私生活,雑感

私生活日記 2020年12月前半

11月は学会シーズン.とにかくweb 参加は大変だった.
まだ救急のon demandが12月9日からある.
12月1日(火)記憶にない.
12月2日(水)記憶にない.
12月3日(木)「ハルヤマ」に裏起毛のスラックスがあるか聞いてみたが,おいていないと判明.「裏起毛のスーツ」などがあれば,皆着るだろうに.まあ仕方が無い.
今年の喪中の葉書がゾクゾクと届いている.全部で4名だが,全部なくなられた方は90歳以上の「母親」であった.

12月4日(金)午前中外来.脳外科専門更新のための11月末が締め切りだった8月までの症例入力.これは11月半ばに8月末までいれたのが,月初めに集計されて「手術症例,手術無し症例合計で6点とらないといけないのが12月4日の晩にみてみたら,なんと5点ついていた.手術症例10例で1点,手術無し症例20例で1点という計算.まあ,1年間分入れたら,6点は取れる.この部分の更新条件は「5年間で6点」なので,1年でその部分はクリアすると判明.他の4分野も何とかなったので,「5年分の獲得項目は実質2年で終了」
次は救急の専門医更新のために,「領域講習」をオンデマンドで聞かないとだめ.
症例もいれないといけないはずだが,確認を.

12月4日(金)夕方「裏起毛」のパンツというかズボンを「しまむら」に買いに行った.部屋着としてのものは一本が980円と激安だったので2本購入,早速真庭ベースキャンプ(アパートの別称)で履いて生活.これはこれでOK.とにかく,スタイルなどはもう考えないこと.冬の寒さをしのぐこと.

12月5日()昼から近くのJAの店で,少し安い「銀しぶき」を購入.贈答用よりは少し小ぶり.そのまま院庄のインターチェンジまで行って,初めて県北に来て降りてみた.
意外と都会というか,街道沿いにある典型的なお店が結構あった.
目的は「ワークマン」に行くこと.そこで,「裏起毛」のズボンを一つ購入.初めて「ワークマン」には入ってみた.価格が安い.Lサイズでも自分の鏡に映る体型をみて,
間違いなく「中年太り」でお腹が出ていると納得.
けれども,めんどくさいダイエットはダメ.決めたことは,毎日1万歩は歩こう.
自分の毎日の歩数は,7000から8000の間に集約している.それ以外にはない.
当直の時でも9000歩ぐらい.初日はなんとか10454歩であった.合格.
それと,食べる量を10を9に減らそう.

12月6日()午前中は,土曜日に入ったヒトの回診.説明.どうも,自分の右肩が上がらない.あげたら痛い.間違いなく50肩.自宅(岡山市)で嫁さんから「銀しぶき」の食べ方を教えてもらう.なんと皮むき器も新品があったので,もらってかえって真庭ベースキャンプ(アパートの別称)でやってみる予定.この日も動いたはずだが,スマホを身につけていなかったので,7608歩しか歩いていない.この日にハヤブサ2から「カプセル」がオーストラリアの砂漠に落ちたとのこと.無事,惑星の砂?を持って帰れた様な.地球が出来たときの岩石と同じ成分らしいが,自分に取っては,それがどれだけ重要なものかよくわからない.なにか水分が含まれているとか記載があったが,不明.

12月7日(月)朝は自宅(岡山市)から車で75kmを通勤.午前中外来,その後,回診,
一日中働いても,紹介状,サマリーがたまっていく現状.夕方から一人転送でばたついた.歩数は10069歩. なんとか一万歩はあるいたが,体重はものすごく重い.冬の冬眠反応のためであろう.頭の中に用事が渦巻いている.

□ 認知症の症例記載
□ 脳外科JND記載 (これはなんとか10月までの分を登録)
□ 救急専門医のon demandを聞く.

12月8日(火)両側慢性硬膜下血腫の手術.これは岡大の先生と研修医の先生にやってもらった.慢性硬膜下血腫の手術をGoproで動画を撮ろうとしたが,うまくいかず.あっという間に中止,断念.普通にカメラで動画を取った方が良い.拡大,縮小の問題がある.

12月9日(水)研修医の先生と手術.考えさせられる.根本的に外科系には向いていないヒトに,一生懸命教えるのは本人に取ってもどうなのか.まあ,一回目は「基本ルールを知らない採点が付かないレベル」,2回目は「点数は付くが最低点」という印象.

自分がまだ手術の技術の習得中は,「一回経験したら100回やったぐらい勉強する.」をモットーにしていた.自分だけの手術のコツのノートを毎回書いていた.実際は,表面的なことに終始していたと思う.
また宮本武蔵の五輪の書の「1000回練習することを鍛,10000回練習することを錬と呼ぶ」という部分を読んで,「鍛錬する」とはどんなことかの覚悟をしていた.
一生懸命,練習をしていた頃を思い出す.
それでも,達人というレベルでは無く「普通の手術を普通に出来る」というレベルまでしか到達しなかった様な印象.
自分も卒業して2年目あたりは,ただひたすらやっていて,物事の表面しか見えていなかったのは事実.もう少し言うと「ヒトを切る」資格をもらっているヒトは,最大限の技術を修めないとダメ.局麻の手術を多くの研修医と一緒にはいって,研修医の必ず出来ないところはどこかなど,わかるようになった.はっきりわかることは「どんなことでもピンからキリまでレベルの差がある」ということ.これは,「良性腫瘍」「悪性腫瘍」と分かれるときに,最大限の悪性腫瘍に分類された中でも「さらに進行速度などの程度が分かれる」ように.初心者の中でも,動きに差があることがわかるという感じ.

12月10日(木)なんとか自宅(岡山市)へ.この日に,漸くわかったことがあった.
自分は最近,右肩が上がらない.あげるとやはり痛い.腕が後ろに回らない.

12月11日(金)朝は,自宅(岡山市)から奥さんを岡山駅へ送っていって,それから真庭へ.午前中外来.午後も仕事.19時半から少し,医局で横になったつもりが,気が付いたら1時間以上経過していた.やはり,75kmの遠距離通勤は身体にこたえるのであろう.
その頃から,朝6時過ぎに起きると,20秒ぐらいだが,身体がグラグラするように感じだした.右に倒れそうになる.

12月12日()認知症の患者さんが一生懸命訴える.「飲んだことの無い赤い薬を飲まそうとする.」「食事にも毒を混ぜられているかもしれない」「団体でいじめに来る」「お金を取られないようにしないと大変」など,本人は心底,一生懸命しゃべっているが,内容がその都度違う,土曜日の夕方に,そういうヒトの相手をするのはひどく疲れる.
本人が真顔で,「ここの病院でものを取られた」と近所のヒトに話をして,それをまた信じて怒ってきた人がいるそうな.認知症のヒトの「モノ取られ妄想」も,それまでの普通の状態だった時からずっとつきあっていた近所のヒトなら,最初は信じてしまいそう.
真庭ベースキャンプ(アパートの別称)にかえって,年賀状を書く準備をした.

12月13日()この日は朝9時過ぎに病棟,退院のヒトの抜糸.説明.その後は,脳外科症例報告を土日かけて,9月,10月にみた症例を登録.さらに,救急学会のon demandの講演を聞いた.救急学会のwebはなかなかよく出来ている.コンピューターのモニター上で,その講演会の画面にポインターがないと真っ黒になって,消えてしまう.最後に5問の質問に答えないと,「聞いたこと」にならない.なんとか「一つ」聞いた.後,3つぐらい聞かないと行けない.大変.13,14日に退院の情報提供書も書いて,真庭ベースキャンプ(アパートの別称)にかえってきたのが23時.ほんとによく働いた日曜日でした.当直などが当たっていたらここまで仕事は出来ない.真庭ベースキャンプ(アパートの別称)で寝た.

12月14日(月)土日のヒトの情報提供書などで疲れた.その後は午前中外来.午後から慢性硬膜下血腫の手術.一人でやると短時間で終了.同門会誌が届いて,皆さんの活躍をみた.この日は,自宅(岡山市)へ.高知の病院から母親が救急搬送された旨,電話あり.
転倒して運ばれた様な.結局は歩いて帰れて良かったが.今後どうするかの大きな課題.
忙しかったのでGo TOが12月28日に全面終了になったのを夜のニュースで見た.少しでも年賀を書いた.

12月15日(火)今年一番の寒さ.蒜山のほうには昨晩から雪が降ったらしい.今年は,去年と異なって,県北のスキー場もオープンできるかも.この日は,朝から書類,情報提供書がたくさん書けるかなと職場へ.Audibleで「半沢直樹 アルルカンと道化師」を聞きながら自宅(岡山市)から真庭の病院へ朝出勤.この日も朝6時に目がさめて,身体が右側に揺れながら傾く感じが10秒ぐらいあった.
朝9時にはもう一つの慢性硬膜下血腫が紹介されてきた.11時から一人で済ました.8日から15日までに3名,一人は両側だったので4個の慢性硬膜下血腫を手術した.午後もたくさんの仕事をしたが,積み残しが一杯.夜は,年賀状も書けないし,病院の新しい標語を考える時間もない.22時前にはESUSの患者さんに説明.
12月前半に「五十型」と「頭位変換性めまい」になった感じで,飲んでみたかった「アデホスコーワ,メリスロン,セファドール,メチコバール」を処方してもらい,内服してみた.仕事から真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰ると,今年初めて室内温度が9度まで低下した.
□冬タイヤに交換すること.

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