4月16日(火曜日)4月の人事異動の情報がいくつもはいってきている.個人的には驚きの人事がたくさんある.たくさん回診.
4月17日(水)なんか仕事に嫌気がさしてきた.とにかく紹介状を書きまくっている.夜も書きました.なんとか4つの病院に書いた.だいぶ,たまっていた仕事が済んだ.自分がしたかった原稿書きは全く出来ず.
4月18日(木) 病院旅行の行き先と日程が決まった.今回は京都の日帰りにしよう.早めに岡山の自宅(岡山市)に帰宅.
4月19日(金) 退院の患者さんの段取り.家族は全く来ないままのヒトも多い.仕事が,とにかく紹介状,主治医意見書,サマリーなど書き仕事ばかりであったのでうんざりしていたので,時々,各病院のオペ件数を比べていた.
岡山市内の各関連病院の昨年,一昨年の手術件数もアップされている.O大学病院,K崎病院,s会病院,K東病院,S民病院,N赤病院などのオペ件数をじっとみてみる.岡山市内の病院は,ほんとに群雄割拠で出所はみな同じ大学医局なのだが,各病院がたくさんしている.自分がいた「脳外科の専門病院」と言われていた病院は,大学病院の次にオペ件数が多かったのが岡山市内だけでも6位に落ちている.医師の高齢化であろう.復活の可能性はゼロであろう.自分は一人で昨年は46件のみのオペ件数であった.
人口46000人の中小都市で一人でなので,そんなもんであろう.
人口70万人の岡山市で換算すると,一人で700件やっている計算になる.それで良い.17時半までにはだいぶ書きまくったので,気晴らしに13 km離れた別のフライアングリングのポイントへ.これは別記事に.19時の勉強会に帰って来たら,慢性硬膜下血腫の患者さんががきていた.
4月20日(土)は,代休をもらって,鳥取にフライアングリングの予定であった.朝一から慢性硬膜下血腫をオペして11時には出発,ほとんど有休でもなんでもない.
1年ぶりの日野川支流のI川,なんか濁っている.途中で水の綺麗なところで一匹釣れた.その先を上がって行くと,大きなユンボが川幅 5 mの周囲の土砂を削っている.これでは全くフライアングリングは成り立たない.
そのまま平日別荘(アパートの別称)へ帰る.20時発の東京羽田行きの飛行機にのって,半蔵門駅のそばへ.アプリを使ってなんとかして,23時前には到着.
4月21日(日)朝から認知症学会のセミナーを聞く.帰りは永田町駅からだったので,比較的楽に羽田空港に到着.もう1時間早い便にしとけば良かった.これは別記事に.
4月22日(月)紹介の外来.途中で病棟の患者さんが急変,目の前で急に呼吸もとまり,3分前には瞳孔も3 mm,2mmから一気に5 mmに開いて,突然の修羅場,この日はかかりつけでした.夜は,疲れた足を引きずって,翌日の手品用の生花を花屋さんに買いに行った.あとは平日別荘(アパートのこと)にもどって手品の準備.バドミントンは行けなかった.多くの犠牲を払う自分の手品は,一旦中止にしよう.
4月23日(火曜日)この日は,病棟の新人さんの歓迎会.彼らのために手品をやってくれとたのまれたので,なんとか2名の新人さんのためにしてあげた.
自分が手品をした後は,アルコールも飲める.そしたら多くの職員が自分の手品のグッズをみている.手品師の自分が管理をちゃんとしていなかったのがわるいのか.宴会で酒が入ればその道具をトートバッグにいれておけば,皆取り出して見たくなるのであろうか.結論は,もう二度と今の病院では手品は見せられないという事実.
ひどい話.
そもそも論で,病棟の歓迎会,忘年会などの参加は今回で終了にしよう.
「一番忙しい人が,そうでないヒト達のために時間もお金も使って楽しませてあげる」という構図自体がおかしい.今後は誘われても完全にシャットダウンでしょう.向こうも無理して誘っている感じなので終了.一つ目のドアが閉まった気分.
大きな前提条件が狂っているので,もう無理でしょう.
4月24日(水)歩いてきた脳出血を翌日オペの段取り,もう一人脳梗塞が同時にきて,入院.外来は今日もたくさん.なんとか紹介状を書いてフランチャイズ化した近隣の病院にお願いしよう.
4月25日(木)午前中に1名退院.その後,すぐに他の病院でコイル塞栓術をしてもらった患者さんが帰ってきた.とにかく「病棟を一杯にすることが良いこと」とMSW他,一丸となって病棟を埋めている.こちらは,延々と疲れる一方である.
以前,長年働いていた医師の理論で「大学から手伝いに来てくれた医師が,何もすることが無いのは良くない」ということで,全麻下での開頭血腫除去術をしてもらった.本当は代休を昼からもらって,車の点検に持って行く予定だったが,それも狂いました.以前は,リハ外来,脳ドックも全部,次からの予約なども外勤の医師にしてもらっていたような.
長年働いていた医師は,やめてから今度は週に1回,外来を手伝いに来てくれるようになったが,自分が外勤になった時は「大事な責任を取らないと行けないことは常勤医がしないと」と言う理屈で,外来の再診予約も全くとらず,午前も午後も新患だけをみることにしていた.今まで長年診ていた患者さんも「非常勤になったので,予約は取らない.待っても良いのならきてもらう」と自分が常勤医の時とは,真逆の理論を展開している.
すべての物事に真実はたくさんある.その中のどれをピックアップしてどういう理屈を作るかであろう.予約を取らない外来が許されるのなら,今まで大学から手伝いに来てもらった医師の外来にも予約は入れないようにしていたなら,まだ話はわかる.「自分が仕事をしないようにするなら,どんなことでも平気に罪の意識もなく発言できる」というのは,それはそれで才能であろう.関係者は,さぞ「意味不明.どう対応したら良いのかわからない.」状態に陥っていたと思う.
17時半過ぎに両側慢性硬膜下血腫が一人.ものすごい遠方の関係の薄い遠い親戚に連絡して同意書をもらいました.
4月26日(金)朝から「先生に医師会雑誌の表紙の写真をお願いしたい」と話があった.一体,こちらに何をさせたいのか.自分はフライアングリングで釣れたサカナの写真を撮りたかったのであって,「カメラはメインの趣味ではない」もし,断ることが出来なければ,宴会の時に手品の道具を皆でみたことと同じように,こちらを「何でもやらせたら,うまくこなす何でも屋」として見ていることが透けてみえる.
こちらは気分が悪い.2つめのドア閉まる.
前日の人は10時入室.両側慢性硬膜下血腫オペ.そこへ外来へ90歳代の大きな慢性硬膜下血腫の人が受診.その人は14時からだったか.一側で190 mlもあった.無事終了.
1日に3個の慢性硬膜下血腫をしたのは,こちらの病院に来て初めてかも.2個はあった.
「釣りを控えないと」とオペ室でスタッフに言われたが,条件が逆である.仕事を減らしてフライアングリングをしたかったからこちらに来たのに,釣りを減らすぐらいなら,はじめからバリバリやる病院に再就職したらよいだけの話.「皆,頭がおかしいのではないか」と思った.3個目のドアしまる.
15時過ぎに,若い人が作業中に転落.前頭葉の脳挫傷で入院.
今月は慢性硬膜下血腫8例,内視鏡血腫除去1例,開頭血腫除去1例オペした.
一件だけオペレーター2名で入った.他は全部自分1名.
4月27日(土)大勢の外来予約.それからドレーンを3本抜いて,脳挫傷の人のMRIのフォローなどをして,16時半には大体の仕事は終わった.オペ記録は慢性硬膜下血腫はコピペ.開頭血腫除去もコピペでできるが,疲れ切って一旦平日別荘(アパートのこと)に帰宅.20時まで寝た.
こんなに,忙しくなってどうするのかしらん.
4月28(日)朝,他の病院の先生にメールを送った.先週は土曜日もユンボを使って川の中をかき回していたが,さすがに日曜日は仕事をしていないであろうと先週の川に行きました.アマゴは9匹釣れた.16度ぐらい.これは別記事に.おそらく,平成最後の釣り.釣りに関して言えば,今まで撮って見たかった写真を初めて撮れた.少し進歩した感じ.その後,夕方,自宅(岡山市)に.
4月29日(月)一応,休日なので少しのんびりした.夕方に平日別荘(アパートの別称)に移動.
30(火)驚くほど忙しい.2名退院.外来も自分の日ではないけどくる.
夕方は,平成の仕事は平成に終わらそうと思って頑張ったが,身体がフラフラして終了.