私生活,雑感

私生活 2021年11月

11月1日(月)少し前にオリオンピックのチケット代が帰って来たので,それを使って京都に遊びに行った.行くためには,不在中の定期処方から,外来患者の受診日変更からなにから,用事が大変であった.身体も気持ちも旅行初日の数時間はこわばった感じが残る.ホテルに着いてすぐに,自分の入院患者さんがなくなったと電話あり.前々日に必死に,あらかじめ書類,説明はすましていたので,大学からの先生に書類をコピペで書いてもらった.なんとなく,他の患者さんは問題なしだったので,気持ち的には楽になった.観光客としてのんびりしよう.前回,修理中の清水寺へいって,音羽の滝をみてと観光客気分.これは別記事に.
11月2日(火)京都2日目.これは別記事に.
11月3日()文化の日でお休み,13時半には自宅(岡山市)に帰宅,そのまま真庭ベースキャンプ(アパートの別称)へ,疲れて休憩.「たべすぎ」でスーツのスラックスのフックが閉まらない.2泊3日の京都旅行は無事終了.良い気晴らしになった.フライアングリングもたのしいが,一般的な観光旅行も愉しいと再確認.
11月4日(木)経過の長いヒトの手術依頼に関しての情報提供書を作成した.自分としては,数回の入院歴は,サマリーをプリントアウトして,「参照にしてください」と書けば良いと思っていたが,なんと受診までの「現病歴」の欄がプリントアウトすると2行しかない.全く文字が入っていない.電カルではいくらでも入る.印刷レイアウトの問題.電カル係のヒトに聞くと,「退院サマリーをプリントアウトすることがあるのですか?」と聞き返されて,心底驚いた.思わず「なんのためのサマリーなの? 今までどうしてたの?」と口にでそうだったが,「1回目,2回目の入院経過は同封したサマリーを参照してください」と書いたほうが全体の経過を全部記載することよりも速いこともあるしとまっとうな返事をしたことを覚えている.そのレイアウトもお願いして調製中.
11月5日(金)10月末に転院のお願いのヒトの情報提供書を送っていたのが,自分が京都旅行をしている間にこの日に決まっていた.急いで追加情報を加えて前日仕上げた.
11月6日()一名退院.その方の偶然発見された別疾患の情報提供書も書いた.それで京都旅行での平日丸々2日分抜けた分を取り返した感じ.5,6人が退院,転院していったので,そちらばかり忙しかったので,少し,一段落した感じ.
11月7日()明け方,一人退院.当直にきてくれた先生から,50歳以上の高齢ドクター達の移動,退職などの話を沢山聞いた.17時半から副当直.情報提供書を書いた.22時から骨折のヒトに入院してもらって,帰宅は24時前.
11月8日(月)このブログの,HTTPsのSの部分が消えた.このSはアクセスしても安全の為のソフトが入っているという意味合い.深い意味は自分も分からないが,なんとその契約がサーバーで切れてしまっていた.「このサイトにアクセスすると,情報が抜かれたりする」などの表示に変わる.11月9日に5年間延長での契約をクレジットカードで急いで払って,なんとか数時間で元に戻った.年間費用は一番安いものにして年間880円とお安い.まあ個人のものなのでそんなもの.
別件で静岡での頭痛学会の専門医用単位のセミナーが初日朝7時半からあること.「現場でないと聞けない.単位にならない」とある意味,意地悪で品のないことになっており出張の手続き.さらにその続きの日曜日からは救急医学会が東京であるが,これはwebで大分聞けるので,参加の段取りのみ.さらには認知症学会も同じ週に続けてある.その3回分の学会の参加費だけで52000円になる.出張費,宿泊費など出費がかさむ.専門医維持のためなら出張費などはでるが,途中のタクシー代やなんやかなの出費はたくさんあるし,時間もかかる.ホテル,新幹線予約をしました.京都から帰ってきて,漸く次のステップに進める感じ.専門医としては「頭痛」「認知症」「救急」と維持するための努力をしないといけない.今のところ「脳外科」「脳卒中」は2年でほぼ5年分を満たしているので警戒状態は解除.特に「救急」は症例を入れないと行けないのが,今は全くまだゼロ.11月中に入力開始しないと.

※今一番の懸念事項:自分の定年前からの最後の働き場所をどうするかと言う,「定年前後の最終就活」をしないといけない.どうするか.人生終わりの「終活」ともかねあわせて,毎日検討中.一番は家族の意見.自分のやりたいこと.

11月9日(火曜日)大変面倒なことが起きた.

11月10日(水)外来やって,書類書いてと朝から仕事三昧.夜は外食.これは別記事に.

11月13日()高知の実家へ.一人暮らしの母親の様子を見に帰った.気苦労が絶えない印象.これも仕方ないこと.覚悟はしている.「生活ができなくなったら,岡山に来たらよい」と説明すると,「お父さんの年金があるから大丈夫」とわかっていない回答.こっちが心配しているのは「身体と頭」であるが,本人は「まだ若いのに,最後は岡山に済むことになるかね」との返答.年齢も健康も知的能力も全く無視しているが,それが長寿の秘訣なのかも.

11月14日()朝,高知から車で帰る途中に,仁淀川によって,さくっと一匹だけアマゴがつれて,そのまま真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に.

11月18日(木)から20日までは静岡で学会.これは別記事に.

11月25(木)この日で,3年半の長きにわたって,外来の手伝いに来てくれていた医師が卒業して,次のステップへ.自分が5年間なので,大半の時期を同じように働いてくれた.落ち着いた態度で,非常に感謝しています.ありがとうございました.身体に気をつけて,昇っていっていただきたい.この日は車の点検に.7年弱で11万キロぐらい走った.それほど多いと言うほどでも無いかも.それでも片道75kmの通勤はきつい.今なら下取り価格も25万円らしいが,どうするか.問題無く走るが・・・・
息子が視野検査のために帰ってきている.そのとき自分がでたケーブルテレビの番組のDVDを見て,爆笑に継ぐ爆笑.
そんなにおもしろかったのか謎.
11月26日(金)

11月28日()この日はキャスティングの練習日ではあったが,うまくいかずいけず.その分,部屋の片付けを行った.断捨離と5Sの違いも勉強して,「この2年間,読まなかった雑誌」も捨てるように段取り.なにか「片付ける」とはどういうことか悟ったあるいはわかった印象.要は,見える範囲にものがたくさん無いこと.簡単に言えば,引き出しの中,押し入れの中,タンスの中にまずはしまい込んだら,表面的には,ホテルの一室みたいに最低限のものだけしか無い様な部屋に見える.そこへ帰宅して,服をそのまま脱いで床におくとたちまち,「散らかった部屋」感がでる.なるほどなるほどと納得.

11月29日(月)オミクロン株という単語が世界中にばらまかれた.ウィルスと情報とどちらが早いかという感じ.
11月30日(火)あっという間に,多くの用事があった1か月が終了.連日,多くの用事まみれだった11月も終了.最後にオミクロン株が今年の終わりに向けて面倒な話題を提供してくれそう.

さらに,来年の病院の標語の応募の季節がきた.

今年のはやりは,「二刀流」と相変わらずの「コロナ」関係であろう.

簡単に思いつくのは,

「地域で目指そう
  医療と介護の
   二刀流」

こんな感じがたくさん出てきそう.

去年の自分の失敗作の力作は
「真庭では,
ウィルスを吸わない呼吸に
全集中」でした.
「ネタ」としては,使えるが,「病院の標語」としてはダメなことはわかりきっているが,力作という意味では力作.

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