2022年
2月1日(火曜日)1月31日に慢硬2例、1例は両側だったので合計3個を手術したのでその、オペ記録をいれた。
2月2日(水)母親の件で、岡山市内の病院の医師と相談。しばらくリハビリをして、高知、岡山を自分が搬送することになる。ここまではその計画。
2月3日(木)高知の母親の入院している病院でクラスターが47名でた。朝から電話あり、直近、脱出計画みたいなもの。そこの病院の別病棟から出たらしい。それは、道を隔てた、途中に3mの用水路?小川も流れており、距離の離れた別棟なのは自分もしっていた。入院している母親を、その病院ではなく、こちらの田舎に脱出させようという作戦。
大変なのは自分。
15時に別の日の手術同意書を、渡して説明すみ。
夜は、自宅(岡山市)庭に節分の豆まきをした。眼鏡が届いていた。遠近に近い中近とのこと。
2月3日(木)いつはじまったのか、北京オリンピックはこの日あたりか?
コロナも岡山県も史上最多を記録しているが、自分の日常生活が忙しすぎて、よくわからない。
2月5日(土)2月7日の転院2名を段取り。とにかくばたつく。12時40分に母親のPCR(-)と前院から連絡あり。夜20時前に車椅子を病院からかりてデミオにのせたが、結構大きい。後部座席を倒して、さらにトランクのカバーものけないと車椅子は入らなかった。そこへ段ボールを敷いて、椅子の後面が傷つかないようにした。段ボール箱はPCやモニターものを結構たくさん持っており、「足ふき」などに活用しては捨てている。真庭ベースキャンプ(アパートの別称)はホームレスがすんでいるような感じでもある。
2月6日(日)大遠征の一日。朝準備をして7時50分には真庭市を出発。雪の中をウィンドウオッシャー液を出しながら、高速に入ると、すぐに液体が出なくなった。窓が一時的に塩で真っ白になってしまった。結構な速度で維持して高知の病院に10時00分に駐車場にいれて、退院の説明を受けた。その後10時45分には実家に戻り、準備して13時45分には高知市の実家を出発。16時ジャストには、真庭市の病院に到着。IDnowでコロナマイナスを再確認。自分もやってもらって(-)であった。
とにかく、一つずつが大変。実家を出る前に車椅子をおして、銀行の通帳の記帳に行った。
ATMからお金を引くときも、母親が暗唱番号を忘れて、何回か間違えて反応しなくなる。そこでカードの暗証番号が判明しても、もう全く取引できず機械が反応しない。それを説明すると「あんたが間違いを何回も押したから」と怒る。最後に実家を出る前に、トイレに行っておいてと頼む。それがすむと出てきて、何かを探している。「トイレカバーがないとお尻が冷たいからつけておかないと」という。これから一ヶ月は留守にするのに、直前に何をしている?。
そもそも、もう、高知で一人暮らしはできないとこちらは覚悟をしている。病識が全くない。
兄嫁さんのおかあさんが、冷蔵庫を空っぽにしてくれた。そのうちのいくつかを箱にいれて自分の車にのせて自宅(岡山市)へ、さらにその一部は真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に。多くの荷物をのせて移動。車の燃料も前日には満タンにしていおいたが、ほぼ次のを入れないと。1月26日からAudibleが聞き放題になっている。コンテンツも増えたので、よいのではないかと思う。高知への日帰り往復420 kmも聞きながらというか聞き流しながら運転して帰った。
2月7日(月)退院が2名。なんとか段取りできた。母親が実家から持ってきた下着は半袖だったので県北では寒くて無理。すぐに自分のヒートテックを3枚持って行った。今の今、自分は普通のヒートテックは着ていない。「極暖」、「超極暖」のみなのでいっぱいあまりがあってよかった。この日は夕方から慢オペオペを一つ行った。初期研修医も入れてよかった。微妙にやり方が異なる。
2月8日(火)この日は簡単なオペを朝10時から入れていた。説明もオペ室の段取りも承諾書ももらっていたが、入院してきて半年以上全く発熱がなかったのに、(日)(月)と発熱して、自分の術前の月曜日の採血でも細菌感染のデータでオペは中止に。自分はこの日のために3名の外来患者さんの予定をずらして来てもらうようにしていたが、すべての段取りがパーになった。事務のヒトにも電話してもらったり、多くの人の努力が無になってしまった。
2月10日(木)この日は朝7時半に呼ばれた。その後、朝の仕事の時間が来て、そのまま働いて、今日は14時までで散髪へ。そのまま行ったので、洗濯物を持って帰るのを忘れた。通常の予定日に自宅(岡山市)に帰れなかったこともあり、普段よりも大変多くのものを持って帰る予定だったので、それは結局、こちらのコインランドリーですることに。次から次へと日常の生活がドミノのようにうまくいかなくなっている。
2月11日(金)建国記念日 この日は明治時代の制定。まあお休み。眼鏡市場に行って眼鏡を調整してもらった。後は、真庭ベースキャンプ(アパートの別称)にかえって疲れて寝て寝てしまった。
2月12日(土)外来を9時から12時にすまして、次は木曜日の晩に入院したヒトの段取り。日曜日にMRIを撮って帰る段取りをした。外来がすんで病棟の依頼2名をすまして、昼食も食べられず仕事を済まして16時に真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰った。なんとか食べて疲れて寝た。母親がマスクの横を糸でかがって小さくしていることが判明。普通の大きさでは頬部に隙間が空くのでそのようにしているので、看護師さんに針糸を希望したらしい。こちらには「小さいマスク」を買ってきてほしいとのこと。夕方、店に寄って購入。とにかく、小さな用時がたくさん。全く「我慢をする」という発想がないヒトを相手し続けると疲れる。
2月13日(日)ようやく、朝に自分の車の中の後部座席の上のカバーを戻した。さらにウィンドォッシャー液を入れた。時間は10分もかからなかったが、昼間というか明るい時間帯に活動できなかったので、ようやく元に戻った感じ。午前中に本日退院の家族、明日退院のヒトの診療情報提供書などすまして、灯油を購入しに行った。その後は、医局でもう一仕事。その後は、夕方コインランドリーで洗濯。これは、全部で1時間半はかかる。ほんとに、毎日雑用の山で圧倒されている。それと3月24日(木)に検診をいれた。それまでにここにきた体重に戻す。要は4kg減量すること。健康的にやせる。筋力をつける。これを毎日心がける。23時以降は食べないということを決めたが、2日間意識してみると、結構、寝る前にチョコレート、イチゴ、パンなどむしゃむしゃ食べていることがわかった。2月14日からは22時半以降は食べないと決めた。時間を早めた。
2月14日(月)なぜ中年太りになるかの地球規模のデータが出た。中年太りは代謝が下がるわけではない。毎日の歩く歩数、使う筋力などが減少することが基本。20歳代は毎日8000歩以上が、50、60歳になると7000歩に下がってくる。食事量はそれに合わせて減っている訳ではない。また週末にはのんびりして、食事量は同じ。間食も若いときと同じようにする。それで徐々に体重が増えていくのが答え。代謝が落ちるのではないというのが大きな結果。今までの説を覆す結果であった。世界中で6000人以上のデータの分析なので、ほぼ間違いないであろう。年取れば、座って書類仕事などが増えるのでそれらが文明国では原因であろう。自分の歩数計でも毎日の仕事では、多くて7200歩程度しか歩いていないので、合っている。
2月15日(火)