11月1日(土)なんとか昼前に、家族を新幹線の駅まで迎えに行った。そして11時半に先週、先乗りで行った寿司屋さんに家族を連れて行った。自分は麻痺性イレウスの延長で生魚は食べられず、煮魚定食を頼んだ。おいしかった。これが今の「煮魚生活」につながる。今日は観光案内人に徹する。車で案内をした。途中で灯台がみたいと息子の意見に沿って、古い灯台を見に行ったが、結構な階段を降りないといけなかったので、体調が万全でない自分は、青息吐息であった。その後は、別の島の、その近辺では一番高い展望台へドライブ。その後は、夕方帰ってきて海産物の、要は牡蛎、海鮮料理などの専門店へ行った。しかし自分は固形物、生ものはだめなので「牡蛎のクラムチャウダースープ」とか、「○○エビのビスクのスープ」など、普段頼まないものを頼んだ。まあ、食べ物へのオーダーに関しての視野は広がった。なんでも、「マイナスからの逆転」がモットーなので、実行しよう。
11月2日(日)朝一から、ロープウェイでお寺まで上った。断崖絶壁にあるような感じ。昼食もたべて、なんとか14時台の新幹線に家族を乗せて、自分の役割は終了。無理しないように。
11月3日(月)午前中はボイトレに行った。なんかゴスペルの譜面をもらったが、大変であった。聞き覚えのあるものなら、なんとか声はでる。初めてのものは、譜面だけでは強弱などもわからず、困る。
11月4日(火)急に煮魚を食べたい気分になって、いろいろと調べてみた。スーパーで醤油、みりん、料理用お酒、砂糖を購入。自分の人生で砂糖を袋で購入した記憶はほぼ無い。それをいれる器も計量カップもダイソーで購入。安上がりに準備をした。
11月5日(水)仕事は少しずつ、できつつある。この日は、帰アパしてから、YouTubeなどで勉強した結果をまとめて、前日に真だらの切り身をかってきていたので料理してみた。湯通しして、煮汁も配合して初めて自分で作ってみた。人生で始めてかも。まずまずだったが、初めて知ったのは煮汁には結構な砂糖の量を加えないといけないこと。これを飲んでしまうと結構なカロリーがあるとわかった。なんか味が薄い感じ。鰹だし汁も後日購入した。後で聞くとマダラは、湯通ししたら身が固くなるので短時間で良いとのこと。生臭さをとるためなので、血合いなどがなければ、それでよいか。
11月6日(木)体重は69.3kgとさらに減っている。午前中、手術一件、なんか硬膜外血腫のつもりで開頭したら硬膜下血腫であって驚いた。最近、硬膜外血腫はほとんどみたことがない。午後からもう一個、○出症の手術。なんか最近、一日2件の手術の日も増えた。なんとか済んでJRにのって自宅に帰れた。鯛の鍋であった。白身の魚をおいしく感じる。エノキダケ、白ネギなどもおいしい。そんな年齢になったのか。腸の調子が悪いからか。
11月7日(金)朝迎えにきてもらって、県北の病院へ。なんとか外来を済ましたが17時過ぎには済んだ。最初が18:50までかかったのに比べると、1時間は早く済んだ。待ち時間が長いので予約枠をさらに増やして、12時から13時にも6名入れるようにした。それでも13時半まで午前の外来がかかる。開始を8時40分からにしたら9時までに3名は診察できそう。そこまでするか? そもそも午前、午後で30人の予約枠に58名が入っているのがおかしい話である。そこへ職員の頭痛薬などの薬の依頼があり、頭の回転、口の回転、手の動きなど最高速まであげて対応しているので、終わったときには口がポカーンとあいて、しばらく身体も動かない。その後、一休みして夕食。麻痺性イレウスのおかげか。固形物は食べられない。米粒もゆっくりよくかんで、茶碗半分が精一杯。さらに19時ぐらいから24時までかかって、紹介状7名、書類なども含めて、休まずに必死になってすました。
11月8日(土)この日は、朝8時40分から外来開始。なんとか11時まですまして、タクシーにのって同門会の会場のホテルまで移動。自分はなさけない。元教授の「しのぶ会」があんなにオフィシャルのものと思っていなかった。ドレスコードが間違っていた。お恥ずかしい話。その後は、同門会で、少し人事異動の話を聞いた。他にもやりたいことはたくさんある。ホテルの立食の内容は油っぽいものが多いので、あまり入らず。
11月9日(日)朝一7時前のJRに乗ってZ市へ。10時半からのボイトレ教室に行った。なんか疲れた。
11月10日(月)朝68.9kgまでやせた。一時は71kgまであったが、腸蠕動も徐々に戻りだした。昼休みに脳脊髄液漏出症からの慢性硬膜下血腫の手術。後は手技。ばたついた。夜は勉強会。勉強会の弁当もがんばってよくかんで食べても半分しか入らないと判明。その後にお腹が重い。なかなかに大変。
11月11日(火)今日も手術、その後は手技と15時半ぐらいまではバタバタした。この日は、仕事の後急いですぐ近くの「は○や○」にスラックスを買いに行った。スーツの下のスラックスが入らない。4月22日の半月板損傷から体重増加。体型変化で老化も含めて腹部膨満。これはイレウスも関与はしている。要は腹囲が一回り太くなった。16日の同級生の「しのぶ会」に履いていくものがない。急いでスーツの上と似たようなものを一本購入。帰アパして、前日購入した「おこぜ」を煮魚にして食べた。なんか鰹だし汁を少しくわえたのが、良かったか。信じられないぐらいにおいしく感じる。最近ようやく食欲がでてきた。その後は、洗濯にコインランドリーに行った。少しずつ、活力が戻ってきている感じ。煮魚様々である印象。
11月12日(水)昼前に脚立から落ちたヒトをみたが、なんとクー、コントラクーの脳挫傷が激しい。普通にしゃべっていたのが意識が急激に低下。フォローCTでは脳挫傷が拡大。夕方から「緊急手術」を行った。「talk and deteriorate」の典型例で、そのままなら当日から翌日で死亡する。一矢報いるための手術。20時には帰アパできた。
11月13日(木)このひは、それほど忙しくなかった。2例検査をさせてもらった。バタバタした。夜は戦い抜いた印象だったので、久しぶりにアマプラの動画をみて息抜きをした。
11月14日(金)なんか今月のカードの引き落としが結構な金額であった。この日は、休憩日であった。なんとかボイトレの教室代金を郵便局から振り込んだ。
11月15日(土)この日は、昼過ぎに灯油を購入した。18リットルが2340円であった。自分で入れたら2250円と判明。昼過ぎに思い立って初めて島に渡って、エギングをしてみた。生まれて初めてのエギングだったが、一匹も釣れなかった。そもそもやり方もそれほどわかっているわけではない。目の前で小さなナブラが立って、ボイルが一回あった。おそらく青物ではないかと思った。そのとき一つの考えが思いついた。マルチピースロッドの一番下が抜けなかった。この日は灯油ファンヒーターを荷物の中から出した。
11月16日(日)朝69.5kg。この日は、同級生で診断から永眠までが6ヶ月ぐらいで急逝した方の「しのぶ会」が正午からあった。「平服」でお越しくださいとの記載があったらしいが、自分は黒っぽいスーツに白シャツ、黒っぽいネクタイで参加した。会場の前に遺影があり、正式なものであった。まあドレスコードを間違った先週の恥はかかないようにできたので自分的にはホッとした。「平服」とはダークスーツの意味である。フォーマルは燕尾服、セミフォーマルは少しランクダウン、平服は黒っぽいスーツのことである。コース料理がでたが、パンなどは麻痺性イレウスのために食べられなかった。朝JRに乗ってZ市から行き、終わったらまたJRに乗って帰アパ。一寝入りした。前日のロッドのピースが抜けないのに、潤滑剤を何回か間に入れ続けてスポンと抜けてよかった。どうも氷でその部分を冷やすと収縮して抜けるらしい。その後にフェルール用のオイルを塗るのがよいとされているが、自分は以前は持っていたが、今は所在不明。代わりにろうそくを塗っても良いらしいがそれもないので、スチックゼノールを塗っておいた。蝋、すなわちワックスをつければ良いので、別にヘアワックスでも良いかもと思ったりもした。灯油をファンヒーターにいれて稼働させてみた。急激に暖かくなる。室温は15度ぐらいと判明。
11月17日(月)仕事から帰って、またオコゼの煮魚を作った。
11月18日(火)本日も手術、手技。今日は寒くなったので、自宅からもってこれなかったこともあって、足りなくなったヒートテックを購入するつもりであった。帰り道の途中にあるユニクロでヒートテックと暖かいセーターみたいなものを全部で5枚購入。ほんとに暖かい。これができて一息ついた。白ネギを買ってきて、オコゼを煮魚にしてたべた。わかったことは、すぐに鍋、食べた後の皿、骨などは水につけて洗わないと、そして、ゴミ袋にいれないと、においがし出すこと。
11月19日(水)
11月20日(木)
11月23日(日)駅近のホテルで11時半より大学の同窓会。自分の思い違いで13時からと思っていたので、1週間前に確認のメールがきてくれてほんとに良かった。
なんか、当たり前のことだが、2ndキャリアをどうするかという話がたくさんあった。年齢的に一番、忙しい時期は過ぎたので、今後はどうするという話。この10年間で、3名、同級生が亡くなっていた。印象としては、いつも心には彼らの若い頃が思い出される。自分が気になるのは服装。良い年だが、大学の同窓会。半分はネクタイをしめていた、半分は普通の格好であった。偉くなればネクタイと言うわけでもない。
11月27日(木)なんと、大学からの手伝いの若い先生が、鼻水がでて調子が悪かって、調べたらインフルAで早退となった。自分がかわりにミエロを2例させてもらった。少しでもしないといけないので少しでも努力をしないと。夕方はなんとか帰る準備して車に荷物を乗せて自宅まで帰った。金曜日の朝が生ゴミを出す日なので木曜日の夕方にだしておいた。これがなければ、病院から帰アパせずにそのまま荷物を載せて自宅に帰ると45分は早く帰り着いたが仕方がない。
11月28日(金)朝10時から、次の病院へ面接?にいった。履歴書を持参した。しかし、自分の「やりたいこと」と病院の「してほしいこと」は異なることが多い。病院の幾つかの希望の中で、「大学の救急の下請けの入院を取ってほしい」と○○教授から依頼されていますとのこと。その○○先生はまだ今の大学の教授選の最中に、自分が台北でのアジア救急医学会で発表したときの座長だった。その時からの知り合いでもあり、自分も救急の専門医はもっているので「そんなものはなんでもない」と話をした。「一般外科の縫合などは出来ますか。うちは消化器外科などはないですが、表面の縫合などは?」と聞かれた。そんなのは日常の雑用の一つとしていつでもしてきたもので何でも無い。こちらは、土曜日の外来は可能か聞いてみた。土曜日の外来は診察室がいっぱいでできないといわれた。自分は片頭痛、てんかん患者の利便性を考えて言っただけなので、微調整していけばよいであろう。今の病院は非常勤で出張費もほぼ出ないのに比べて、次回は常勤で出張費もでる。5個の専門医を維持するには費用が馬鹿にならないので、ありがたい。なんか兼業禁止らしいが、前の病院をやめる条件がほんとは「(金)(土)」は毎週外来に来てほしい。その前は「後任を見つけてからなら辞めてもらっていいよ。」だったので、自分の予定から4年間は辞められなかった。しかし何とかして隔週の(金)(土)で我慢してもらった。今の病院は毎週、火曜日の午前中に手術に来てほしいと言う希望があるので、午前中だけでも抜けることになるが、これは新病院としてはギリギリの選択となりそう。うぬぼれではないが、自分の専門領域の広さと技術で、行くところ行くところ、病院側からしたら「自分のところだけで全部仕事をやってほしい」となるのは毎度のこと。しかし、その中でも「こちらのやりたいこと」をさせてもらうことが可能かどうかが大事。まあ、それが午前中にすんだ。自分のセカンドライフを決める話なので、こちらもそれなりに大事。午後はヒトカラに行ってゴスペルを歌ってみた。こちらは駄目でも全く気にならなかった。夜はpaper writingの準備をした。セカンドライフの開始は目の前。
11月29日(土)16時に歯医者がはいっていた。午前中に、実兄から未使用の海用の4000番のスピニングリールが午前中に到着するはずだったので、ずっと家から出ずにまっていたが、世の中ブラックフライデイで荷物が多いのか、全く来ない。15時半前には荷物を車にのせてZ市へ移動する準備をしていたら、ようやく15時半に到着した。ほんとによかった。You tubeでAmazing graceを何回か聞いた。うまいなぁと思って聞いていたら歌手ではなくAIが歌っていて驚いた。次の日のために6曲ともに聞いたがまあ、無理であろうとあきらめもついた。
11月30日(日)こに日は朝、9時半に迎えにきてもらって、隣の市にいって、ゴスペルを歌ってきた。6曲もは自分としては練習する時間も無かったので歌える部分だけ歌って、後は少し口パクでごまかした。ステージに9人も立っているので、途中で口パクでもなんとかなったと思っています。まあ、疲れました。精根尽き果てたという感じ。
