11月16日(土)この日は,専門医の単位をとるセミナーが7時半からだったので,6時過ぎには起きて宿泊したホテルから会場の別のホテルまで歩いて10分だったので,6時50分に出ても7時に到着した.
当日申し込みをした.後はがんばって聞いた.自分の席の後ろからも「早起きして来て,吐きそう」などと若い先生方の会話が聞こえた.朝食も食べてなかったので,11時開店と同時に途中で発見した「いきなりステーキ」に入って,200 gのヒレステーキを食べた.
12時10分からのランチョンセミナーに帰って参加.弁当は不要とした.
その後14時半すぎに,もう疲れたので行ってみたかったフライフィッシングのお店に行きました.水道橋にあるその店は予想よりはだいぶ小さかった.というか,どのフライフィッシング専門店もビルの一角で経営している.大きな店は,北海道の店ぐらいしか知らない.神戸の店,大阪の店も大きさ,品揃えは似たり寄ったりである.ちなみに岡山県には専門店は一件もない.フライフィッシングの人口自体が減少中なので,そんなもんかも.聞きたかった情報は「東京湾の今のボートシーバスなどはどうか」ということ.当日,羽田空港沖で80 cmオーバーが釣れたらしい.コノシロパターンの25 cmのフライをインタミのラインで投げるなど情報は聞いた.昔はゾンカー,ウーリーバガーを海でも引いてきていたという時代の話も聞けた.
まあ岡山の湾,倉敷の川,海でも80cmクラスは時々釣れている.それもばかでかいビッグベイトのルアーを投げたりとこの2年でノウハウは大きく変わっている.
それはそうとHUAWEI P30 Pro HW-02は月面も綺麗に撮れると噂があったので,飛行機の中から撮ってみた.揺れる飛行機の中からもこれだけ撮れたら十分であろう.
確かに撮れる.
11月17日(日)東京と真庭の一泊二日の移動で疲れて,10時ぐらいまで寝た.適当に食べてまたウトウトしているとタイヤ館から電話.15時に冬タイヤに交換に行くことにした.風呂入って出て行ったら,他の人が来たとのことで,交換は翌日13時半の昼休みを予約して,病院に仕事に.
自分が不在中に入院して自分が主治医になっている患者さんを回診.
あとは,大変面倒だったが,漸く「一次脳卒中センター二次募集の書類」をすました.岡山県の医療圏のなかで,自分の属する医療圏だけにtPAを使える病院の申請が無かったらしい.二次医療圏は5個しかない.18(月)には送れそう.他の患者さんの書類もすこしだけすまして22時には真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰った.
もう一つは大学に出す資料を作りたいし12月1日,2日の東京出張の準備,勉強もできていない.さらには,すぐその後に迫っている12月7日の地方会のスライドの準備をしないと.そのまえにホテルを予約しないといけないのでササッとした.会場が米子なので,真庭-米子なら80 kmぐらいなので,金曜日の夕方に出れば19時30分にはつくだろう.カニの季節にはまだ早いか? その前に画像を取り込んで発表の準備をしないと.これが大変.
11月18(月)午前,外来.他の病院から3名紹介.いままでにない現象.
返事を夕方までに書いた.さらに「一次脳卒中センター二次募集の書類」の必要な部分を事務に書いてもらい,「病院の公印」も押してもらい簡易書留で郵送.午後は病棟.とにかく貯まった書類をできるだけすまして,その後,脳梗塞とてんかんを同時におこしたヒトがきて,その後,CPAのヒト来院.胸骨圧迫中にもう一人CPA御願いと電話がかかってきて無理と返答.その後は2,3時,6時前に2件電話あり.まあ,ほとんど眠れず.
11月19(火)朝8時前に起きた.眠い目をこすりながら回診.患者さんの家族にも説明.寝不足で,もう無理なので早めに帰り,ぼーっとして,その後は,とにかく寝た.なんか疲れで手足の先が冷たい感じ.最近,当直明けはほぼ,仕事は無理な感じ.お年をめしたとその都度,実感.
11月20(水)朝5時に起床.大学にもっていく資料を作った.その後,入浴,朝7時には病院に.そこで資料を印刷してもう9時前.
15時までしか外来予約はとれず.頼んでいた高級白衣が昼に届いていた.その間に回診,抜鉤,説明.大慌てで,スーツとネクタイに着替えて大学に.いつものように,教授と禅問答に終始して終了.話の骨子は,「後,5年は社会貢献をしたい」「ヒトの多いところのほうが,それは出来やすい」である.
岡山から車に乗って真庭に帰る途中,嫁さんから電話あり.患者さんではよく聞くが「会社の人が,彼が出てこないから見に行ったら亡くなっていた」というパターンが親族に起きたような.しないといけないことをしないと.20時過ぎに病院に到着.
急変したひとの病棟回診.勉当会はにぎり寿司.その後は,昼間に回診だけすましていたので,カルテ書きと点滴,薬の処方.さらにはサマリー1名.たまっている「主治医意見書」を2名,他は,もう無理と断念.又あした.まあ学会遠征?疲れも徐々に戻ってきた.その分,目の前に大量のお仕事が横たわっている.
11月21日(木)有名な高級白衣の「クラシコ」からの白衣がMサイズは大きすぎた.箱から出して,もうダメ.まあサイズ交換で,返却手続き,それもネットでまず,申し込んでから,その後,検品がすんで,返却が成り立つよう.そんなこんなで,返却を嫁さんにお願いした.一人ではバタバタしてできない.いつもお世話になっています.
突然死した義兄の件では,AIをお願いして13時からCTを撮ってもらった.
なにもわからなかったような.死亡診断日はいつなのか.19日朝から会社に来なくて,20日の朝にマンションに訪問.目覚まし時計は鳴りっぱなし.普通に考えると18日の晩から19日の未明までにはなくなっているはず.ベッドの中だったらしい.
11月22日(金)過労.夜に電話あり.12月1日の東京品川,2日の熱海の手術見学と予定がぎっしり.さすがに,飛行機の日にち,時間を変更出来る切符を手配してもらったので,電話で直接,帰りの日にちを1日から2日目に変更できた.朝から仕事を少しでもして,17時半までに脳ドックのヒトをひとりだけすました.いったんベッドの中へ.目が覚めたら,というか電話で起きた.23時.「義兄の死亡時刻は20日午前8時で,マンションに行って,現場確認した時間であろう.AIは,警察が費用をだしてくれて.無料だったらしい.税金であろう.まあ不審死の定義に当てはまるので,警察の管轄であろう.都会なので,公設の斎場というか焼き場の順番をまっていると時間がかかりすぎるので,民営に頼むとのこと.27(水)葬式,28日(木)火葬とのこと.(水)外来が一日中ある.木曜日ならなんとかなるか.水曜日の晩にいくか.都会まで遠い.困ったモノだ.まあ,午前,午後の外来を突然一日閉めるのは,自分が突然死した時か,配偶者か子供が異境の地で突然死したときぐらいではないか.
11月23日(土)この日は祝日.
24日(日)晩ご飯を外食.
25(月)午前は外来.その日は,あまり来なかった印象.思い出したが,夕方のバドミントンのラケットのガットがキレた.2007年にはった.適当にやってきたが,12年も持つとは思いもしなかった.張り直さないと.グリップのテープもボロボロだったので,張り直した.初めてのことが起きた.バドミントン参加者が12名いたこと.反対側のバスケにはその日は参加者ゼロ.ということで,一つ余分にネットを張ってなんと3面のコートでバドミントンをしたこと.おそらく2017年6月に始まって以来,初めてのことである.
シャトル供給係りとしても,うれしい.今年度中に持っているシャトルを使い切ってしまおう.夜,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)でシャワーを浴びた.それからまた22時過ぎには病院に行き,サマリー,情報提供書を書いた.自分の印象では,10月の大学からの月火の派遣が無くなって以降,限界を超えて忙しい.
26(火)この日は,病院に10時半に到着.大遅刻.まあ,いずれそんな日も来るだろうと思った.その原因は,小さな原因の積み重ね.前日,遅く帰った.冬用の下のシーツ,上のシーツカバーに変えて室内も暖かくした.26度にエアコンも設定.そうすると暑すぎて眠れない.朝の4時に眼が覚めて,目覚まし時計を取ろうとしたらベッドの頭側の台から反対に落ちた.そのままではとれず,クイックルワイパーで取った.時計は動いているので良いだろうとそのままベッドサイドに置いた.朝6時過ぎに寝た.朝,目覚まし時計は鳴らなかった.連日の寝不足もあり,起きたときは午前10時になっていた.そこへ病院から電話.その後出て行って仕事をした.
午前中の半分は有給休暇扱いで1/4日休んだことにした.
そこで,疑問.自分は夜の24時過ぎまで書類から何から仕事をしている.それは全く時間外などはもらっていない.それが午前1時間半遅れたら有給がなくなる.夜中の仕事はもう辞めよう.それで仕事が遅くなっても,早く帰って早く寝るのが正しい「働きかた改革」であろう.書類が遅くなっても知らないよ.
27(水)一日中外来.なにか,以前の病院の患者さんが2年ぶりに受診.「わたしは,○○病院の患者ではなく,先生の患者なので」ということで80 km以上の遠距離を訪ねてくれる患者が時々訪れてくれる.90才すぎても来てくれる患者さんには,感謝もするし,驚く.その後,頑張って自宅(岡山市)に帰った.勉強会のお弁当は「ザ,幕の内」というものでした.それを車に載せて帰宅.
28(木)朝5時起床.6時過ぎの新幹線で新横浜まで.そして葬式,火葬場,また新幹線で帰る.17時半には岡山駅に帰り着いた.早い.横浜は公の火葬場だけでは足らず,民営の火葬場を利用した.たった60分で骨になる.出てきた骨は1 m四方のアルミの台に乗っている.よく見ると遺骨は半分ない.右半分に下半身,左半分に上半身,骨盤も,大腿骨も半分というか部分的しかない.家族に見せる前に,すでに遺骨を半分は捨てていたことになる.驚いたことに,そこの骨を入れる係の人は,「素手」で遺体の骨を触っていた.さっさか,壺に入れてあっという間にふたをした.初老の係の人は,コンビニの店員が「コロッケのついでに,ウマ塩チキンも入れました」という雰囲気を醸し出していた.そうでもしないと都会では捌き切れないのであろう.その民営の火葬場も昔は市街地から離れた小高い丘の上にあったような話.それがどんどんまわりに住宅地ができて,高層マンションはないが,一軒家,アパートなどがぎゅうぎゅう詰めに火葬場のまわりに立っていた.
29(金)朝,自宅(岡山市)から真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に.そこで,ゴミ捨てをしてから病院へ.それだけで体力はだいぶ消耗.前日届いていた白衣を着てみた.
肩はMサイズできれいに入る.お腹はボタンが留まらない.お腹はLサイズのものが必要.これは自己責任.後 5 kgはやせないと.
仕事をしている合間に,次のプロジェクトを.
11月30日(土)朝から外来,その間に病棟回診.15時ぐらいに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰る.なんとか準備をして岡山空港に.20時10分初の羽田行きに乗った.今月は岡山の県北の田舎から4回も東京(東京,浦和,新横浜,東京)行き.さすがにへろへろ.羽田から京急に乗って品川に着いた.都シティホテル高輪に泊まった.さすがにへろへろだったが,京急でいけることがわかって良かった.
今回の計画は,岡山ー羽田.羽田ー品川,12月1日は朝から品川ー浜松町,歩いて研究会会場へ,それがすんで浜松町から品川,品川から「こだま」で熱海へ.今日はそこまで.
11月も終わった.大変でした.