いて驚いた。さらには、ある元上司の先生が、ある疾患にかかり、激やせして加療中で、出席していなかった。人生の秋から冬の季節の印象だった。印象深い一日でした。

 

 

 

 

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