2月2日(火)先週の水曜日に速達で,「専門医の推薦のサインが必要」で岡山市の病院に送った.なんと,それが「月曜日に本人に渡った」と電話で問い合わせて判明.
要は,「速達で真庭市から岡山市に送ったら,5日目で目的の人物に届いた」と言うこと.病院までは1日で到着,その後,4日かけて院内を回って本人に到着ということでしょう.時間は余裕があるため,問題は無かった.
2月4日(木)上記,向こうから3日で速達で送った封筒は,4日の午前には,こちらに到着.あとは受験票の写真だけ.夕方にネクタイで上半分だけスーツを着て,写真を撮って受験票に夕食後には貼った.5日には郵送して,無事,受験申込みは終了.
なんか薄着でスーツの上だけ来て,写真を撮っていたら,風邪引いたのか,寒いし頭が痛い.顔写真については,プリクラだけでなく,今はAIでいかようにも変えられると分かった.
2月6日(土)2月14日のセミナーのハンドアウトというかテキストが来た.外来も無い.
2月8日(月)今日は,ワクワクして職場に出勤.
それは,今の病院に来て4年半,初めて「仕事が減った日」である.
大体,自分の外来の枠を増やすときは,事務に話をして,分かりましたと一言で終わり.それを,毎週でなく1,3,5週に減らすと伝えると,「院長,理事長,副院長にちゃんと話をしてからにして下さい」と事務の返事.「初めからその時間帯にはなかった外来を,こちらの気力と好意でしてあげていたものを毎週を隔週に減らすだけ.まあ,今までにゼロ枠だったものを5枠に増やしてあげて,次は3枠に減らすという話.ゼロからマイナスになるわけでも無い.またいつも外来に呼ばれて,頼まれて外来もみているが,それらは,全く仕事にカウントされていない.立場上,仕方がないのであろう」実情は,はなから無視されている.
サラリーマンは皆そんなもんであろう.もちろん,どの職種の人もそうやって努力をしているので,文句を言うつもりはない.
給料を上げなくてよく,職員の仕事が増えて,病院の収益になるのは,無条件にOKで,
同じ給料なら,できる限り働かせたいというのが経営者側の理屈であろう.それに従わないヒトは「辞めてもらう」のが正しいが,「今は職員を簡単に辞めさせることができない世の中になったので,簡単に雇うこともできなくなった」というところか.
14時に別件のお話.手術のナビゲーターというものがある.シリーズ7と言うのは2011年発売で,地域振興費のようなもので今の病院で2011年に購入できて,使っていた.2021年で補償期間が切れる.次のシリーズは2018年モデルらしい.今の今,前のが壊れているが,その修理代も,新しいモデルに変更するのも驚くほどの価格である.その新しいモデルは現在,岡山県内では一つの大学病院しか納入されていないらしい.それほどの高機能モデルを田舎の脳外科医師一人だけの病院が購入するのは,おかしい.なるようになるであろう.2011年から2021年までに10万人が8万人に対象人口が減っている.不要であろう.
専門医を受ける学会から申請書が到着したとメールが来た.5日(金)に出して8日の昼過ぎには東京に届いた.
2月9日(火)何とか夜に脳外科の全例報告をいれた.2020年の主治医で入院はジャスト100名であった.ラクナ梗塞などは内科がみてくれるようになって,少し楽になった.脳卒中のラクナ梗塞なども入れたら,120名ぐらいは入院になる.一名で診ているのではまずまずであろう.
月曜日の晩から,後頚部が非常に痛い.両肩関節も痛みで動かない.右上腕が上がりだしたら,今度は左上腕外側が痛い.
クラウンデンス症候群か何かしらんが,後頚部痛の痛み止めを処方してもらった.
この日からネックカラーをしてみた.大分楽.
2月10(水)この日は,午前中に2名退院の段取り,転院してきた患者さんの段取り,
他にも,外来で呼ばれて仕事.カロナール,デパス,ロキソニン飲んで,楽になって,午後は外来,その後は22時まで副当直.しかし,疲れていて気が付いたら22:30になっていた.要は,寝てしまっていた.まあ,帰ってからお勉強をしようと思ったが,なんと,そのまま寝てしまった.
2月11日(木)祝日.建国記念の日 らしい,日時が正しくないので,まあ,国が出来た日なのでお祝いをして,この日にはじめて「万歳三唱」が繰りかえされたらしい.
まあ,今日の自分の目標は6時間は勉強して,部屋の掃除をして,春に備えようというところ.
驚いたことは,偶然発見したが,以前の病院で脳外科医師として一時的にも同僚として働いていた若手医師が,血管内治療がしたいといって,スピンアウトして出て行った.その若い先生が「薄毛専門医」としてネットで出ていたこと.まあ収入はすばらしいものがあろう.ADHDかLDかやや特殊な部分があったが,「その部分のみに全力を注ぐ」のなら実力を発揮すると思われる.スタッフをまとめたりリーダーになったりの気質は無いので,「ある一芸の達人」として,人生を切り抜いていくことは良いことと思う.「高機能自閉症」で有名な,ビルゲイツ,スティーブジョブスなどと同じで,まわりがしっかりしていれば,なんとかなるであろう.ほっとした気分である.脳外科の過剰なストレス,複雑な人間関係など苦手であったとおもっていたので,しばらくは安泰であろうとホッとした気分になった.
2月11日(金)外来やって,脳ドックやって,夜は休憩.日本海のサカナの刺身を食べた.
2月12日(土)外来,遠方から認知症の方が来られた.完全にアウェイなので,どうしたものか.隣の市の奥の奥の田舎の方.お勉強中なので,色々考えた.
2月14日(日)この日は9時から16時ぐらいまで頑張って,病院でweb seminarを聞いた.これで,専門医を受ける資格がそろった.なんか,後は,本さえ読めば良いというところまで来た.
試験日を調べたが日にちと都市名だけが載っており,何時から,どこの会場でやるかが書いていない.それもこれもコロナのせいであろう.