私生活,雑感

2023年 12月 私生活

11月30日(木)の続き、夜は赤煉瓦のレストランで食事をした。今回は一人でなく嫁さんが一緒なので、おいしいものを食べれてうれしかった。
12月1日(金)パシフィコ横浜。朝7時半から専門医用の講習、学会の始まる当日の始まる前に専門医用の講習朝朝7時半から8時50分まで。現地に行かないと単位がもらえない。ひどすぎる。一人目はなんとか聞いて、8時過ぎの二人目になるといつの間にやら意識が飛んでいた。気がついたら8時40分。何とか終了。それでホテルに帰って、モーニングが10時までだったので、食べて人心地ついた。また学会会場へ。会場の隣のホテルで建物がつながっており、建物内に通路があるのでものすごく楽。ランチョンセミナーまで聞いて、つぎは、コニカミノルタのプラネタリウムに行った。自分の子供の頃のプラネタリウムは,本当に星の話ばっかりだった。北極星、星座など、冬のオリオン、夏の蠍座は南にいかないと見えないなど、小学生の時の記憶があるが、そんなものでは全くなかった。
カラーグラフィックで全面の画像。山の中の駅で降りて、次の駅に行くまで森の中を歩くなど、その途中に、なんか源流の川が出てきた。なんとなく見覚えがあるというか、見慣れた段々のある小さな川、ヤチボウズというか岩の上に草がはえている中を川幅1mぐらいのきれいな源流は、自分がイワナを釣りに行く川に激似であった。既視感というかなんというか。その後は星の話。楽しかった。最後に取材協力「鳥取県」と出て、自分が行っている付近の川と判明。これは宇多田ヒカルが「大山の水」の宣伝に使った川の近辺と同じであろう。夜は出張がえりの息子もふくめて食事を一緒にした。おいしかった。
そこのフレンチは非常に胃に優しく、飲んだワインもおいしかった。しかし写真をあげたりは、若い女性が生活自慢で、こんなことをしたとかあんなすてきなところへ行ったみたいな、「えせセレブ」みたいな写真をのせて、見栄を張るような感じが痛々しくて、見ていてつらいので自分は出さないようにしている。その品のない写真も最近はみなくなった感じはする。というかインスタもX(旧twitter)も全く見ないので、わからない。若いときの思い出のひとつなのであろう。それは「自慢」したいことももちろんあるが、見栄を張りすぎると、まわりは痛々しさを感じると思う。最近はラインも本当に最低限の連絡先にしか使わない。
12月2日()この日も朝、7時半から講習を聞きにいった。一人目はちゃんと起きて聞いたが、二人目はもう、だめで寝てしまった。8時40分にはまた目がさめてなんとか聞いた。9時前に隣のホテルへ帰って朝食をたべた。二日目は和食の「なだ万」で食べた。チェックアウトして,Y-キャストなどに乗って、横浜から羽田。そして岡山に帰り着いた。
自分の感じたことは、学会はなんとか最低限出席した。そして痛めた左足は普通の歩行なら固定しておけば13000歩ぐらい歩行してもなんとかなると判明したのはよかった。

12月3日(日)昼前から真庭に、溜まっていた仕事を少しすました。

12月9日(

12月11日(月)ヘロヘロ外来、朝、白衣に着替えるときに、来年の標語募集に対して、どうでも良い標語を考えてみた。ちょうど12名の入院患者数のうち半数が90歳以上。皆、本人も大変、家族も大変。今までよく面倒みてこられましたね。また本人も90歳過ぎて、まだカマで草刈りなどして大変でしたねと慰労の気持ち、感嘆の気持ちで一杯だが、人間はいずれ絶対死ぬ生き物。いつまでどうするつもりかは考えておくことも大事だが、死ぬ前には面倒を見てもらわないと大変なことになるよと心配である。
それらをかんがみて、今の病院の役割も考えて「運命に 抗う(あらがう)医療 最後まで」というのが考えたが、あんまり現実を突きつけられてつらいので標語には選ばれないであろう。以前はおふざけで、「三途の川を渡る前に、ちょっと寄ってよ ○○病院」というのも作ったし、コロナのはやりの時は、有名なアニメから「ウィルスを、吸わない呼吸に全集中」とかいろいろ考えたが、絶対に選ばれないのはわかっていた。
12月12日(火)医師会の親睦会というか忘年会が3年ぶりにあって出席した。食事はおいしかった。飲酒はせずに、帰って来てまた病院で仕事。書類を作成した。18時半に出発して21時に半に病院へ帰って来て、24時前まで仕事して寝た。2年間の地域医療枠で研修にきている若い先生は、「あれは一回出たら十分でしょう(自分の役割は果たしたはず)」とのことで欠席だったが、2年間しかいない地域での開業医の先生方と食事、宴会などは、自分自身のしないといけないことには入っていないであろう。そこに2年しかいない。次の行く病院も考えないといけない、その前にまず、実力をつけないといけないなどの目の前のことで精一杯であろう。自分も若いときに多くの病院を変わって来たが、そこまで周囲に気を配れる余裕も時間もなかったので、そんなものであろう。

12月14日(木)朝一人目の患者さんが、慢性硬膜下血腫の再貯留だったので、午前中なら手術室が開いているということで、急いで手術をした。そのとき、考えていたことがあった。それは、慢性硬膜下血腫はもう、2泊3日で退院してもらうこと。それはまた別稿で。
「認知症サポート医」の終了証書が来た。それにあわせて自分の最後の名刺もできあがった。まあ、病院の規模が小さいから病院の収益は年間110万ぐらいしか上がらないらしい。自分の給料には一切反映はしない。しかし、「認知症サポート医」は認知症学会専門医、指導医よりは、実利があるのですでに14000人以上が講習を受けている。学会専門医とは全く別で、「厚労省の定める」と修了証に明示されている。講習と簡単なテストのみで、その資格保持者が病院にいて、それなりのチームを作れば、それで「点数」が付く。厚労省の資格と専門医機構所属の資格の差であろう。日医認定産業医も同じこと。日本医師会が認定した産業医だから,面談、視察などに費用が付く。脳外科、救急学会の専門医が診たから少しでも病院の上乗せの収益になるようなことは「一切合切」「全然、全く」存在しない。日本医療評価機構によると「何人専門医がいるか」をホームページなどに載せないといけないが、それが「病院の収益に直結」などは一切ない。
当日は、早めに帰って家族で外食に行った。年末の食事や忘年会は全く今年も無い状態。もう大勢で集まっての忘年会と言う文化はなくなりつつあると思われる。
部屋の天井の電球が接触不良で、机にあがってなおしていたが、椅子、床と左足を付いた時に少し曲がると、まだ足底、左足内側に激痛が走った。「だめだ、こりゃ」と言うことで、9月3日に損傷して3ヶ月経過しても、まだだめとよくわかった。
夜は救急医学会のウェブが聞けるかどうか漸く確認できた。一つだけ聞いていたら、気がついたら寝落ちしていた。そこで問題を解いてみたが、5問中3問しか正解できず、やり直して4問正解で、一つ漸く単位を取った。

12月16日()ひさしぶりに外来のない土曜日には、たくさんの残っていた仕事ができた。疲れもでていたので昼食を外へ食べに行って、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)で救急医学会の講義を聴いていたら、14日に続いて寝落ちしてしまっていた。

12月17日() 12月11日の晩から始まった救急医学会のwebでの講演を14日から聴いている。全部で10単位は聞けるようで助かった。11月28日ぐらいに現地の東京で学会があったが、現地で聞かないともらえない5単位は聞けなかったが、webで点数がとれて本当に助かった。今の今、見てみると10点は取れる。来年の3月末までに40点取らないといけないのが、今回学会参加点1点と講演10点で合計11点もらえる。7月に松山での地方会で現地に行って2単位取ってきたことがなんとか役にたった。今の今31点で、11点追加して42点で、自分の場合40点で良いのでなんとか5年分の資格更新を可能にした。
今年の専門医のまとめとしては、9月末締め切りの産業医を7月から一ヶ月で5年分で更新すみ。脳外科専門医も2年半で点数は獲得。後は更新のみだったのでそれも11月26日にメールで更新手続き終了。おそらく頭痛学会も前年が31点、今年が24点で61点取っているのでもう大丈夫だろう。指導医のほうがどうなるかだが、だめならだめでそれで良い。「指導医」というのは医師を指導するのであって患者には何の利益もない。脳外科学会もホームページに標榜はしなくても良い、あるいは記載する必要はないなどと説明があった。
晩ご飯を「スキヤ」のすき焼き定食を食べているとき、右の上の歯のつめものがまた落ちた。今、2本を治療中だが、3本目が壊れた。

12月18日(月)外来がない日なので書類、オペ記録、MRIを眠らせながら撮影など、今日も一日、大変。19時過ぎからは救急医学会のオンラインの講義を聴いて問題を解いて一単位とった。後2単位まできた。日曜日に頑張りすぎて、疲れて早くねた。灯油を入れていなかったので朝の6時過ぎにファンヒーターがタイマーで入らなかった。寒さで目がさめてしまった。 夜は1度まで低下。しかし雪は降らず。
年末の大掃除をすこしずつしないと。早めにごみを捨てないと大変なことになる。
12月19日(火)14時、16時と患者家族に説明。他にも電話で説明した。さながらコールセンターのヒトみたいに家族に電話した。コロナ以降、来てもらって説明よりは電話で説明がものすごく増えた。この日は研修医に症例提示ができた。17時半には脳多発微小血管障害のヒトが受診してきた。時間外で見たが、今後、5年もすれば血管障害型認知症になるだろうと自分はわかったが、若い先生は、「陳旧性の脳梗塞がある」程度しかわからなかったような。情報提供書の内容も全く本人の症状の説明にはなっていない。無理からぬことであろう。自分も脳外科の専門医をとることと、認知症の専門医をとるための脳MRIの見方は全く違うことに気が付くのは2021年に認知症の専門医を取るときに初めてわかった。脳外科の専門医は30年以上前に取ったが、「手術」の勉強が出来ていないと合格しないので、全くpoint of viewというか、MRIも症状も見方が全く異なる。
12月20日(水)外来が11時から12時までと、15時から17時までやっているが、どうも「午前中もやっている」ということで、9時台から新患、紹介状をもった患者が続々とくる。要は11時から12時の1時間の枠に、15人がくる。新患が5人は入る。最近は毎週、その外来が済むのが13時半から13時45分ぐらいだった。それが、今回は14時すぎた。昼食は食べれないまま、午後の仕事に突入。どうしたらよいか。10時半からにするか。そもそも14時からは総合脳ドックがあったので、11時から12時までと15時から午後の外来としていたが、自分の予約枠が3倍ぐらい入っている状況になった。さらに非常勤の医師が来年の2月末で辞めるので水曜の外来にその人達が流れてくる。どうやって患者数を減らすかが目の前の大問題である。入院患者も多い。どうやって患者を減らすか。(月)(火)(木)の外勤の先生の日にとにかく回すしか無い。彼らの外来は結構すいている。どうするか。
規模も小さい病院でどうやって外来を回すか。とにかく開業医も減っているので、まずは内科にお願いする。過活動膀胱などのヒトも自分が処方もできるが、泌尿器科にまかすのも大事。とにかく、他へ紹介するのが大事。その手間は大変だが、諦めないこと。

12月21日(木)15時半には仕事をすまして歯医者へ、その前の日曜日にもう一つ歯野詰め物がおちた。合計現状、3本の歯がない。中学生の時の虫歯の治療をしたものが50年後にまたなったということ。50年保証がきれたということ。いま治療すれば、次の50年は大丈夫だろうという感じ。
12月22日(金)午前中、外来、自分の努力が実ってきて、少しずつは外来患者数も減ってきている。足の痛いのも、少しは改善。夜は脳出血が1名急患で入院。土曜日の午前中に再説明
12月23日()この日は、午前中外来。17時半まで日直。12時40分からノンストップで来て、最後は脳幹梗塞疑いで入院。その後、面倒な症例が病院まできて、そこから大学病院に救急搬送となった。やや面倒くさい。夜は21時過ぎに「すきや」の「スキヤキ定食」をたべた。
12月24日()10時半から11時半まで患者を診察。救急医学会のオンラインの講義を1時間聴いて、これで無事10単位全部とれた。これで5年分が全部とれた。今年はこれで救急医学会の専門医更新も出来ると判明。2023年は「脳外科」「救急」「産業医」と5年ごとの更新は済んだ。2021年に取った認知症学会のほうは大丈夫か?「脳卒中学会」は大丈夫の印象。その後に、なんとか真庭ベースキャンプ(アパートの別称)の切れていた1本の電灯を購入して付け替えた。部屋が明るくなった。知らなかった。

12月25日(月)土曜日の晩に入院した画像に写っていない延髄梗塞の人が夕方、突然、呼吸が止まった。昼にはMRIを撮って延髄梗塞も描出できていた。何か咽頭部に放射線治療をした後で気管挿管も大変そうだったが、なんとかなってバタバタした。自分はプレセデックスよりは脳疾患で眠らさないといけないときはプロポフォールのほうが手慣れている。ばたついた。
12月27日(水)この日は、外来が遅れて終わって、19時前に医局でボウーッとしていたら、「今日は行かないのですか?」と聞かれた。その日は研修医の送別会。当日にたくさん入院患者のCTを撮っていたが診るヒマもなかった。しかし、年末でしかも歩いていける店だったので久しぶりにビールを飲んだが、すぐに酔っ払ってしまった。「太りすぎ」であろう。なんかしんどい。
12月28日(木)この日は、情報提供書を年内に4名書いてくれと頼まれていたが、延髄梗塞の人が呼吸が止まって以降、間違いなく年末年始の間に気切がいるとのことで、急いで施行。後は呼吸管理。そんなこんなで、他の用事はなにも出来なかった。なんとか20時前には自宅(岡山市)に帰れた。年賀状をかかないと。他に障害者用の書類などメンタルに大変な書類を書いた。
12月29日(金)お休みだが昼間から指示だし、そのほか。夜は副当直。院外対応にしておいて、なんとか頼まれた患者をみて、年賀状を書いて30日の朝には出した。
12月30日(土)この日も、たまっている仕事をすました。

12月31日()夕方まで頑張って、「年内に情報提供書 4名」を書いたが、どうせ1月4日にFAXして、転院、施設入所は1月9日以降になるだろうが、とにかく自分の中では仕事を済ませた。まだ意見書が残っている。18時には自宅(岡山市)に帰って、ひさしぶりに「年末を自宅(岡山市)ですこせた」夜は紅白をみて、Ano ちゃんとYOASOBI, ADOと見られて、紅白も変わったもんだと思った。まあ、2023年は最後の最後まで用事が満載だった。来年は引退の年になるので、どうするか考えよう。

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