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別記載からの記事の移動

これは,以前の促成栽培で作った記事を全部こちらに移動させたもの.
自分のオリジナルの記事なので,著作権もなにも侵害はしていない.
この文章は,ある目的のためだけに作ったものでした.
こちらにアップさせたら,もう終わりです.

こちらに記事の文章だけを移動させました.
そして,2018年6月8日にその元ネタは削除しました.

1)一つ目の記事

これは,タイトル:父親の突然の奇妙な発言2015年4月1日の記事.

急に思い出したことがある.
自分が高校生の頃,自分の通っている高校の野球部が県の決勝大会で負けた.
昼休みに,選手たちが泣きながら帰ってきた.
翌日の朝,その話を,朝食を食べながら,父親,母親の前でした.
父親が,ひとこと「それは練習不足だったからだろう」としゃべった.
なにか,得意げな楽しげな感じであった.
朝食のパンをかじりながら,クラスメートの野球部の彼がかわいそうになった.
しばらくして,あまりに奇妙なので,
「一生懸命練習しても,負けてしまうと,いろいろ言われてかわいそうな」
と言うと,
父親が,「誰かにそんなこと言われたか?」と聞いてきた.
はぁ? 一瞬,意味不明.今で言うフリーズした状態になった.
母親が「今,あんたが言ったじゃないか」と指摘.
驚く父親.
奇妙な会話.
自分が高校2年生の頃,逆算すると父親は46歳ぐらい.
そのときは,「発言するのにも,全くテキトー」な人と父親を思った.
今の自分の解釈では父親は軽度認知障害ではなかったかと思っている.
時々,こちらが理解不明なことを言っていた.
と突然思い出した.

今回のブログに移動してからの追加の文章.

父親は,とにかく自分が小学生の時から,あるいは幼稚園の頃から,
ある意味,「奇人に近い」と思っていた.自分には理解不能で
会話が成り立たなかった部分があった.

今,思えば「ASDの軽症型」ではなかったかと思う.
高機能自閉症なのか,今なら,
似たようなヒトをみても対処できるのは,この父親をみてきたからであろう.

自分のしていることは「正しいことの一部」であると言う認識がない.
相手が違う意見を言い出すと,烈火のごとく怒りまくり出す.
それは,父親の兄,自分にとってはおじさんに当たる人も同じようであった様.

まあ,自分が交通事故の後遺症で,膵液?を嘔吐しているときも,
病院から帰ると,
「そんなものは,急性胃炎で,寝たら直る」と紙に書いてあった.
大嘘で,その後,病院でも盲腸と誤診されて手術した.退院して1週間後に同じ腹痛に襲われて,膵液で腹膜内が癒着してそれによる腸閉塞とわかった.
小学6年生の自分には,「この人間は,全く信用できない」と決定的なことになった.

自分が研修医になったとき,25才ぐらいか.
年末の大掃除をしていたとき,
自分は窓を拭いていた.その横で父親は皿を洗っていた.
それぞれが,仕事をすました直後に,会話の続きをしようとすると,
父親は,全く覚えていない.
「今,話をしていたのに」というと,
「こっちは,一生懸命,皿洗いをしていた.話など覚えていない」と本気で怒り出した.

研修医の自分には,意味不明で?????と言う印象.
その後,それが,「二つの異なるタスクを同時に行う」ことができないことと判明した.
銀行員だった父は,自分が23才の時に早期退職した.
おそらく,50才前には,軽度認知障害になっていただろう.
46才といえば,自分は救命センターでヘリコプターに乗っていた頃.


2)二つ目の記事

これは2015年4月3日の記事.

タイトルは,新しいPCの設定.
3月27日に新しいコンピューターが来た. システムはあえてウィンドウズセブンにした.

それは自分の持っているソフトで,8.1が動かないものがある. それは,自分にとっては高級ソフトで買い換える力がない. 確か,テンが夏には出るらしいが,自分としては そのときまではセブンで行くつもり.

ノート型は8.1である. 自分にとっての高級ソフトは動画編集用である. まあ,いずれは,買い換えるであろうが.

それに併せて古いコンピューターは,職場にあげた. それと古い32インチモニターもあげた. 新しいコンピューターでは,非常にきれいに写る. しかし,32インチモニターは持ち運びが本当に 大変であった.車のボンネットに乗せても,大変.

そのかわり,今度は23インチの4Kのモニターを購入.

まあ,いろいろ見た目はセッティングができるものと思いました. これで20台以上はコンピューターを購入したことになる.

どんなものを購入したか,もう,忘れた.
最初の7台はマックだった.
昔の思い出は,マックのノート型を,14万円で購入して, 一年後に7万円でうれたこと.
他にもシャープの薄いムラマサなど 懐かしいものがいくつかある.

今日,23インチの4Kモニターが来た. 非常に軽い,そして,きれい. 落ち着いている.また新たな気持ちで仕事をしよう.

3)3個目の記事

タイトル:母親が送ってくるスイカの話

突然,驚きの話を聞くことがある.
自分の母親は,いつも夏になったら故郷の高知から
大きなスイカを2個送ってくる.
これは自分が一人暮らしの学生時代も結婚した後もである.
自分の嫁さんと子供はあまりスイカは好きでないので,
自分一人が 頑張って食べることになる.

母親がもうすでに80歳になろうとしても,送ってくる.
そこで,初めて「どうして毎年送ってくるのか?」と聞いてみた.

驚きのお話をその時初めて聞いた.

それは,自分が5歳の時,交通事故で入院,緊急手術をした.
膵管損傷で,ほっとけば死んでいたと思う.
その当時は東京の世田谷にいた.
少しは,ものを食べられるようになったとき, 自分が言ったらしい.
「スイカが食べたい」と.
その時,季節外れであり,簡単には手に入らない.
銀座に高級な果物屋があり,そこで一個買ってきたらしい.
それで,自分は少しずつ食べたらしい.

その後,母親は,スイカを食べさせてやりたいと常に思っていたらしい.
確かに自分はスイカは好きであるが,そこまでの執念が母親にあったとは,
自分が50才を超えて初めて知った.
5歳の時に自分が言った一言がそこまで母親に影響を与えていたとは.

感謝している.苦しかった自分は全く覚えていない.
むしろ,その時の入院は
「隣の病室のTVでオバケノQ太郎を見えたこと.」
髪が長くなって,散髪をしてもらいながらヨーグルトを食べて,
その当時は瓶であったが,その中に髪の毛が入って食べるのが無理であったことなど.
まあ,親心,子知らずの典型的な話. 


4)4個目の記事

タイトル:突然思い出されたこと 2015年4月8日の記事

夕食中に,子供の将来の仕事の話をしていたら,
自分の新婚時代の話を突然,嫁さんにされた.

自分が,まだ専門医を取り立ての頃,
なんとか,顕微鏡下の血管縫合がうまくならないか
練習していた. 練習用道具も買っていた.
あまりの進歩のなさに「自分は向いていない気がする」
と嫁さんの前で嘆いていたらしい.
「自分は,漁師になりたい」と言っていたらしい.
妊娠してお腹が大きくなってきていた嫁さんが
「ほんとにつらいんだろうなぁ」とその時は思った.
何年たっても,結婚して16年経った今も忘れていないとのこと.
自分は,忘れてしまっていた.確かにそんな時代もあった.

懐かしかった.今では,ほとんどの手術はできるようになった.
「初心,忘れるべからず」 というか,確かに言われてみれば,
思い出した.辛かった修業時代.

今では,その時怒られていた上司よりも,こなした手術件数は
多いと思う.

突然,16年ぶり以上前の,当時住んでいた大阪のマンションの
部屋のレイアウトなど,急に思い出した.
その頃は,自分はどうなっていくのか不安の塊であった.

5)5個目の記事

タイトルは,自宅前の桜並木 2015年4月9日の記事
3月は忙しかった.
体調もすぐれなかった.
しかし,突然,自分の家の前の桜並木をみて,
驚いた.

いつの間にやら,桜が咲きかけている.

数年前も,忙しい,寝る間も無い生活をしていた.
その時も,道沿いに初めて植えられた,
小さな桜の木に,つぼみが沢山できていたのを
昨日の事のように思いだす.

咲きかけた桜は,あっという間に満開になって,
そしてすぐ,目の前の道が桜の回廊のようになっていた.
まあ,雨が降ったときは,道前面が桜色に染まっていた.
あっという間に,散っていっている.
お花見などは,全くこの20年間したことが無い.
河原で焼き肉を焼いて食べたのは1993年と記憶している.
桜を見ると,いつも,「自分が季節に関係なく,ひたすら忙しくても
いつか,春がまたくることを教えてくれる.
そこら辺から,冬服も着なくなって
「自分の季節が来た」と実感する.
そして,春には必ず,雨が降る.
一雨毎に春になるのを実感.
今年も,ヘトヘトに忙しかったが,何とかなった.

6)6個目の記事

タイトルはドアノブのネジを半年間ほっておいた状態 2015年4月11日の記事

自分が,NYで研究していた時,
もう,20年以上前になる.
自分は30才になっていた.
用事があって, NYから自宅に1年ぶりに帰った.
玄関のドアノブがネジが緩んで落ちかけている.
ドライバーを探し出して,とにかくネジを巻いて止めて
それで,なおった.
まあ,緩んでいたのだから,締めたらなおる理屈.

別になんでもない,どこでもある話と思っていた.
驚いたのは,その後.

母親「ネジを締めたら直るのね」
自分「そりゃ,そうだろう.簡単な話」
母親「

 

7)7個目の記事

土砂降りで終わった今年初めてのフライフィッシング 2015年4月11日の記事

4月はじめの土日
今年になって,
はじめて,まとめて土日がとれた.
それで,いつものダムのインレットに行ってみた.
土曜日は小降りだが,シトシトと小雨.
まあ,この調子なら何とかなるだろう.
天気予報は,雨で天気が崩れるとのこと.
それでも休みがないので,昼前に勇んで行きました.
途中から小雨がさらに強くなる.
それでも目的の場所に到達.

川は濁流,大きな木や葉っぱがどんどん流れている.
それでも,流れが緩いところには少しは,魚もいるかも.
茶色い濁流の中に,ウェイダーをはいて入っていくと
水圧で流されそうな.
それでもフライを無理して投げてみた.
すぐにゴミに引っかかる.しかも流速も速い.
おそらく,魚も下のほうにへばりついて,耐えている印象.
15分もすると,雨はどんどん強くなる.
流されると,ただではすまない感じ.

現場にいる時間15分で撤退.
着替えて,車の中に入ってほっとした.
まあ,忙しかった3月に比べたら,
「とにかく,フライフィッシングの場所までこれたんだから」
と自分をなぐさめて,とりあえず終了.
なんとかかんとか自宅に帰り着く前は,雨も上がっていた.
まあ,「あの濁流なら,後,一週間はだめですね」と納得.
ボロボロの初戦
それでも,気晴らしにはなった.
おさかなさん達,ことしもよろしくね.

※以上が,自分の記事でした.これをもって
目的は達成したので,書かなくなった.

2018年6月8日付けで以前の私の記事は,削除,この世から消しました.
世の中から消えました.

 

 

 

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