働いた病院には、それぞれ歴史があり、
それぞれに特徴的な医療をしてきた。記載方針
1)2026年2月から働いている病院を「O現病院」、「今の病院」
2)直前の8か月研修に行った病院を「O1前病院」。髄液漏の技術研修。
3)その前の8年8ヶ月通った半単身赴任の県北、真庭市の病院を「M2前病院」
  地域医療中心。高齢者多く「認知症専門医」、「認知症サポート医」取得。
4)その前の岡山市の病院、都合12年間働いた病院を「O3/5前病院」
  (前期3年7か月、後期8年5ヶ月にわかれる)専門病院で手術をたくさんした。
5)岡山市の病院から赴任した高知県県市病院合併の大きな救命救急センター
 「K4前センター」と記載。ドクターヘリに乗ってその後、救急専門医取得。
6) 
その前の大阪の病院は1998年から2001年なので「O6前病院1998」とする。
7)それ以上の前は、専門医を取りたての高知県の「K7前病院1995」にする。
5月1日(金)朝から県北の病院へ。患者数は減った。しかし、変わった書類の依頼があった。ちょっと前の患者さんのはなし。病院に運ばれたときの情報は、殺虫剤中毒???ではないかという感じ。結論は転落による脳挫傷、外傷性SAHの患者さんが他院転送直前に嘔吐、血圧上昇で救急車内でニカルジピン持続注入しながら移送した。脳圧亢進による高血圧性緊急症なので、なにも問題無い極めて常識的な処置、対応。それがなんと「ニカルジピンを使用したのは、個人の病気なら補償されません」と書いてきた。必要なら意見書を書けとのこと。宛先は「県知事宛」この担当者は現場の知識がないと思われるが、ヒトを小馬鹿にしたような質問をしてくるな。あまりに腹がたって翌日の午前2時までかかって意見書を書いた。現場の苦労をあまりに下に見るような書類をかかされると、対応した医療スタッフ達が無残である。「知らないのなら、教えてあげます」という印象。

5月2日()朝8時40分から外来開始。9時までに5人患者の予約。頑張って12時45分には外来が済んだ。13:40発で自宅に送ってもらった。17時にマツダに車の点検に持っていった。なんかエンジンシステムエラーのマークがこの1週間、点灯している。コードをしらべてもらうと「ブレーキB」が壊れているらしい。自分には意味がわからない。乗る分には問題ないらしい。部品のオーダー、交換に数日かかるらしい。
金曜日の晩に、楽天カードからメールがきていた。なんと全然使った事の無いところで、自分のカードが使われていた。電話して確認して、今のカードは使用停止。再発行用に夜中にIDを全部変えた。GWに備えて今の自分のカードは使用停止になった。なかなか大変。今の今、YouTubeでも、一週間に友人3名が勝手に使用されたなど緊急で流しており、急激に情報がもれた可能性がある。それでも使用金額は11000円と安い。しかもApple関係の通販から購入されている。これは、ある種も引っかけで、少額なら、意外と本人は気がつかないことがあるので、もっと安い金額で2,3回悪用して、ばれなければ一気に高額なものを購入してばっくれるということもあるらしい。60日以内に自己申請しないとそれは帰ってこないらしい。今回は、おそらく都道府県も購入者氏名も全く違う人が自分のカードで支払いをしたので、すぐに検知されたのであろう。なにか一気に個人情報が外に出た感じ。

5月3日()朝、10時前に自宅出発。13時前に実家についた。母親のおみまい。後は実兄とカラオケに行った。何でも徐々に進化していてびっくり、採点がAiの他にnightというモードがあって初めてみた。どの曲を歌っても87点ぐらいしかでない。しばらく歌っていないと声はでない。特に高音がでない。毎日、基本的なボイトレを続けないと、あっと言う間に音がずれる。別に仕事にしている訳ではないので、どうでも良いが。

5月4日()古いCDを持って帰っていた。自分の実家の商店街の反対側に中古レコード店ができて、そこへ箱ごと持っていってCDを売った。買い取り価格は全部で1000円でした。まあ、捨てるよりは良いかという感じ。終活。金にはならないが20年以上、置きっぱになっていただけの箱の中が消えたのは良かった。「終活」の始まりなので、次は楽器店にサックスを売りに行こう。部屋のスペースをあけないと、賃貸トランクルームのフライフィッシング道具を自宅に持って帰れないので、とにかくなんとかしないと。一ヶ月賃貸7000円の費用も馬鹿にならない。

5月5日()この日は、母親のおみまい。その後は、夕食をたべて20時には移動。今の駐車場は大分、変わって来ている。まずは入り口、出口でバーなどがないこと。カメラでナンバープレートを読み込んで、6時間、9時間、24時間と「前払い」である。20時前にいれたので、翌日20時少し前に出庫した。
5月6日(水)この日は、論文を大分ダウンロードしたが、脳外科の雑誌が一個の記事をダウンロードするのに45ドルもかかる。1ドル158円なら7110円。まあ一つ7000円はすごい。参考文献なので、少々斜めにコピーしても一切困らない。その雑誌がある病院は大学病院はじめいくらでもあるので、少し聞いてみよう。昼間は、連休中の入院患者さんを回診。薬などを処方した。
5月7日(木)GW開けの仕事。予想通り滅茶苦茶忙しい。8時前からサマリー、紹介状と書きまくり。13時に午後外来初めて17:40までノンストップ。とにかく、連休中の「大掃除していたら怪我した」などが殺到。さらには他院からの転院が遅れるとのこと。大事な外への問い合わせの電話2本もかけられずじまいだった。しかし自分の印象では、PW(paper writingの略:論文作成)は、大分遠くながら一つのゴールが見えてきた。
5月8日(金)なんとか朝から仕事。まずは散髪の予約の延長。手術して入院の途中なので行けない。7月に伸ばしてもらった。夕方に大学に電話、2000年の頃の論文をコピーしにって良いか聞くと、2012年以降は、「紙媒体としての論文は医局では購入していない」という時代の流れ、どうすれば良いか聞くと、その論文の名前と発行年などを電話で言うと、15分もせずにPDFで添付文書で送ってきてくれた。今の時代って、そんなもの?
なんか、もう論文作成は済んだような気分になり、その日の晩は全く仕事をしなかった。愚者の極み。
5月9日()朝7時半には病院到着。勉強会の資料を作成。回診して9時からは外来。滅茶苦茶多い。12時40分頃には終了。それから、病院から歩いてでて、とんかつ定食をたべた。松屋の「松の屋」というとんかつ専門店がすぐ近くにある。とんかつ定食にキャベツとポテトのサラダを100円で追加したら、なんと、とんかつ定食には山のようにキャベツが盛ってあって失敗した。次回は「カツ丼」だけで十分と納得した。夕方17時には帰宅。少し寝て近くのカフェで夕食。大分おいしい。前日のPDFの論文を印刷して、熟読。これがキーペーパーなので、よく読んだ。これでPWも完了できる自信がすこしでてきた。
5月10日()朝から、英語で7pageもある論文の投稿規定を読み返していた。数時間かかった。なんか「盗作」に関しての項目が詳しく記載されていた。AIソフトが、文章が同じところが多いかなどを検証するような。投稿規定を読み込んでいると、結構、大変な時代がきていると納得。別件で新しい楽天カードが発送されたとメールがきた。以外と早かった印象。その間、別のクレジットカードで生活していた。他にも3種類はカードを持っているので困ることはないが、新しいカードを幾つかの引き落としに登録し直さないといけない。紐付けというかなんというか。最近紐付けたENEOSから情報がもれたかも、普通に個人が使っても情報を抜くのは大変。しかも遠方の人が使用となると全国展開している組織からでないと無理な印象。面倒ではあるが、仕方が無い。目の前にしないといけないことが沢山あるので、2016年から聞いていたAudibleを2か月休会にした。1ヶ月1500円が要らなくなる。退会したら年間18000円節約になるが、移動が多い自分には必要性もあるため、一旦は休会にした。

5月14日(木)なんか、病院のホームページの写真がないので撮りにきた。やさぐれた感じであったがそれは、良い。

5月15日(金)この日に「O現病院」、「今の病院」のサイトをみてみると、自分の写真があがっていた。○○長が、「今の先生が、長いこといるので、先生はその下でよいですか?」と初期の頃、写真は載せずに、自分は載っていた。それに載せるのだろうと予想通り、載ったのをみた。問題はその次、なんと自分は「外科」のトップに載っていた。こちらは就職というか、今の病院に入る時に、「外科のトップ」で入るなどは一言も説明はなかった。まあ、驚いた。しかし、(金)(土)は県北の病院で外来、その後、頑張って紹介状4名。さらに脳外科学会のJNDという症例登録をなんとかすました。これは、前年の年末までの入院患者の締め切りが5月末なので、とにかく最後までいれた。そんなこんなで(土)の2時半までかかって仕事は済み。
5月16日()朝8時40分から外来、なんとかかんとかすまして、帰りの車の中では、アイマスクをして、爆睡。なんとか疲れがとれた。学会にメールを送らないといけない。

5月17日(月)朝から、なぜ、病院のHPに自分が他の外科医師、今は非常勤ばかりになっているとはいえ、自分がトップに載らないといけないのか聞いた。載せた広報課のスタッフは、「先生は月曜日、木曜日に外科外来をしてるではないですか。」と答える。それは、話が全く違う。新しく働く時に、「先生は、外科外来は手伝ってくれますか?」と質問された。「手伝うぐらいはしますよ」と回答した。2月に働き出して外来表をみて、自分は「外科、脳外科外来」という形になっていた。患者さんは、脳外科らしい訴えをする確率は3割弱ぐらい。実態は、外科外来そのもの。仕事をはじめて、多くのドクターから「先生は胃瘻ができますか?」と聞かれた。自分は、なんで脳外科医にそんな質問をするのか謎であった。そして地域連携室の方からも、「○月○日に他院で手術した、鼠径ヘルニアの患者さんが一泊入院になります」と普通に連絡してくる。「なんで脳外科に、消化器外科でオペをした患者を主治医にさせるのか不思議」だったが、「別に良いですよ」と答えていた。それはそれ、こちらに全く黙って外科の医師紹介のトップに脳外科医を、しかも消化器外科や呼吸器科の経験が一度もない人間をあげる神経が謎。そこで事務長に廊下であった時に話をしたら、「自分は知らなかった(HPのトップに脳外科医の私が載ったこと)」とのこと。一体、どうなってんのここはという感じ。外科外来の合間に、看護師さんから「A 先生がいつの頃からか、年末頃?出てこなくなった。職員はその理由は全く知らないです。」とのこと。全く、自分には情報も入ってないので、個人的には「訳がわからん」印象。そして最近わかったことが、「1月には70歳になって定年で一人やめた。」とのこと。辞めるかどうかというところだったのだろう。その先生が胃瘻を作っていたとのこともわかった。要は、「常勤の外科医が2名やめたので、今度、来る先生には外科をやってもらおう。脳外科はすでに1名いるので、それはそれで」ということなのであろう。しかし、「2名の常勤医がやめたこと」はこちらには、全く話がなかった。今になってもない。それを「外科外来を手伝ってくれますか?」という形で質問してきたということ。さらには「HP上の医師紹介の時に、すでに前から居る脳外科医の下に載せて良いか」との相談はあった。もちろんすぐに同意した。しかし「HPの外科の医師のトップに載せて良いか?」という相談は全くなかった。驚いた。月曜日の朝には「自分は外科医として雇われるという話は一切聞いていない。」と広報課のヒトに話をした。それで、話はすべてが自分の中ではつながった。要は、「広報課にも地域連携室にも、おそらくほかの看護部門にも、薬剤部にも医師達にも次に来る医師は『外科』のやめた医師の代わりに来た医師として」紹介されているということになる。世の中の常識として、「外科」というと、それは、脳外科、形成外科、整形外科、心臓外科などではなく、「消化器外科」を意味する。だから「外科医として雇われた医師は胃瘻は出来るのかな?」と思うのは普通の反応。要は「こちらのつもり」と「雇った側のつもり」が全く異なっていたということが、漸く判明。今後の方針を立てる必要を感じた。
5月19日(火)自分のためにできることをしようと、考えてDSA室を見学、その日は遅かったので、それで終了。自宅に帰って、医師になってはじめて、自然に涙がでてきた。年取って涙もろくなったのか、あまりの現実に打ちひしがれたのか。言葉にならなかった。

5月20日(水)「やや専門」外来が始まって2週目。全く関係のない人ばかりくるが、まあ良いであろう。要は、「脳外科外来」が始まったので、自分的には楽であった。オペ室で透視の装置を見学。
3年前に購入したらしい。それをDSA室にいれたら2方向から透視ができるが、聞いてみると「ひとつの部屋に二つのレントゲンがでる装置をおくことは法律違反」らしい。

5月21日(木)この日に、2方向から透視が出来る器械があったが、価格を調べてもらうと5000万円だったので、あっという間に諦めた。
午後の外来途中の夕方に、この日にリンパ浮腫の人が入院になったが、自分もいつまでも、まるまるの馬鹿ではないので、電カルの「看護」をあけて「ベッドコントロール」をあけたら、全く脳外科とは異なる「形成外科」「外科」の自分が主治医になる入院患者のリストをみたら、想定外の患者がいつのまにか勝手に入院予定のリストに入ってきている。わかった時点で、入院診療計画書、指示、内服、リハ依頼など全部作るようになったので、今回は、慌てなかった。
それまでは、自分には全くいつも連絡がない。患者さんが病棟に上がってから「もう上がってきています」と連絡がくる。外来をやっていて、最初は驚いた。いっぺんに3名が入院している時は驚いた。どうなっているのか? あらかじめ連絡はないのか?
こちらは「使い捨ての野良犬か?」と腹が立って仕方がなかった。全く連絡もなく、病棟から「もう上がってますけど」と連絡を受けるのは、今までの病院ではありえなかった。こんな、滅茶苦茶な病院は初めてである。誰も電カルでのチェックの仕方も4ヶ月経過しても教えてくれないのも驚き。気持ちはもう固まったので、心は穏やかな湖面のごとくというか。氷のように冷え切ったというか。

5月22日(金)この日は「M2前病院」に行かなくて良かったので、今の病院で働いた。
足からのICGリンパ造影を見に行こうとしていたら、偶然、心マをしていたので手伝った。
その後に見学に行った。その後、手術だが、ほかの用時があってそれは見学が出来なかった。まあ、「これも勉強。もうこれからの医師人生でみることもない」と思っているので、
勉強してからnext stageへ。

5月23日(土)外来をした。横で大学からの応援の10年選手の脳外科医師がきていて、外来を手伝ってくれた。その医師は「O1前病院」で働いていた時、CEAの手術を手伝いにきてくれた医師であった。彼はこちらの名前をみて、「外科外来をしているので、先生の弟さんがしているのかと思いました」との発言。「いや、自分は、ここでは外科として雇われていると働き出してからわかった」と説明した。「辞めたらどうですか?」と言われた。
数日前に1m転落した人が頭痛、嘔気で受診。10mm程度の急性硬膜下血腫。入院をすすめたが、携帯を忘れたと帰宅。来週の土曜日に再診を指示した。
5月24日(
5月25日(月)

5月26日(火)久しぶりに、「O1前病院」に行って、手術をした。いろいろ勉強してから手術をみると、さらに奥深い感じを受ける。というか、JRで朝乗っていって、駅に着くと、燦々と降り注ぐ太陽、多くの外国人達の自転車に乗っている姿、他の観光客、目の前に広がる海道というか水道、ほんとに気持ちが上がる。手術して、急いで新幹線にのって帰って来て、14時から勉強会。自分がテンプレートも作って、SEさんにお願いして完成させた。あとは看護師さん達の必要な項目を入れて微調整してもらえば良い。0点から80点まで作るのと、ここが足らないなど後で90点まで上げるのでは、手間のかかり方が違う。「無から有」が一番大変。研究でも発見でもなんでもそう。あとで、それを改良して良いものにするのは、必要にかられた応用なのでそれほど困らない。フォーマット、システムを作るのが大事。そのための概念を形にするのが大事だが、理解できる人は居るのかな?好きにしてくれという感じ。なんとか検査ができる体制まで持って行けた。勉強会のデータも作った。まあ、ほとんど職員には関心ももってくれなかったが、自分のやれることはやった。「世の人は我を何とも言わば言え、我なす事は我のみぞ知る」の気持ちを持たないとダメであろう。

5月27日(水)ほんとに外来も増えた。土曜日に来た人が、頭痛、嘔吐で結局入院。手術場にいつ出来るか交渉。とにかく準備などで忙しくなった。
5月28日(木)昼休みに、転倒した

5月29日(金)

5月30日()外来、たくさん来た。病棟回診。昼食にラーメンをたべた。不正使用されてカードが再発行されたのでガソスタに自分のカードを再登録に行った。夕方、散髪屋さんに突撃。来週の日曜日まで空いていないとのこと。どこもいっぱい。

5月31日()自分の患者が頭痛と嘔吐。今のところ、次のステップを考えた。最初の症例がこんなになってどうしたものか。