私生活,雑感

2024年 5月

5月1日(水)外来、連休合間だが、外来はたくさん。

5月2日(木)慢性硬膜下血腫の手術がはいっった。3日の朝に地元に入院している母親の見舞いに行くと思っていたが、行けないか。面倒。
5月3日()この日は高知に帰る予定だったが、病棟の仕事。土日でも面会できるとのことで、仕事をこなして、釣りへ行った。その後は疲れた。
5月4日()朝から高知へ。実家に帰っていて、話をしていて、色々考えた。
スポーツならアメリカを。文化ならフランスをなどとあるテーマになれば、思いつく国名を挙げるアンケートがあった。それに科学、サイエンスの部門では中国、韓国、台湾がでてきて、日本は出てこない。日本はアニメ、漫画、サブカルチャーが有名な国になっている。少し前に国別の論文の数の発表があって、日本はスペインより少ない世界13位に落ちたと発表があった。まだまだ日本国民は、科学、医学などでは日本は世界トップと思っていると思う。実兄に、スペインが科学論文を書く国と思うか聞くと、全く想定外だったとのこと。
国の発展について、まずは軽工業、要は、服を作ったり繊維関係が最初にくる。日本の絹なども明治時代の日本の輸出品の中では有名。自分のアウトドアブランドの服もインドネシア、ベトナム製などが多かった。その前は中国製が多かった。次は重厚長大な工業の発達。それに伴う鉄道網の発達、さらに車社会の出現、その負の側面として、交通事故の多発。バイクに4人が乗って出勤などベトナム、インドなどの朝のラッシュはすさまじい。日本もそういう時代があった。原付に乗るときに日本も昔はヘルメットをつけていなかった。アジアでは1960年、1970年頃の日本の交通事情にそっくりの国がいくつもある。人口が増える。さらには無理な工業製品の増産などで公害が起きる。日本でも水俣病、イタイイタイ病などを経験している。世界中の中進国はいま、その過程の国も多い。次は民衆に現金が沢山はいる時代がくる。そのときは、日本人も多くのブランド品を買いあさった。1990年ぐらいからは、アメリカ、ヨーロッパで「ブランドもの」を買う人は韓国人などと言われ出した。中国はまだ表舞台には出てこなかった。日本は1980年代にトレンディドラマが流行した。その後の2000年頃は韓国ドラマがはやった。またMTVのように音楽番組が各地にはやった。まだCDになったところ。
重厚長大の産業の代表的なものは「客船」「運搬船」などの大きな船舶である。日本は造船業も戦後まもなくは船体、エンジン、スクリュー(プロペラ)など世界でトップレベルであった。今は造船業、船舶産生数もベストテンあたりに落ちている。
軽工業から重工業、さらに国土の開発、日本人が好きな番組の「プロジェクトX」はこの前後の黒部ダム、ロータリーエンジンなどを取り上げている。ハード面の充実の次は、ソフト面の発展がくる。民衆は、日本が経験したような「一億総中流」のような感じで、あり余ったお金で豪勢なお遊びを覚えた。買いたいブランド品もほぼ購入した。それらと並行して高級住宅、マンションの建設の時代がくる。その頃は「さらに良い時代がくる」と皆が信じだした。日本が世界で最初に経験したのは「バブル経済の破綻」である。それから全く回復しない。他のアジアの国、中南米の国は日本が歩んだ道を順番に、それぞれ段階は違うが歩んでいる。中国は工業を発展させて、川の汚染などは沢山起きた。人口が多いので都市の富裕層もたくさんでてきた。それらのヒトの欲求に合うように高級マンションは沢山できた。
しかし、土地代もあがり、投機目的のマンション代も上昇した。そこで空中戦の様な株価の暴落などがおきて、実際のお金が足らなくなる。日本にもゴージャスなホテルなどが、もうすぐ完成というところで資金がショートして中止になり、そのまま立ち枯れた建物は今もどこかしこに残っている。You tuberなどが訪問して動画をあげている。
もう、日本はマンションを一杯作れば人が入るなどの「人口」がない状態である。
しかし、中国、韓国もさらに次のステージに入ってきている。多くの人が医学の進歩、衛生状態の改善などから「高齢化社会」になりつつある。その次に来るのは、多産多死の次の段階、少産少死から、高齢者が大量に存命して、若者が子供を産まない時代に到達。今の日本が1名生まれたら3名が死ぬ。それでも人口はそれほど減らない。要は80才以上の高齢者が大量に存在。しかも、出産可脳年齢の女性は非婚、晩婚、出産したくない。あるいは経済的に出産できない状態が出現している。韓国の一人あたりの出産数が0.72などと驚くほどの低出産率なので、もう、次の世代は急激に減少する世界になりつつある。一時日本は年間200万人生まれていた。それが今は年間80万まで低下している。一時はもう100万切るので大変。少子化対策は喫緊の課題などと叫ばれていた時代があったが、今は諦めムードである。要は、人類は生産活動、文化活動などは、どの大陸、民族、人種でも同じということである。
日本が人類の進歩、経済の発達、衰退のトップランナーなのである。IT化、ICT化させても、それは人間がIT化するわけではない。web, スマホの利用、メール、テレワークなどで、本質的な願望、行動様式とは異なる。原始時代の石器、次は銅器、鉄器などの次に計算機が出てきて、PCが出てきて、ガラケーからスマホに、PADになって、情報は速く入るが、人間の脳、内臓の動きがデジタル化することはない。気温、重力、日照量などの人間への影響は石器時代と同じであろう。
他の国も、次はアニメ、サブカルチャーになるのは歴史の必然であろう。ハリウッド、ボリウッドなども似たようなものである。
5月5日()母親のお見舞いは、そこの病院は週に一回という条件だったので、週末と週初めと言う形で二回、行けた。実家から自宅(岡山市)に移動。四国の高速道路は全部2車線になって、ほんとに楽になった。以前、一車線の時は、GW中に高知岡山が高速道路を使って6時間かかったことがあった。今回は、一般道に降りるところで、山陽道が渋滞15 kmとのことでその部分のみの渋滞で助かった。3時間であった。それと飲食店なども店員もだれもマスクをしていなかった。観光地もほぼほぼマスクはしていなかった。コロナはほぼ完全に,一般人の頭から消えている。認知症になったら、定期の口座などからは,お金を引けなくなる。どうすれば良いかしらべたら、「成年後見人制度」を申請するしかない。本人の財産保全が最大の銀行側の責任だが、認知症になる前にそのようなことを決めておくのは大変である。あるいは突然交通事故で死んだらどうなるかなど。

自分の人生も終わりが見えてきている。いえることは「無駄な時間」を作らないこと。
実感した。高知の青空をみていて、自分の故郷は、やはりここだと妙に納得した。理屈ではなく身体が感じているのがわかる。

5月6日()無駄な時間のリストをつくろう。朝7時半に奥さんを駅まで送って、そのままMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。その後は、部屋のかたづけ、夕方は気持ち的には、久しぶりに病院へ。最近は、白衣は襟首だけが汚れがめだつことに気がついて、それは普通にクリーニングにだしてもだめ。それを一旦、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に持って帰って、漂白剤、塩、洗剤につけて、熱湯につけ込んで歯ブラシでこすると、白くなるとわかったので、いったんそれをして、一晩乾かして、翌日、翌々日病院のクリーニングに出している。これも、気合いが乗っていないとめんどくさくてできていない。後は井上尚也の試合をアマプラでみて、その後、you tubeをみて、時間をだらだら過ごした。
そのときに、突然、気がついた。無駄な時間はたくさんあるが、そのリストを具体的に使って、毎日を充実させよう。夜に再び、気がついた。冬用タイヤをまだ替えていない。高知-岡山でさぞ、タイヤは摩耗して残念なことになっていると思う。
朝は大谷が2本ホームラン、夜は井上尚人のボクシングと世の中のイベントはいっぱい。
その前に自分の目の前の用時をすまさないと。

5月7日(火)連休中の仕事がどっさり溜まっている。GW直前と休み中に退院になったヒトのサマリー数名。書類。タイヤ交換、JNDで症例登録。脳ドック学会認定医師の登録。レケンビのweb講義を聴くこと。参加費は払っているのでその請求も必要。無駄な時間リスト作成。部屋の掃除、冬物の服の移動。なんか圧倒される。他にもNIUの授業用のスライドを能出血を作りたい。
5月8日(水)
5月9日(木)外傷性SAH後の水頭症のヒトが入院、髄液を30ml排液した。

5月10日(金)超高齢で低体温で入院してきたヒトが4月初めに病院で転倒。その後、5月16日には施設に移動らしい。その人が昼にCTを取ると巨大な慢性硬膜下血腫。16時入室で一気に手術をした。午前中は外来だったが11時半にCT撮っていたので、もう少しというか連絡があれば、1時間は早く手術開始はできたと思うが。息子さんも高齢。なんとか施設移動日までには間に合いそうな。

5月11日(土)13時半まで仕事、9時から外来。その後病棟回診。今日こそはと思って、車にタイヤを載せて、冬タイヤから夏タイヤに替えに行った。なんと「ちびている」のでタイヤを替えた方が良いといわれた。もう9月には、今の車を下取りにだして、9月末に発売されるMAZDA2はもうディーゼルが無いので、CX-3に替えるつもりなので安いタイヤにした。高速道路通勤なので78000円のものにした。

5月12日()JND,これは脳外科病棟に入院した患者を全例登録しないといけないもの。2023年の入院患者の登録しめきりが5月末。なんと自分は2024年の患者をいれていた。
ということで今日から2023年1月1日からの入院患者を入れないといけない。入れ忘れていたことになる。要は一人だけの脳外科病棟常勤医なので、自分さえ入れたらそれで良いが、自分がいれないと学会指定病院から外れる可能性がある。大変、大変。ヒトツキに10-15名入院があるので、急いでしないと。180名ぐらいは自分が主治医である。手術は内科に入院しているヒトも頼まれてすることがあるが、よくわからなくなる。電カルをあけてみると元旦から救急搬送されてきていると判明。毎日これから大変。アパートにも自宅にも帰れないでしょう。今日は一日雨だったので、フライアングリングに行きたいとなどの妄想も起きなくて仕事が出来て良かった。

5月13日(月)この日も連休中、連休直後の人達の退院、入院、段取りなどで忙しかった。しかし、5月16日には、すでに何がどう忙しかったかの記憶は無い。17時半には勉当会(お弁当がでる薬の説明会)のお弁当を食べて、19時には久しぶりにバドミントンに行った。合計13名がきていた。最初の1時間はコートを3面張れたので、12名が試合ができた。自分は率先して、休憩兼採点係へ。左足の靱帯損傷もあるためか、膝を曲げて身体を前に持っていくことができない。体重をかけて、膝が曲がらないのでフットワークの距離が短い。

5月14日(火)

5月15日(水)

 

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