私生活,雑感

2022年5月 日々の記録

5月3日()近くでフライアングリング
5月4日()鳥取県へフライアングリング.はじめて行ったか.
5月5日()久しぶりにtable Haradaに食べに行った。

5月6日(金)金曜日は連休明けで、紹介状を持った患者さんが大勢来た。12時55分に外来が終わり、13時から慢性硬膜下血腫の手術。その後に、15時半に病院を出て母親を連れて施設見学に行った。午後3時半から母親を岡山のグループホームに見学に連れて行った。感想は「あんな年寄りばかりのところには行きたくない。私が一番若い。友達もおらんし、私はイヤ」と延々と怒っている。88歳で「私が一番若い」というのは何を基準にしているのか不明。昼ご飯も食べる時間もないまま18時までノンストップであった。

5月8日()日帰りで、母親のために真庭、高知を往復。病室で「自分は冬に入院してきて夏服がない」と一日10回は訴えるので、実家に母親と取りに帰った。病院に帰ってきて、トランクから夏服の入った袋をだすと、「その大きな荷物は何?」と聞かれて、往復450kmをノンストップで運転した自分としては、落胆の度合いが大きかった。聞きたくないことは「聞こえん」という。途中で小学校以来の友人が入っている施設によって、「自分はそこに入りたい、申し込み用紙をください」とぺらぺらしゃべる。何人待ちか聞いて「55人待ち」と聞いても、動じない。岡山に帰る前に,申込書を書いて出してからとこちらに話をする。申込書に実際的に書き込むのは、もちろん息子であるという前提でこちらに話をしている。介護保険の番号も記載しないといけないので、岡山から郵送すると言うと一旦納得。

5月9日(月)お勉強すべきこと、PHASE8点、UCAS4点、動脈瘤の破裂する確率の出し方。母親と話をするのに、「記憶より記録」とタイトルを書いたA4のノートを準備して、話をした。こちらに「メールをしたが返事がこなかったので、施設に入らなくて良いねぇ」とニコニコ笑いながら言う。いったい、どこの、誰にメールをしたのか不明で、調べると自分のスマホにショートメールがはいっていた。本人は施設にメールを送ったら施設にはいれると勘違いをしているが、送り先として施設のアドレスなどは知るよしもない。認知機能の著しい低下がわかるが、それを目の前でノートに書いておくと、後で本人にみせられるので楽。去年の8月ぐらいは普通に会話ができていたのが、こんなになるなんて。
認知症専門医の資格を2021年にとったが、実感としては「試験勉強などはマルチョイで、正解がちゃんとある。試験問題が100倍は楽」である。母親は息子に思いつきで言いたいことをぶちまけているのであって、病院の専門医に評価、意見、方針の指示をもらっているつもりは全くないので、別の事象である。

5月11日(水)母親に岡山のグループホームへの申し込みを書いたので送ると話をすると、来週の月曜日に洗濯物を出して火曜日に帰ってくるのでそれからにしたいという。「洗濯物が帰ってくること」と「グループホームへの申込書をだすこと」は全く別の話であると説明すると、「勝手にせぇー」と怒鳴りあげてきた。どうも簡単に翌日でもいつでも,自分の好きな時に行けるものと思っているフシがある。「あんたが、勝手に岡山に住所も変えて」と怒りまくる。その時点で、こちらも終了。面倒見るだけ無駄と判明。押しぐるまで1時間ぐらい歩けるぐらいなので、最低の日常生活はなんとかなるだろうとの結論に達して、高知に帰って一人暮らしをしてもらうことにした。親族が誰もいないのでどうなるかは、またそのときに決めようと覚悟もした。「おしまい」という気持ち.
5月12日(木)自宅(岡山市)に帰って,母親の高速バスのチケットをネットで手配した.

5月13日(金)母親は一人暮らしができると強く言い張るので、もう一旦、とにかく高知に帰ってもらう。高速バスに乗って帰ると言うので、そのように手配して切符もネットで購入済み.住所も高知市から岡山市に転入もすんで、岡山の介護保険の手続きもすんだので、施設もいつでも入れる様にしたが、とにかく高知に帰りたいの一点張りなので、あきらめた。
何もかも元にもどさないといけない。ある意味、2回も大腸癌の手術をして,上行結腸、横行結腸を除去したにしては非常に元気である。もう良いでしょう。最後は自分の生まれ故郷で好きに生活したら良い。もともと、奇妙なこだわりの人であったので,もう良いかと納得。

5月14日()外来やって、18時には焼き肉(千屋牛)を食べに行った。良い気晴らしになった。(これは別記事に)
5月15日()昼から鳥取の川へ、夜遅めに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に。この日は、45 cmのニジマスが一匹だが釣れた。良い気晴らしになった。
5月16日(月)午前中は外来。昼間から母親の印鑑登録、証明書などをもらいに区役所に。その後、母親の行っていた賃貸の会社の銀行通帳、記録、住民票などをまとめてレターパックスライトにいれた。それは翌日、神戸の兄に郵送。毎日の仕事が倍ある感じ。バドミントンは行けず。
5月17日(火)朝から自宅(岡山市)から真庭へ、真庭から岡山インターチェンジそばの高速バスの乗り場まで母親が自宅退院を希望したので、高知行きの高速バス亭があるところまで乗せていった。その後、岡山市から高知市への転出届と介護保険の移動の手続きで岡山市区役所に行った。そしてまた真庭に戻った。岡山市真庭市を往復2回という作業で、300 kmは走った。その後、また21時まで病棟で仕事。指示だし。その後は、母親の荷物を宅急便でセブンイレブンから2個実家に送って、介護の手続きの書類を郵送して、一日の仕事が済んだ。一般的な介護の仕事というよりは、介護導入の段取りばかりをしている印象。
翌日には、入院費の領収書やお金を入れた封筒がない。バスに乗ったときはあったが降りたときはなかったなど母親から電話。バスに乗せたときは自分が確認している。本人は一生懸命言うが、よくわからない。22日(日)の11時に、台所の引き出しが4つあるが、その手前の端の引き出しに入っていた。うれしかったので電話したとのこと。帰宅して無意識にそこにいれたのであろう。大事なものだからと別の場所にしまうと、大抵ものは出てこなくなる。また17日の晩にだした入院時の荷物は19日には届いたような。同じ住所を書いた郵便物の封筒が届かないとのこと。住所は間違っていないのは間違いない。差出人の住所も裏面に書いてあるので、それが帰ってきていないのでどうしようもない。22日の11時の電話で、「もう一回だしてください」と母親は簡単に言う。区役所に行って転出届、介護保険の手続きの発行などを依頼しないといけない。もう少し待ってみよう。おそらく自分が適当な場所にしまい込んだ可能性が一番高い。

5月19日(木)

5月20日(金)
5月21日()この日は、岡山駅西口で中四国の救急地方会があった.岡山県医師会長,加藤元官房長官の講演の後,テツアンドトモのライブが40分ほどあった.

それが済んで,次は新庄村へ移動.自分としては,はじめての「いろりのある古民家に泊まる」というイベントに参加.開放感にあふれていた印象.
5月22日()新庄村からでて,関金温泉に行って入ってきた.やはり母親の面倒みることから離れられたのが,大きい.

5月30日(月)この日は,「高齢者てんかん」について,closedのウェブセミナーの座長をした.予め準備をしてはいたが,1時間以上でもあり結構緊張した.,この日もバドミントンは行けず.お腹周りがでてきて,スーツのスラックスがはいらない.

6月半ばになってわかることは,毎日の記録をつけないと,1週間もしたら.自分は何をしたか忘れていること.
これも少しずつ,記録を付けていきたい.

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