あまりの忙しさに記録も何もない.
9月の初め頃は,サ道に入門して暑さをしのいでいた.
要は,サウナに入ることだが,やはり温泉に近いのだから,
いくつか探した.
9月3日(土)この日は,湯原温泉の湯本温泉館? また名前は調べる.
600円はお安いが水風呂がない.
9月4日(日)二日続けての湯原温泉.この日は有名な八景に行きました.
1000円で,なんか昭和の温泉という感じであった.
そこら辺までは,結構な夏モードで楽しかった.
医学部の1年生の学生さんが実習にきていた.なんと1年生は実習に来た今の今まで,3日間しか登校して大学に行ったことがないと判明.驚いた.
コロナの影響は,県北の小さな病院では感じられないぐらい大きいと感じた.
学生さんに何か話をするように,言われて,土日に温泉+サウナが県北での週末の過ごし方などどうでも良いことを説明した.
9月6日(火)研修医の先生と学生さんとで湯原温泉の八景に夕方から行きました.なんとホテルが,貸し切り?17時に締まっていた.電話すると留守電になっていた.なんか他県の大きな車がホテルの玄関の前に止っていた.
近くのホテルの温泉に行ったら,残念なことにサウナがなかった.まあ,帰りにクシカツと刺身がおいしい店に行けて,それは良かった.
まあ,この頃までは,お気楽夏休みモードだったが,急に忙しくなった.
そこら辺から,毎日毎日メチャクチャ忙しくというか,フェルトソールの貼り替えばかりに時間が取られてなんかうまく行かなかった.
9月16日(水)簡易脳ドックと言う名の「脳MRI,MRA(MR脳血管撮影)」だけを撮っての説明というコースがある.世の中に脳ドックという名前のものはたくさんあるが,基準をみたしているかどうかも大事なこと.
その名義上の簡易脳ドックの説明をを辞めたいと非常勤となった前任者が言われる.一月に1名ぐらいしかいないらしい.
別に,その先生の時だけなので,また自分は一切それに関しては関与もしていないので,その先生がその簡易脳ドックをやめても,「わたくし個人としては,全く困らない」という状況.自分の仕事には一切関係がない.
ところが,健診センターのほうは,「その先生が辞めた分,どうしたらよいか」との質問があった.
そうなると話が違う.
自分がしないと行けなくなるなら,「非常勤に渡していた給料の一部がこちらにまわってくるなら,する」のが労働の対価ということになる.
「自分のやっていた仕事」をもうやめるというのは良い.
それを他の職員にさせて,自分は元の給料のままというのは,余分な仕事をさせられる他の職員に失礼なことになる.一体何がどうなっているのか.
簡易脳ドックがいやなら,「脳ドック学会の基準に準じたフルの脳ドック」をすれば良い.
そもそも,自分のところの脳ドックは「人間ドック」にプラスアルファの料金をはらって,はじめて脳ドックになる形のもの.
要は,脳ドック学会のしないといけない基準の中には入っていない胃カメラとか多くの人間ドックには必須の検査で脳ドックには不必要な検査がたくさんある.
そんなこんなで,以前働いていた「脳の専門病院」の脳ドックとは,同じ「脳ドック」という名称を使っているが,中身は別物であるという大きな違いがある.
「同じ日本語で別の意味」
「同じ単語で,別の内容」ということになる.
脳ドック専従医師がいれば,数はこなせるとは思う.以前の病院はMRIが4台あった.今の病院は1台しかない.しかも脳外科専門医が10名いた病院と専門医というか脳外科常勤が1名のみしか働いていない病院では働き方が異なる.
まあ,企業体としては,数を増やして儲けたいという気持ちはわかる.しかし1人しかいない脳外科医師に,今までの仕事に加えて,さらに追加させて新しい仕事をさせようというのはどうなのか.それで給料は据え置きなら,普通の感覚の持ち主ならその職場を辞めていくように思える.
9月17日(木)この日は,昼から有休をもらって散髪に行った.夜は家族で食事.
9月18日(金)
9月19日(土)この日は,朝から鳥取へ,初めての川に連れて行っていただいたが,全く釣れず.鳥取だけが9月末まで釣れる.しかし,本流というか里川で自分の好きなタイプの川だったのでまた行ってみたい.夕方は自分にとっては,記念碑的なあるいは県北の釣りのベースになった川のひとつにに行って,5匹ほどアマゴが釣れて良かった.
9月20日(日)いつ,自宅(岡山市)に帰るかわからなかったので間違って,高速道路に乗ったので,ついでにパーキングエリアに寄ったら駐車できないぐらいの大量の車に驚いた.この4年間,そこへよったりしていたが,初めての光景であった.そこで,「月下美人」の大きな葉っぱを売っていたので,購入.月下美人は,要は,サボテンの一種である.
なんか人間か生き物みたいな.
乾燥させたら,葉っぱから根が出てくるらしい.それを土に植えるらしい.
9月21日(月)敬老の日 この日は鳥取の二日前に行った川の自分が行ったことのない上流を歩いてみた.しかし,この時頑張って歩いて,フェルトソールの底に打ったネジのおかげでメチャクチャ足の裏が痛いことになった.まあ,うまくいかなかった.一ヶ月かけて,ろくな結果にならなかった.
9月22日(火曜日)秋分の日:そんなに高速道路は混んでいなかった.夕方17時半から副当直なので,病院へ.22時までの予定が,丁度それから急患が1名きて,24時まで働いた.
9月23日(水)カメラケースが来た.モニター面のカバーも来た.
シルバーウィークも大変.
仕事は,てんこ盛り.目の前の仕事が一杯.
9月24日(木)
9月25日(金)ソーシャルディスタンスを取って歓送迎会,それが終わって医局で退院サマリーを4人分書いて,力尽きて真庭ベースキャンプ(アパートの別称)へ.疲労困憊で全身が冷たくなった感じ.
9月26日(土)外来やった後に急患に説明,退院のヒトの段取りで16時まで仕事.オペ記録1名分が出来て居ないままと判明.真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰ってフライを巻くが,両下肢の底面がいまだに痛い.歩けない感じ.
9月27日(日)疲労困憊で最後のフライアングリングいけず.そのために最後の気力を振り絞って仕事を毎日していが,前日に力尽きた.帰宅の前に10個入りマカロンを購入.
2020年のフライアングリングシーズンも終了.
9月28日(月)フェルトソール用のビスというかネジというかが他の会社の廉価版が届いた.しかし,気力が続かず,そのネジもどこかに紛失.県北生活の数少ない楽しみの夜のバドミントンも翌日の手術のために体力温存目的でお休み.
9月29日(火)この日は6時間の長丁場の手術.なんとか達成感はあったが,条件が厳しすぎる.常勤の麻酔科もいない.長時間の手術なのに,入室が10時半.時間外は働くのがつらくなっている高齢化した職員.非難するつもりはないが,手術の前の交渉で気持ちがキレそうになる.前日にはナビのレーザーが壊れていることが判明.専門病院なら朝一から普通にオペ日として仕事ができるが,もう,自分はそういう立場ではないと納得した.
また,自分の体力もピークから比べると30%は低下していると納得.
もうこれで,本格的な手術などは出来ないと結論もつけて,納得もした.
出来る手術の限界がはっきりした.まあ,最後の手術としては,合格点であろう.「長い間,お疲れ様.よく頑張りましたね」と自分をねぎらいたい.
「お疲れ様」長いこと,頑張ったと思う.寝不足のなか救急でも緊急の手術でもとにかくやり抜いたのは間違いない.
自分の長いオペレーターとしてのキャリアも終わった.後は,地域のためとか別のことでもう一働きで次は医師人生も終わる時が来る.
9月30日(水)この日で,今の病院にきて,丸4年が経過した.今までの病院の中では個人的には,一番楽しかったかも.終わりの始まりを良いところで過ごせた.
もう,頑張って,あれが出来ないとなどと悩むのは卒業.
9月は18名?は退院サマリーを書いた.
残ったのは,多くの書類の山.
医療安全委員会から,「医局の5Sをしてください」と言われた.
5Sは,基本は,整理,整頓,清潔,清掃,習慣だったような気がする.
整理は必要なモノを残して,不必要なものを処分すること.
整頓は必要なものがすぐにでてくるようにすること.
「今は書類の5Sをしています」と答えたが,
いわゆるチープメディカルジョークのひとつかも.
10月1日は自分の嫁さんの誕生日でさらに中秋の名月だったので写真をとってみた.
ファーウェイの50倍拡大「月」モードは素晴らしい.