私生活,雑感

2022年8月、日々の記録

8月1日(月)は朝から外来。なんとか授業のスライド作ったが、面倒なのは、今まで4:3だったのを16:9の比率に作り直さないと行けない。それで文字の大きさなどをさらに変えて、体裁を整えて、午前中の外来をすましてからメールで送った。さらに夜にかけて動画の確認をした。午後に、認知症関連の書類に関して、当院に指定して検査と診断の依頼が来た。書類を記載してほしいとの依頼用紙であった。事務のヒトが、「今までは、このような依頼は全部、○○病院にお願いしていたのに、名指しでどうして、うちに言ってきたのでしょうか?」との質問。答えは、岡山県北で認知症の専門医、指導医は自分だけなので、そうなっているのだろうと説明した。まあ、勉強会は無かったと思うが、8月3日ではもう、忘れた。
8月2日(火)朝から病棟の仕事。14時に出発して新見市の大学へ。一番暑い時間帯.車に乗った時の車内の温度は41度であった.真夏である.授業を淡々として16時15分には終了。授業の前に「今日は授業が済んだら神郷温泉に行く」と行ったところ、学生さんから「千屋温泉のほうが良いですよ」と言われた。授業終了後、鳥取の日南町の釣り場まで行った。暑すぎて17時前から、waderに着替えて釣りをする気持ちにはなれず、千屋温泉に転進。行ってみると立派な温泉でした。サウナもあるし、湯の温度の違う複数の温泉。さらには露天風呂も立派であった。

雪かきの車が置いてあった.

釣り場からは神郷温泉のほうが近いが、そこはサウナも閉鎖、風呂もお湯がはってあるのは一つだけという寂しい状況だったので、別世界であった。19時過ぎには病院へ帰った。勉強会には出席。その後はゆめタウンに買い物へ。真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰ってすぐに寝た。温泉に入れたので、アパートでまた入る必要はない。
8月3日(水)朝から「脳神経外傷学会」「脳腫瘍の外科学会」の退会依頼のメールを学会に送った。朝から11時までの間になんとかテストの問題をメールで送った。13時すぎに両方の学会から了承のメールが来た。長年の脳外科生活から離れて行っている自分がある。外来を11時から12時半まで。さらに15時まで病棟の仕事。さらには17時過ぎまで外来。
さらには22時まで副当直。救急車がたくさん来た.なんか7台きたような.23時過ぎまで仕事して真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に。帰る前に頭痛学会のID,専門医,指導医の番号を調べてメールで送った.雑用の山,また山である.
8月4日(木)仕事が多すぎる.前日の急患入院2名の対処.とにかく初めて見た画像所見.一側の海馬,扁桃体,脳弓がFLAIRでhighでdiffusionではかわりなし.ふくれている.腰椎穿刺で細胞が正常.見たことのない脳炎,専門病院へ救急転送.全く自分の予定の仕事は出来なかった.18時には眞庭を出発して自宅(岡山市)へ.その前に真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に寄って金曜日の朝の生ゴミを出しておいた.ゲージの中なので近所の人には迷惑はかけないで済むので楽.自宅(岡山市)で夕食後,嫁さんに手伝ってもらって折れたフライロッドを修理に送る荷造りをした.一人では時間もかかってできない.いつも助けてくれて本当にありがたい.
8月5日(金)朝は7時前になんとか自宅(岡山市)を出発.病院に到着したら外来が始まる前に昨日来た人がまた来て,心配通り脳幹梗塞でMRI再検で判明.それから外来が延延と始まり,午前の外来が終わったのが15時過ぎ.そもそも,予約が予定の3倍入っているうえに,紹介患者が3名あった.脳ドックの人に待ってもらってそれから説明.それから,病棟の仕事,ヘロヘロになって医局の机でウトウトした.
自分の印象では「仕事の最後のモテ期」が来ている印象.まだまだ用事,仕事が目白押し.
夜の勉当会は,待望の「独歩」のビールに合うおつまみ
だったが,オイリーで中高年には胃もたれの原因になった.ビールでアブラを洗い流さないとダメです.
8月6日(

8月7日()「カミに見捨てられた者は,自らの手でウンをつかめ」というトイレの落書き.

朝3時半にtPAの説明した書類は電カルのどこにあるか問い合わせの電話あり.一応説明した.その後,4時半には真庭ベースキャンプ(アパートの別称)を出発.釣り場に5時すぎには到着した.日の出は5時17分である.丁度,audibleで

アマゾンのAudible   

で,植物学がどうたらと言う本を聞きながら着替えていた.お腹が痛くなってきて,トイレに行きたくなった.そのときに丁度,トイレの落書きの話をしていた.幸い,辺地ではあったが,車で10分のところに小さなコンビニがあり,「カミには見放されずにすんだ」その後に,ティッシュペーパーも買っておいたら良かった.
釣りのほうは,9時までで終了,頑張っても,その後は,こちらもサカナもヘロヘロ.暑くてダメ.後は11時には急激に体温が上昇して,汗も出ず顔も火照ってきて,倒れそうになった.熱中症になりかけた.急いで水分を取って着替えて,車内に戻っても,灼熱の太陽光の中で大変であった.水分もたくさん取ったし,かき氷みたいなアイスも食べたが,その後数時間,オシッコは全く出なかった.大変であった.帰りは温泉にはいったが,昼ご飯も食べる意欲もなく,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰還.敗北の最後の○○才という印象.

8月8日(月)本日は,自分の誕生日.今までになく感慨深い.
健康に気をつけてこれからの人生を送ろう.今までの楽しかったこともあったし良い人生を送ろう.朝から大学病院に自分の患者さんを手術していただくので,見学のお願いのメールを送って,段取りをしていただいている.これはあっという間であった.さらに4日前からの症状からの予測通りのMRIでも脳幹梗塞の患者さんをみて説明.外来の日では無かったが4名診察.病棟に上がって,久しぶりに表面の細い静脈に22ゲージのエラスター針をいれた.一発で入って,なんかうまくいった.久しぶりに自分の細い血管を確保する技術を職員に見せた.その後はコンサルトが一杯でなかなか自分の仕事が出来ず.ピッチが鳴って,どうしても帰りたいと言う独居の脳梗塞の患者さんが,杖をついても一歩,二歩目はでるが,三歩目でもう,足がでない.リハビリ室で「三歩目がでないのに帰れますか」とPTさんが患者さんに質問していた.横でみていて,オヤジギャグがすぐに出そうになったが,患者さんに言っても詮無いことなので口にはださなかった.自分は「一,二歩だけで,次に足が前にでないようでは,こんな状態でも帰っても,散歩もいけないよ」と言いたかった.秘すれば華という言葉があるが,オヤジギャグは,口に出さずに我慢することが大事.
その後もコンサルトがたくさん.帰ろうとしたときに,高齢?の職員から「今日が誕生日ですか? 私も誕生日です」と話しかけられた.お互いが,もう何歳になったと言う話をした.自分は「もう,これからは健康に気をつけて,安全第一に無理しないようにしたい,仕事も徐々に減らして」と話すと「今が,仕事も一番アブラが乗っている時期ではないですか」ときかれた.「お腹にアブラはのってきたけど、仕事は枯れてきてます.」とこたえた.それから,さらに仕事をして,歩いて真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って来た.体重は減らなくても,体型は維持しよう.歩いて真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰った.

8月9日(火)朝は歩いて病院へ出勤.毎日コンサルトが多い。朝、家族が迎えにくる予定だったヒトの配偶者がコロナになっと前日の晩に電話あり。濃厚接触者になると「自宅待機5日間、さらに高齢者には2日間接触自粛.」と言われたらしい.それを本人に言うと,「医者がだまして,病院にいるようにしている」と訳のわからぬことを言い始め,友人?に車で迎えに来てもらう様に電話して一人で帰ってしまった.2時間後には「動けない」とのことで救急要請があったが,本人が怒って暴言を吐いて帰ったので,認知症とは言え,そこまでの責任も無いので他院に搬送していただいた.まあ,8年前のカルテ記載をみても同様の記録があり,病院は沢山あるので,他で診療してもらえば良いであろう.時間を取られてこちらも困る.
大学病院の見学には,麻疹,風疹,流行性耳下腺炎,水痘の抗体値測定,TBで無いことのクオンティフェロン採血と胸写,HSB抗体価の測定など驚くほどの検査があった.
8月10日(水)仕事の前から上記の採血を行った.もしもムンプスの抗体価が低ければワクチンを打たないと行けない.時間が無いので12日の金曜日に4種類のワクチンを打つことにした.自費になるので,全部でいくらになるか? 胸写も撮った.その後は,12日の朝にはワクチンを全部打つように段取りした.

8月11日()この日は,山の日.疲れて、11時前にシャワーをあびて、一仕事して自宅(岡山市)に帰ろうと思ったが身体が思うように動かない。昼過ぎには,起きてなんとか自宅(岡山市)に戻った.夜は、自宅(岡山市)の庭で簡単な花火をした。こういう日常生活が大事と思う.

線香花火もキレイなもの.
8月12日(金)外来が最近は,昼の12時半までには終わらない.途中から紹介状を持ってくるヒトがMRIになるため,毎週金曜日の外来は14時半から,15時までかかる.その間に病棟も診て,急いで食事もしてと出来ることはしている.確か脳ドックもした様な.
それと麻疹,風疹,流行性耳下腺炎,水痘の抗体価が帰ってきて陽性だが,基準値に満たないものもあり,12日だが、データが帰ってくる前にワクチンを打って本当に良かった.他のクオンティフェロンもマイナスでほんとに良かった.これで手術見学も行ける.
後は,最近は,近くのスーパーが今月末で終了,閉店になるので,準備のためにもう一つ遠いところまで購入していっている.そちらの方が大きいため,なんとなくおいしそうな総菜が沢山あって,楽しい.
8月13日()この日は明け方からフライアングリング.
8月14日()懲りずにフライアングリング.盆休みの最中は,水辺に近づかないことなどいろいろあるが,自分としては,今までの厭世気分というか,ロッドもおれて,腹部症状がでて,熱中症にもなりかけて,サカナも釣れないという状況を打破したので嬉しかった.  これは別記事に。
8月15日(月)朝からこのブログの記事を書いて,患者さんを回診.翌日の手術見学にそなえて,お礼の品のお菓子を購入.患者さんのためにはお守りを購入.自分も脳外科が長いが実際のこの手術はみたことがない.それで見学の段取りをした.初発で救急搬送時から自分が担当していて,結局は手術になった方なので無理言って見学させていただくことにした.そのために,昼間に念のために自分のコロナPCR検査もしたが(-)であった.とりあえず,準備は済んだ.結局、記銘力低下を心配して、天満宮は学問の神様なので、そこで一個、次は護国神社で健康のお守りを購入。あとは自宅(岡山市)へ。
8月16日(火)朝から、書類も持参して大学に手術見学に。8時過ぎに医局へ。そこで医局員用の羊羹、教授、術者、医局秘書用のマカロンをあげた。その後、病棟へ案内してもらって患者さんのところへ。お守りをあげた。その後は、着替える場所へ。なんか複雑でどこに行ったら良いかわからない。迷路みたい。8時半に入室。大学病院だけあって、麻酔科医師2名、看護師4名で導入。執刀は10時頃と予定どおり、その後は、延々とノンストップで手術。剥離の層が勉強になった。17時半には全部終了。抜管もすんで麻酔もさめてICUへ。18時には大学を出た。一回手術室に入って17時半の終了まで、手術室から出られなかった。こちらも飲まず食わずであった。皆大変。非常に良い刺激になった。そのまま、真庭ベースキャンプ(アパートの別称)まで車で帰ってきた。20時半に晩ご飯たべたが、ヘロヘロであった。風疹、麻疹、水痘、ムンプスのワクチンは職員割引で半額。抗体検査は自費。クォンティフェロン検査、胸部X線写真は結核疑いの保険診療。8月15日のコロナPCR検査は自費。自費の病院のPCRは8500円であった.合計18000円ぐらいだった。お土産代、お守り代などで、結局、3万円は行ったかも。しかし、それに見合う社会勉強、手術の勉強になった。夜には、授業をした大学からメールが入り、公欠が出たらしい。これはコロナなのか何なのか不明。追試をどのような形するか問い合わせ。

8月17日(水)書類がたくさん貯まっているので、認知症かどうかの問い合わせの3名を書いてみたが、以外と早くすんだ。県北で認知症専門医が自分だけなので依頼が来たのであろう。他にもサマリー4名済ました。忙しい。診療情報提供書も数名、貯まっているのをすました。手術見学の準備で忙しかったので他の仕事がたまっていたと言うこと.

8月18日(木)午前、午後は病棟の仕事。夜はPSC(一次脳卒中センター)のデータをいれた。これも締め切りが22日だったので、あわてた。MRIのASPECTSのお勉強をしなおした。金曜日の朝には事務に提出した。事務はそれをPCに入れてネットで登録しないといけない。大変。週末までには済ましたかった。23時過ぎまで仕事。夜はウェイダーの底面のフェルト貼り。これは失敗と後で判明。
8月19日(金)外来、午前中。今日は少し少なめで助かった。次の大事な書類は、弁護士からの意見依頼書。当院のカルテにそのようなフォーマットがない。そもそも、裁判の意見書、鑑定書などを頼まれる医師はこの病院にいない。事務方も聞いたことが無いような。対応策を練らないと公式文書の形にならない。
2020日(土)この日は、外来が無いので病棟を回って、疲れていたので早めに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って休憩。用時が多すぎた一週間であった。夕方から夜にかけてはフライタイイング。前日の20時頃は1時間ぐらい土砂降り。道が川の様であった。

8月21日()朝からフライアングリングへ、現地の水量は、朝の7時から10時までに、さらに10 cmは嵩があがっていた。水はだんだん集まってくるので、注意が必要。(釣りの記事は別記事に)。14時過ぎには真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰り、風呂入って、17時半からの副当直の準備をした。17時半直前に病院入り。仕事はなかなか無かった。実際は、コロナの影響で入院患者もとれず。

8月22日(月)外来は無かった。なんとかかんとか仕事をこなして、19時からなんと、ダブルブッキング。勉強会とバドミントンが重なった。病院から私服に着替えるとき、バドミントンの格好に着替えた。19時40分には体育館へ。もう、コロナなんか関係なしに、行動制限は無いので行ってみた。合計8名が来ていた。2コートにネットを張って、21時まで試合をやり続けた。疲れたが良い気晴らしになった。 問題は、真庭には、夜のアトラクションが少ないこと。体力低下でヘロヘロに疲れたし、試験の採点は疲れてできなかったしで、大変であった。

8月23日(火)この日は11時半まで仕事。出発。12時40分には運転免許センターに到着。12時55分には窓が開いて、順番に手続き。13時40分から15時40分の2時間。違反者用講習を2時間聞いた。先進の安心技術の説明もあったが、40年以上前から変わらないのはバックミラー、ドアミラーには必ず死角があって見えない部分があるので、自分の目で確認をと言う部分。それなら、死角がないように画角、レコーダーなどをつけて、普通にドアミラーに一見すると全部が見えるように合成画像を写すことなど、その程度の技術はありそうなもの。作れと言われたらどこの会社でもできそう。全然進まない。死角にバイクがいれば、警報が鳴るぐらいのシステムは1年もあれば開発できそう。要は、金にならないので開発しないのであろう。馬鹿みたいな話であった。スマホを見ながらの事故に減点が2点から6点というか、これは厳しくなっていた。知らなかった。免許証の更新は無事終了。青の3年間なので、なんとか5年にしたいもの。
その後に自宅(岡山市)へ帰る。17時から散髪。19時前に終わり、自宅(岡山市)へ。この日は、半分ずつになった靴下を袋に入れて持って帰った。自宅(岡山市)にある分とあわせて6足分は合致した。そして、嫁さんから結婚25周年が来るのを教えられた。25周年というなら、銀婚式になるらしい。銀の何かを買ってみよう。釣ってきた魚の処理をしてもらった。夜は試験の採点。コロナで死亡患者数は本日が今までにで全国最高とのこと。意外と多く亡くなっている。

8月24日(水)朝7時前,自宅(岡山市)を出発.朝のうちに脳ドックの結果を打ち込んだ.11時までに回診,その間に情報提供書を1名作りあげた.さらに外来.新患が2名きたが,無事終了.とにかくしんどい.休憩日にしよう.試験の採点もしないといけないがしんどい.確か,この日に,スペックルドフェザントというマテリアルが着いた.ヤフオクで購入.9990円という結構な出費であった.まあ,いろいろと購入しているが,ふと気づくと,おそらく一生分以上のフライのマテリアルがあるので,途中でどうするか考えないといけない.あまりに,「ほしいから」と購入しても,遺産分けのような形で,人にあげることになる.

8月25日(木)この日は,ソーシャルディスタンスを取って,夕食をお弁当を取って研修医の歓送迎会の代わりにした.通常の勉強会よりも密ではなく,粗な感じ.

8月27日(土)午前中,外来.その後は,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)でフライタイイング.

8月28日()この日は,自分の今年のフライアングリングライフ最高の結果になった.比較的,速く帰ってこれた.これは(別記事に).この日に,くっつけていたはずのウェイダーのフェルト底がまたはがれてしまった.

8月29日(月)この日は,夜は久しぶりにバドミントン.2年ぶりに参加した人が「自分もコロナになっていました」とのこと.いつ頃の話か不明.まあ,「自分もなりました」と言う人は,今となっては非常に多い.外来通院の患者さんからも,時々聞くようになった.真庭市も多い時は,一日に100名近く陽性患者がでていた.病院の検査では,発熱の人の7,8割はコロナ陽性の印象.こんな田舎でもと思う.夜は,ウェイダーのフェルト底をもう一度,ボンドで接着.今度は,柔らかい即効性のボンドで接着して,ヒモでぐるぐる巻きにして強く圧着.次回どうなるかお楽しみ.

8月30日(火)忙しかったが,なんとか試験の採点を終えて,夕方,結果を郵送した.忙しかった.夜は,さらに身体障害者の書類を1名分だが,MRIを二つの病院から取り寄せてもらって,漸く,書類を書いて,たまっている書類は少しずつ片付いて行っている.夜中に軽油を入れに行った.

8月31日(水)午前中は,脳ドックのデータ入れをしたかったが,バタバタして出来ず.後一歩であった.またPSC(一次脳卒中センター)のアンケートが来ていたので,なんとかやった.11時からの外来に9時過ぎから4名も来ている.11時からの予約患者も来ている.なんとかすまして,15時からの外来にも,13時過ぎから4名来ている.皆,「外来時間」がわかっているのか不明.田舎の人は,病院にいけば,いつでも診てもらえると思って居る人達も多い.90才の一人暮らしの人が甥っ子に連れられて,腰が痛い,足がフラフラするなどで受診.介護保険の申請などが大事だが,脳外科に何しに来たのか不明.遠いところをやってきて,「若返りの薬」を求めているとしか考えられない高齢者.子供は都会にいる.今まで,日本人が経験したことのない高齢社会,子供は都会に出て,親が,いずれ一人暮らしができなくなれば,施設に入れるつもり.今の日本の年齢分布,人の動きと経済活動では,それ以外の選択肢は全くない.90才のおじいさんも,今までよく頑張りました.
夜は,自分の口唇周囲に久しぶりにヘルペスが出た.忙しいためであろう.

8月は,ものすごい猛暑が前半続いた.後半は用事が目白押し.

 

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