12月1日(月)セカンドライフの準備をしないと。
12月2日(火)9時半から手術。昼前からなんか結構、大変、MCAのAfからの脳塞栓の患者が運ばれてきて、ちょうど大学から若い先生が血栓回収術を施行。あとは手技。
なんか、12月から来た先生は、イベントフルでよいかも。
12月4日(木)
12月5日(金)朝7時に迎えあり。1時間半で到着。外来の前に、以前、そこで働いていたドクターが、なんと頚髄損傷になって遠方から隣の県に帰ってきていたと判明。歩行は問題ないが、手がしびれて巧緻運動障害が残り、長時間の手術はできないとのこと。常勤不足なのでどうかと思って相談したが、いろいろな事情で無理であった。とにかく簡単にはいかない。9時からの県北の病院の外来はたくさんの患者さん。これは、あまりに多いので12時から13時までに6名入るように予約枠を作った。午前の最後の受付枠が11:40では、どうしようもない。午後は、15時から16時が脳ドックのために空けてある。実際は他の曜日にいれてもらうようにしているので、その枠分で1時間分、待ち時間が短縮できる。後は、17時前に寺の文化財の修繕に来ていた人が落下したので、骨折で入院してもらった。それでも、だいぶ早く済んだ方。夜は大学病院などへの患者の紹介状。25時には済んでシャワーをあびて寝た。
12月6日(土)朝8時40分から外来を始めるようにした。そもそも9時から9時20分に4名。9時20分から9時40分までに4名予約が入っている。40分で8名なんか診れるわけがない。患者さん全員が絶好調なら、診察時間も短いがなかなか簡単にはいかない。いつも13時半ぐらいまでかかっていたが、それも、朝20分前倒しにしたことで、単純に20分は早く済んだ。土曜日も、昨今の働き方改革で、12時半には事務、看護師も帰ってしまう。他の診察室も掃除のヒトがきて、いすもひっくり返して診察台、テーブルにおいてある。自分のやっている診察室だけ稼働しているのは、他の職種の人たちからしたら、「迷惑」の一言。そこで相談したら、「朝は8時半から受け付け開始なので、そこから外来を早めにしてくれたら良い」とのこと。それで8時40分からにした。うまくすると9時までに3、4名が済む。9時の予約枠のヒトも9時5分ぐらい前には呼び出しができるのは大きい。それは土曜日午前だけで25-30名の患者さんなので、10%は前倒しできる計算。個人的には、「ここまでしないといけないのはおかしい」につきる。
おかげで13時すぎには済むようになった。13:45とかに済んで、昼食たべて、急いで家路につくのも14時過ぎ出発はよくない。
12月7日(日)やはり、体力の低下が、はっきり出てきた。昼は町中におそばを食べに行った。年越しそばも頼んだ。後はJRに乗ってZ市へ。
12月9日(火)
12月11日(木)昼間は脳腫瘍の手術見学みたいなもの。後は、検査2名。この日は夜は洗濯。空き缶すて。書き物したいが、へろへろ。
アパートの部屋を見渡してみて、自宅に持って帰らないもの。セカンドライフを開始するのに不要なものをじっと分析していた。長年診ていないものに「オペ記録」がある。もう、数時間以上のオペは自分はしない。ということでオペ記録の山があるが、これは、シュレッダーにかけないと「個人情報」になるので困るであろう。月曜日にまとめて病院に行って、シュレッダーにかけよう。バインダーもついでに捨てれば良い。他の箱の中もみてみても、茫然自失するだけ。どうやって処分するか悩む。
12月12日(金)15時からの散髪を16時に遅らせてもらい。そのために13時からの手技を2例させてもらった。3例目はうまく行かず。急いで90km弱を高速道路を飛ばさずに帰ってきて、散髪にいって帰宅。そのとき、考えていたことを実行。
今までのオペ記録、勉強した内容などをまとめたファイルをみた。大きなファイルが5冊あった。1990年からの記録があった。文字が小さい。驚いた。これらは個人情報になるので、病院へ持って行ってシュレッダーにかける予定。他にも「今となっては不要なもの」がたくさんある。10年に及ぶ単身赴任中に増えた新しい資料がある。不要になったものもたさくさんある。
12月13日(土)昼過ぎにZ市へ。アパートでオペ記録を本棚からだして、バインダーを4個分取り出した。これもシュレッダー行き。バインダーの止める金具の部分は説明書をみたら外れる様になっており、それも全部行った。また平成30年の年賀はがきは破棄するようにした。これも個人情報なのでシュレッダーへ。すでに喪中のはがきが8枚ぐらいきているが、「年賀状じまい」も同時に記載されている。毎年5枚弱は「年賀状じまい」が来る。
どんどん、出す方も減っている。まあ、面倒なものはしないこと。
12月14日(日)10時半からボイトレ。いそがしくて、自主練ができていない。
だいぶ、できるようになっている。10時半から1時間ゴスペル、11時半から12時まで個人レッスン。
12月15日(月)昼間に、電気、ガス、水道の中止の連絡をした。
12月19日
12月21日(日)この日は最後のボイトレであった。その後、ゴスペルの時の教室に人たちとカラオケに行った。まあ半年間通ったのは、玉置浩二の「メロディー」をうまく歌いたいためだったので、歌ってみて、半年間の成長を実感。周りから拍手をもらって、Z市に来て、一つ新しいことが出来るようになった。他の歌はまずまず。まあひとつ達成した。
12月22日(月)人事部に聞いてみた。自分の有休は112時間、要は16日間残っていると判明。1月末に今の病院も終わるのに、16日も残っているのは驚いた。なんか損した気分。前の病院を辞める時も40日分残っていたのに、膝の半月板が割れて一日も休みを取って遊びにも行けなかった。最後の引っ越しのために数日取ったぐらい。残酷な話。
なんとか手技も一つこなした。
12月23日(火)この日も午前中に手術。昼から手技を2名させてもらった。なんか緊張して疲れる。
12月25日(木)この日は有休をもらって、9時前に一人患者さんを診察して、帰アパ。そこで年賀状を確認して出した。車でZ市から自宅へ。その後は、久保田利伸のコンサートへ。なんか、一番最初の「流星のサドル」が、少し音が低く聞こえる。「ラララ ラブソング」も低い感じ。後でyou tubeなどで見てみると2bぐらい、発売当時のオリジナルより低く歌っているとのこと。彼も63歳なので高音がでなくなったか。しかも、両手をあげて左右に振る乗り方。1986年デビューらしく、80年代は横乗り、90年代は縦乗りはよく言われる話。去年のNovelbrightは右手だけを上げての前後に振る感じだった。昔のGLAYは両手を上に上げて前後にふっていた。時代の流れを感じる。まあR & Bおよびレゲエの流れなので、横揺れであっているのかもと思いながら聞いた。夜は残っていた年賀状を書いた。
12月26日(金)朝、年賀の残りを出した。13時から「トランクルーム」を見に行った。2畳と1.6畳が空いていた。まあ以外と広い。2,3ヶ月でそこも撤退するつもり。お金がかかる。15時から新しい病院へ書類を書きに行ったが、なんと「実印」がいると話を聞いていなかったで、帰アパして郵送ということになった。新しい医局の17時に歯医者。それがすんで、荷物をまとめてZ市へ。年末に自宅に
12月27日(土)新しい病院へ書類を送った。他は、のんびりした。PC用の
12月28日(日)NHKの住所変更を行った。引っ越し業者に見積もりにきてもらった。来たときよりは、距離も近く。4万円ぐらい安い。一番高いのは冷蔵庫の引き取り料金が26000円もすること。
12月29日(月)後は、燃えないゴミの日に、灯油ファンヒーター、ポリタンク、電子レンジ、ティファール湯沸かし器、カーテンなどを捨てれると判明。大分、話が前に進んだ。後はクリーンセンターに年明けに電話して「有料の粗大ゴミ」として、机、テーブル、ベッド、マットを取りに来てもらわないとダメ。カラーボックスも2個は捨てる。一番驚いたのが、絨毯は切って50cm以下になれば、「燃えるゴミ」の日に出せるような。足ふきマットはすでに切ってゴミ出しをした。
まあ、9年4か月に及ぶ単身赴任がおわるので、とにかく不要品を全部捨てること。後は、トランクルームも下見にいって、印象は2か月も借りなくても、自宅の片付けが順番におわれば、十分というところ。
