8月1日()無事 15時に奥さんが迎えにきてくれて、2ヶ月に及ぶ入院生活も終了。自宅に帰った。大戸屋の「エビ卵とじ丼」になにを思ったか、山椒をかけて、滅茶苦茶うまかった。もちろん病院食を悪く言うつもりは全く無い. しかし、ほぼ「サカナの切り身」がメインディシュで、煮たり、焼いたりであった。それと食塩の制限があるので、とにかく「薄味」でした。2か月弱食べると、ほんとに、「もう十分です」と言いたくなる。自宅に帰って、アマゾンで購入しておいた一個1.5Kgの重りをつけてリハビリをしてみたが、歩く距離自体が半端ないので、大殿筋の腸骨の起始部が痛い。

8月2日()この日は、朝から車の運転ができるか、要は出勤ができるか確認のため、車に乗って病院へ。さすがに働き方改革で、誰もいませんでした。しかも、確認すべき書類もなし。面白くもなんともないので車で入院していた別の病院へ。そこへ行く途中で電話がつながらない散髪屋がやっているのを確認。夕方に直接行って次回の予約をした。別の病院から自宅までの距離と時間をはかった。8.7kmで18分かかった。そして久しぶりにヒトカラに行った。なんか、何を歌っても86点台だったので、拍子抜け。音程が79%ぐらいまでしか正解でない。いつも思うが、85%は正解になりたい。
夜に実兄から電話、2時間。今回の誕生日で2回続いた雇用延長が、終了するとのこと。周りの4人ぐらいの話を聞いたら、「今までお疲れ様でした。本社で70歳まで働けたことはすごいことだと思います。」と周りの人は話をまとめたいようだが、兄としては、「週に3日ぐらいでも続けて働きたい」との希望。もちろん、時々、社外の外野?から、70歳なんてまだまだ若い。もっと働けばいいじゃないという意見を言われるような。兄自身は、給料は安くなっても良いからなどといろいろ話をしたようだが、そもそも、大会社の本社で社長も62歳ぐらいのところが、1)会社は給料が安くて良いなら、若い新人を雇う。これからのAi時代を乗り切るなら、2,3年後が勝負なので、70歳の人の2,3年後が将来有望などとは全く考えにくい。PCで計算してAIで段取りしたら、新人が2年かかって出来るようになった計算が1時間で出来たと、あの有名な電通の時短担当者の本にも書いてあったと思う。3年目の社員が到達出来る時点まで、今のAIなら1時間で到達できる。しかもビッグデータなどでも、夜間も大量に計算をノンストップでしてくれる。1日あれば、大問題も答えはでる。それを地道に高齢者が計算していって、7日後に正解をだしても何も会社としては得はない。すでに年金ももらっているのに「さらに必要」となれば、必要なのは「今の会社で働く」ことではなく「現金収入」なので、思い違いをしていると判明。すでに60歳で多くの同僚が定年退職。さらに65歳でも退職。その上にさらに70歳まで働けたということだけで、立派である。話を聞いていると、個人的なつながりが全くないと判明。典型的な「会社人間」である。そこの職場を去れば、だれも知らない様な印象。しかし、地元の別県の繁華街のど真ん中の実家にも定年退職前に引き継いだ小さな会社の必要経費で帰れるし、すめれるし地の利がある。中学、高校の友人達もいるだろうと思う。なんか負け戦感がただよっているのは、「60歳ぐらいから、今後はどうする」ということを全く考えていなかったような。「しがみつく」のは70歳までであろう。ということで、2時間に及ぶ相談を終えた。心配。後日、電話で60歳で延長、65歳で延長とのことで、そのときも、「自分はその後、どうするか」一切、考えたことが無かったような。自分の長所、雇ってくれるための秀でた部分など一切考えたことがない。内勤の見積り部門は収益を上げる前の計算部門であり、現場が作り上げてはじめて収益を上げるので、如何に優遇されていたかが70歳になる前に初めてわかったという、お気楽ぶりには驚いた。

8月3日(月)この日から出勤。午後に外来にいくと、「あれ、外来があるんです?」と職員が聞いてくる。自分は連絡をしてあったが。8月の段取りをする。
知らない間に、自分が主治医の2名入院患者が来ていた。
8月4日(火)
8月5日(水)この日は、午前中外来。自分は片頭痛、髄液漏を専門にしたいが、なかなか、メインの患者群はこない。交通事故などが来る。なんと、最後に来た人が、片頭痛の患者さんで、実は岡山県北の人で、自分が月に2回行っている病院がもっとズッと近いと判明。紹介状を書かないと。この日の夕方に病院のトップ2名と相談。これは自分が強制退院させられた件についての話であった。まあ、こちらは大分押さえて意見を表明しておいた。

8月6日(木)今日は午後から外来。なんとか17時過ぎに済んで、早めに職場を出て、杖を貸倉庫というが貸しトランクルームに取りに行った。フライフィッシングの時に川渡りの時などに使っていたもの。実は、よくなかった。
8月7日(金)貸し倉庫から取ってきたトレッキングポールは、先端が廊下や医局のなかで、「カチンカチン」と音が高く鳴る。久しぶりに、本業の中の本業の髄液漏の硬膜外持続注入カテーテル留置が来た。久しぶりにしたが、きれいにできた。透視で最後にレントゲンを一枚撮っておいたほうが良いとわかった。
8月8日()この日は、さらに外来。また髄液漏の患者が自分で調べて自分の外来に来た。MRIを撮ったが、自分の指示不足であった。「後頭蓋窩下半分から頚椎にかけて」という指示ができていなかった。しかし漏出はあった。早く硬膜外持続注入カテーテル留置をしてほしいと言われて、8月10日に予約をいれた。急に忙しくなってきた。後、

8月9日()なんとか、8月7日にチューブを留置したヒトなどを回診。
8月10日(月)午前中は、膝のオペをしてもらった病院へ行って、レントゲンを撮ってもらった。まあ、なんとか10時40分には帰ってこれた。経過はまずまず。筋力低下が大変。帰って来てすぐに硬膜外チューブを一人抜去。この方は退院。次の人が11時に入院。午後の外来で、40日以上前から運動性失語の人が自転車で来院。これは間違い無くBrocaの周りの脳梗塞に違いないとMRIを撮ると、予想以上に広範囲の梗塞だったので、即入院となった。14時15分から急いで硬膜外チューブを留置した。外来の合間に留置。バタバタ。

8月11日(山の日

8月12日(水)

8月12日(水)

 

 

10月末には、今の病院をやめるかどうかである。

12月末でボーナスをもらって、やめるか。