私生活,雑感

変わったヒト達 その1

時に,会話をしていて,理解を超えるヒトが出てくる.
あるいはこちらの思考が一瞬止ってしまう状態が起きる.
しかし,完全に1から10まで違っているヒトというのは,生活が出来ない.
大半の部分は意思の疎通は出来る.

多くのヒト達の中には,急に,ある部分で
「ずれている」
「自分の考えている常識とは別」のヒト
などたくさんの人間がいる.
もちろん,「ある集団」からみたら「別の集団は」は考え方が違うなどは理解は出来る.
宗教観,米国の共和党,民主党の違い.中絶に関する考え方の違い.

しかし,理解ができないほど,一瞬,
こちらの思考が止るほどのヒト達が世の中には普通に生活をしている.

要は「本人は正しい」と思っている考えが,本人以外のほぼ100%のヒトからは
その考え方はおかしいと思うことがあると,
「あのヒトはおかしい」と言われることになる.

自分は苦しんできた.
家族と一緒の時より,一人の時が楽.
もっと言うと,母親,父親と一緒にいるよりも,他の人といるときがずっと楽.
時に,自宅外でも「この人はおかしい」というヒトがいたが,
外の世界なら,つきあいを辞めれば良い.簡単なこと.
仕事なら,別に他の人にも頼める.
しかし,一族に,あるいは,近い親族にそのような人がいると,
非常に困る.

先日,自分が60才近くになって,はじめて気が付いた.
自分の実の父親も,母親も間違いなくアスペルガー,発達障害,ADHDなどの部分的な症状を持っていて,それが表面にでると,こちらが「????」「何を言っているのか意味不明」「理解不能」「今まで何の話をしていたのか?」「言葉の意味がわからない」となる.

自分「こちらの話を聞いてくれる?
ちゃんと,こっちの話を聞いてくれ」
母「今日は補聴器もつけている」
自分「へっ?」
その会話の何がおかしいのかは自分は1段深いところでは理解ができた
要は,「ヒトの話を理解する」ということと「音として,聞こえている」ことは違う.
聴神経鞘腫などで「音は聞こえるが,意味がわからない」という症状がある.
要は言語弁別機能の低下が症状の一つ.

実際はそうではない.
はじめから,「自分の理屈以外は存在しない.別の意見など理解するつもりがない.自分の言いたいことを言うのが会話であって,別のことを言っているヒトは何も言っていないのと同じで,聞くこと自体が不要.時間がかかって,有り体に言えば,時間の無駄」と信じ切っているヒト.あるいはそれが当然と思っているひと.
こちらが,腹をたてて「いい加減にしてくれ」と声を荒立たせると
「今日は機嫌が悪いねぇ」という.
まったく,かみ合わない.
そもそも論で,「自分以外の誰かを理解する必要がない」と脳内にシステムが入っているので,途中である部分の会話がかみあっても,それは別のアプリで偶然,似た画面がでただけである.そこで,お互いが理解できたと思うことがそもそもの間違い.

相手の発言も「自分の脳内」で自分なりの理屈に変換して「自分の理屈にあったように変更している」
それでは途中から,最後になるにつれて会話の結論が異なってくる.

「相手の時間に対する理解がない」
「相手の提供してくれる労力に対して要求し続けることのどこが悪いか理解しない」

要は,「周りの状況に配慮する必要が無い」と脳内のシステムに組み込まれているので,
それのどこがおかしいかが全くわからない.
それは「会話をしたらわかり合える」状況ではない.
それで会社員とか外で仕事をしているのなら,ぶつかることも多いが,
専業主婦であれば,「相手に金銭的な被害を与えることがない」ので
ぶつかることがない.交渉相手などからは無視されれば,かえって楽である.

「今日はここまで」「次回は,その先のあれ,これをやって」などの計画性がない.
「気がついたら,止らない.それが重要なことでも,些細な本来なら口に出すような内容でなくても,関心がそちらに移れば,止らない」

重要な,大事な話をしながら,自分が運転,母親が助手席に載っていた.
突然,車の後部座席に載せてあったティッシュペーパーの箱が壊れていることを発見.
母「これは一体どうした.何が起きた.いつから?  ,......」と普通の大きな声で話し出した.
突然,その箱をとりあげて,意見を言い出した.
自分「今は,そのティッシュペーパーの箱が壊れた話をしなくても良いよ」
母「そんなことを言うても,これはどうしたこと」と一生懸命に話をする.
その時点の気持ちはティッシュペーパーの箱が壊れたことに集中している.

しばらく,意見を言って,元の話に戻ろうとしたら,
母「何の話をしよったかね」とのこと.
自分が説明すると,ようやく,もとの話へ戻る.
自分「大事な話も,どうでも良い話もごちゃ混ぜにして話をするのは止めてくれる?」
母「そんなことを言うても」と全く悪びれていない.

いつもいつも,このような会話になる.
重要な案件も,目の前の石ころのような話も,同列に,
良い表現をすれば,「何でもに一生懸命」時間を使う.
的確な表現なら,「物事の優先度がない」
時間が無限にあれば,全くそれでも困らない.

困るのは,しないといけないことが時間経過とともに
どんどん入ってくる状態のヒト.

特徴「ヒトを自分の話で振り回している」自覚が全くない.
そのため「悪びれることが全くない」
こちらが気分を外する,あるいは不機嫌になる理由自体がわからない.
「理詰めで話をすることもダメ」
「不機嫌になってもダメ」
「周りの人に悪い」という思考様式が入っていないヒトに
「あんたが悪い」などと言えば,
「この人は何をいっているのかわからない」と解釈される.

10月31日(土),11月1日(日)も延々と同じこと.

もう,母親の人生も5年はない.せいぜい3年ぐらい.
どうすれば,最後にこちらが不機嫌にならずに対応できるかを考えていかないと.

とにかく,自分が子供のころから,苦しめられてきたが,
医者になっても35年は過ぎた.

今まで,患者,患者の家族,知人などでも「変わった人」はたくさんいた.
しかし,多くの他の職種のヒト達の力をかりて,
「自分の目の前,自分の属する企業体,病院には二度と現れない様に」することで,他の職種のヒト達も含めて,安心できる環境を維持してきた.

一番の変わった理屈は「自分はヒトを包丁で刺しただけ,病院で助からなかったのは,病院がちゃんとしなかったから.それは病院の責任であって,自分が殺した訳ではない.殺したり悪いことをしたのは助けなかった病院である」というもの.

そのようなヒトは,自分の頭の中では「理路整然」と理屈が通っているので,一体どこが悪いのか,周りがどうして自分に責任を取れとか言うのが不思議でたまらないというところ.

そこまで大きくずれてはいないが,自分の母,父ともに,本当にコミュニケーションを続けていくのが困難なヒト達であった.
今は,ADHD, LD, ASDなどは,たくさん言われるが,
中には「境界型パーソナリティー障害」のヒト達もいる.
どの成分が,この人達の中にどの程度の割合ではいっているのか.

子供の頃から,多くの対処法を学んでいたので,今は多くの患者さんの理不尽な要求に対して,相談を受けるということになる.
良いのやら悪いのやら.

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