私生活,雑感

私生活日記 2021年2月後半

2月は,身体が壊れました.
2月16(火)この日の午前に,以前,一緒に働いていた先生にlineで専門医試験関係の情報を送った.その横で見ていたスタッフが一緒に写真を撮って,送った.その先生は,皆に好かれていたためか,外来看護師と自分の写真をついでに撮って送った.返事も来た.しかし,自分は非常に遅れている人というか,ある事情があった.10年前に医療訴訟に巻き込まれて,6000万円支払えという裁判の被告人になっていた.全くの言いがかりだったので,裁判費用もすべて相手持ちで,自分には全くなにも無かった.しかし,それ以来,自分の写真をSNS等に本名で出すことは辞めている.SNS自体もなるべくしないようにしている.そもそも「facebook」などで,「しりあい」程度を「友達」などと呼ぶこと自体が間違っている.あるいは,もと教授,現教授は「恩師,上司」なので,米国風の「友達」ではない.
自分の本当の友人,親友,大事な人達はfacebookやlineにはいない.目の前での仕事や趣味で頻繁に連絡をしないといけない交流のある人だけが載っている.
「当面のつきあい上の連絡先」みたいなものである.それはお互い様であろう.
ラインも「月に2回のバドミントン,バスケ」のグループがあるだけで,連絡には,ほとんど全く使っていない.自分のSNSに対する立ち位置はその程度.
そのときに,はじめて「新しくくっつけるにはどうしたら良いか」を質問したら,今の人達は,すぐに教えてくれた.簡単で楽である.「考えかた,立ち入ち,使用方針」は自分なりで良いが,「使えない」のは行けてない.

2月17(水) 午後外来.そのまま当直.当直に入る直前に,珍しい疾患が来て,専門病院に転送.これは自分が外来をしていたので,他の先生に同上してもらって救急転送となった.24時にてんかん発作,2時には鼻血,6時には脳梗塞.7時には転倒など当直業務をこなしました.少し,時間のある時に,「ラインのスタンプ」の取り方.「誰かと友達になって,スタンプの一覧から選んだら無料というのも教えてもらった」
なんか,知っているスタッフは,ドンドン,スタンプを送る.さらに相手からも,ドンドンスタンプが帰ってくる.4つぐらいが,続けて帰って来たのには驚いた.
「浦島太郎のような,隔絶されていた感じ」でした.
この二日間で,ラインのシステムがよくわかった.やってみるもの.

そのときに,「先生は,新しい友達の作り方を覚えようとしているが,若い女の子を友達にしたいのだろう」と言ってきた50才前?(職員の年齢はとにかく,いつも考えないようにしている)ぐらいの女性職員がいた.スタンプを一杯送ってきてくれた看護師さんも50才前ぐらいか.
自分は男性の,専門医も取った整形の先生に必要な情報を送りたかったが,それを他の職員が横からちょっかいをだしてきて,写真を送ったり,自分が知らなかった友達になる方法を教えてくれたりしたもの.それはそれで刺激になる.

ぶっちゃけた話.外科外来に「若い女の子(独身女性,30才以下)」は一人もいません.
自分のラインの中にも,「女の子」の定義にもよるが,そんなヒトは入っていない.
自分のまわりは,子育て世代の40-60才ぐらいの人達の集団である.すくなくとも「独身女性,その中でも女の子の友達という定義当てはまる人」はゼロである.自分は,若い独身女性とラインを必要もないのにするという発想が全くない.時間の無駄とはいわないが,しないといけないことの中に入っていない.息子と嫁のラインもない.実の兄とか親戚も1名もない.このまえ,はじめて,料理の写真を息子が送ってきてくれたが,ブログに載せられるほどのクオリティが無かったので没にした.あまりにしょぼい写真を送ってこられたりすると,がっくりする.正直,無駄なことと思う時のほうが多い印象.

2月18日(木) この日は,午前は情報提供書を書いたり回診したり,それと,以前から気になっていた,日光角化症というか,前頚部に出来ていた疣贅2個に対して,皮膚科の先生に,液体窒素で凍結凝固してもらった.別に痛くもなかった.(写真をまた載せます)

2月19日(金) 左肩が上がらない.カロナール(200)を4錠,デパス1錠飲むと上がる.外来が出来ない.午前の外来が終わって左肩にキシロカイン+ステロイドを注射してもらったら,すぐに上がりだした.「2021は身体に優しく」とはいえ,満身創痍.
その整形の先生にも写真を撮って,その上に「ありがとう」と文字を得意な人が横からすぐに入れて送ってくれた
得意な人がすぐに横で教えてくれる.さらに詳しくなった.
自分が送ったのは,整形外科の先生2名.

人間の本性は「問うに語らず,語るに落ちる」と言うところがあり,ヒトから質問されると,準備した表面的な答え方をするが,自分自身に語らすと本音が出るモノである.
まあ,「ラインの使い方」で「ゲスフリン」とかいろいろあったので,そういう使い方もあって当たり前だろう.
それと,今の研修のガイドラインで「研修にきた若い人達」に無理矢理,指導者側がラインとかfacebookでの友達申請などをしてはいけないというものがある.
時に,学長とか部長とか県知事とか政治家のお偉いさんたちが,新人の女性にそのようなことをして,新聞ネタになったりする.以前,米国大統領もそんななことをしていた記憶がある.「ガイドライン」の前に「常識外れ」である.
もちろん,SNSが普及する前も,さらには日本では古事記,日本書紀にもいろいろな記載がある.要は,男も女もいろいろなことをするということ.それが昔は文章で書いた手紙だったのが,デジタルの社会になって「連絡の手段」が変わったということ.
そして,時間の流れが早くなったということ.
簡単にいえば,メールすれば,地球の裏側に数秒で情報が届く時代.大航海時代などなら,至急の手紙を書いても,半年はかかる.郵便の歴史も電波の時代になって,さらにネットの時代になって絵文字もはいって,それが現代美術館に収納されている時代.

「気が合う,あわない」は,脳の表面のアプリ,ソフトの問題ではなく,内部で,要は,辺縁系で動くOSの動き方が影響している.それは,本人が覚えていないぐらい幼小の頃に脳にすり込まれた思考,言動様式でもあり,おなじ体験でも,感じ方が「幼児」によってもことなる.持って生まれたものと体験と周囲との関係で人間性となっていく.

人間の行動は,表面的な動作の裏に,もう一つ別のシステムが働いている.
簡単に言えば,アプリ,ソフトを動かしているが,その大元の根幹のOSの様な全体に影響を与えるシステムが動いている.それが人それぞれ,重要な点,大事な点などが人生の中で形作られているので,「同類の臭いがする」とか初めて会ったのに,長年の友人の様な気がするとか.近所にずっといても全く友達にならなかった同級生などに分かれていくモノ.
この部分は,非常に大事.
以前,3才,5才ぐらいまで水族館とかいろいろなところにつれてい言った子供が,全くそのことを覚えていなかったという文章を読んだ.消えてしまう記憶なら,父親,母親も無理して,子供を連れまわさなくても良いであろう.どうせ記憶に残らないのならという考えもでてくる.
それは,子供の頃,本を読んだりしても「大半の本の内容,特に細かいところなど覚えている」ヒトはゼロに近い.
要は,子供の頃,遊んだ自然の中とか,読んだ本とかは「脳のデジタルの記憶,そのままの記録」として残るモノでは無く,「感情の流れ,感じ方,ヒトへの接し方,心の持ちよう」などを形作っていくもの.大げさに言えば「人格の陶冶」というか,人間そのものの土台を作るものであって,基礎工事みたいなもの.建物で言えば見えない地下の部分のようなもの.
その部分がなくても,表面的な毎日はあまり変わらない.しかしヒトは表面をみていない.人間どうしの場合,表面の奥にあるものを透見して表面的なつきあいをしている.
「あう,あわない」「あの人はすごい.あの人はだめ」などは,単語にすると短いが,
多くの情報,仕草,表情などから,皆,感じ取っている.
仕事上は,後は表面的なテクニックのお話になる.

2月20日(土)外来がないので,病棟の用時をして「今日こそは,早めに帰って勉強」とおもっていたが,「勤続疲労」で先にすすまない.肩の痛みに,眠前に「デパス,セルシン」を飲んでいるからか,しんどい.頭がまわらない.職員のめまい,大後頭神経痛などの相談をうけて,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って,水道のパッキンが緩んでいて,電話してなおしてもらった.前回は,一日中,一ヶ月でていた水道代が1万円ぐらいした苦い経験があるので,自分としては,早めに対処したつもり.

2月21日(
2月22日(月)肩関節周囲炎で湿布薬を左肩,左上腕に張っていたのを無理矢理はがしたら,毛根を痛めたよう.その部分から文字通り「とびひ」して左上腕に膿痂疹がたくさんできた.内科受診して抗生剤を点滴してもらった.

2月23日(火)天皇誕生日.個人的にはヘロヘロだったので,本当に助かった.10時すぎに抗生剤の点滴をして,自宅(岡山市)に帰れた.自宅(岡山市)の玄関に月下美人の葉っぱを去年植えたモノが数枚は根っこが出て生着したような.うまくいったのは全体の1/5程度.後は,少しでもお勉強.

2月24日(月)この日は,外来が無い週だった.他の仕事が少しは出来たか?

2月25日(木)この日に,自分の痂皮形成性の伝染性膿痂疹を皮膚科に診てもらって,間違いないようなとのこと.研修医の先生向けに脳外科カンファをした.この日は,急遽当直,木曜日が普段,若い先生が大学から来てくれて当直をしてくれるので今の病院に来て初めての木曜日の当直.田舎なら外人がいないと思うのは大間違いで,大きな工場などには,アジアの国からたくさん来ている.日本人ではない方が,倒れて救急搬送されてきた.その直前は,現在満床なのでとりあえず,脳外科の患者を入院してもらい翌日オペ予定など予定をいれた.これで,文字通り満床.その人が夜に増悪.段取りをした.

2月26日(金)この日は,外来やってからオペのつもりが前日の夜から症状悪化したヒトがいて,8時45分からオペになった.外来は10時半からにしてもらった.朝9時からの予約6名には8時前から連絡してもらった.自分は当直室で横になれたのが,2時前.朝4時に病棟から呼ばれて気切部の処置.さらに6時に別件の電話がかかってきて,さらに起きたのが7時半.当直明けの食事をして,ひげ剃って,薬を飲んで,などなどしてからオペ室へ.その後外来を13時ぐらいまで,その後病棟,夜の勉当会.なんとか真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰還.なんかフワフワする.

2月27日(土)朝起きて,ベッドから出ようとすると右に身体が傾いて,ほぼ倒れた.
それでも,めまい止めを飲んで,下を向かなければ,めまいも出ないので車で病院へ.
頑張って外来,病棟回診をすまして,メイロン40mlを静注してもらったら,楽になって?ストレッチャーの上で寝てしまっていた.そこへ他府県の医師からの電話で起こされた.14時45分になって病院の栄養科に電話してもらって,昼食にありついた.その後,病棟回って真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰還が18時ぐらい.疲れてさらに寝た.
2月28日()起きたら2時.コーヒー飲んで専門医のお勉強.
現在,頭位変換性めまい.両側肩関節周囲炎,伝染性膿痂疹と3つの病名がついて投薬加療中の自分.穏やかに切り抜けたい.17時30分から,副当直で22時まで勤務.
金土の外来のヒトの情報提供書を書いて,なんとか2月は終わり.

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