自分が担当している入院患者さんの半数が90歳以上の時もあった.
今回の事件は,象徴的.情報がそろえばそろうほど,典型的なケースである.
渡辺宏容疑者(66)は、27日午後9時ごろ、埼玉・ふじみ野市の自宅を訪れた医師の鈴木純一さん(44)の胸に散弾銃を発砲し、殺害した疑いが持たれている。 鈴木さんは事件前日、渡辺容疑者の自宅で母親の死亡確認を行っているが、渡辺容疑者が「線香を上げに来てほしい」と時間を指定し、鈴木さんやスタッフら7人を呼び出したという。 そして事件当日、渡辺容疑者は、鈴木さんに対し、「まだ生き返るかもしれないので、心臓マッサージをしてほしい。蘇生措置をしてほしい」と求めていたことが新たにわかった。 鈴木さんが蘇生できないことを説明すると、渡辺容疑者が発砲したという。
渡辺容疑者は、その後の調べに、「母が死んでしまい、この先いいことはないと思って自殺しようと思った時に、自分ひとりではなく、先生やクリニックの人を殺そうと考えていた」と供述していることがわかった。
1階和室のベッドには母親の遺体が置かれており、渡辺容疑者は「生き返るかもしれないので、心臓マッサージをしてほしい」と蘇生措置を要求。これに対し、鈴木さんが母親の死亡確認をしてから約30時間がたっていたことなどを説明したところ、渡辺容疑者は銃を取り出して鈴木さんに発砲。鈴木さんは胸部に銃弾を受け、即死状態だった。
渡辺容疑者は「母が死んでしまい、この先、いいことがないと思った。自殺しようと思ったときに先生やクリニックの人を殺そうと思った」とも供述している。県警は2丁の散弾銃を押収しており、あらかじめこれらを準備して鈴木さんらを自殺に巻き込む計画だったとみて調べている。
「誰かを殺して自分も死のうと思った人」で,最後まで目的を達した人.要は,誰かを殺して自分も自殺した人は,ほとんど見たことがない.本当は自分で自分を殺せる人は少ない.
目の前のどろどろの有機体としての個体をみてしまうと,気持ちが萎えてしまうことが多い.散弾銃などで撃てば,それは普通の,要は普段から死体を見たことのない人には,正視できないぐらいの状況になる.それで自分も死のうなどと殊勝な考えは吹っ飛んでしまう.
「母が死んでしまい、この先いいことはない」というのも,母親が自分のために尽くしてくれて当たり前でそれがなくなれば,たちまち生活基盤も生活費も,要は母親の年金も入らなくなるので,この66歳の男性にとって良いことはないのは明らか.それでも生きていくのが人間のつとめであるが,自分に良いことが起きないなら,他もつぶしてしまえという考えにはならない.「認知のゆがみ」のひとつであろう.
おそらくADHDか学習障害か軽度知的障害がベースにあって,自分なりの理屈で世の中,世間,社会のことを理解している.知りたいことは,何歳からこの男性が引きこもり?になったかである.仕事をしていたとは思えない.仕事をしても長期的には働けないはず.自分はこれでよい,あるいはどうでも良いと思うことが仕事では大事なので,このような人には社会生活は送れない.
このような人の共通点は,「自分の考え,感じ方のどこがおかしいのかがわからない」点.
今までも,似たような訴えをした60歳代の息子の意見は直接,自分も聞いた.
この1年で直接経験した似たような出来事
1)「父親が,元気な時に施設に預けたのに,どうしてそこで悪くなるのか?」と息子さんが怒りの電話をかけてきた.こちらが,「そんなに言うのなら自分で面倒をみたらよかったのでは?」と聞くと,「こちらにも事情がある」と怒る.「新しい職場にいかないといけないし」とのこと.まあ,やり場のない怒りというかやるせない気持ちになることはあるが,それを,それまで一切関係のなかった医師に,最初の電話をかけてきて,最初の話題として,怒りをぶつけるのは「非常識」であることには一切,気がつかない.専門病院から帰ってきて,頚動脈狭窄のあった父親が専門病院を退院して初受診して,そしたらと3週間後にMRAを撮る予約をしていたが,また息子が電話してきて,「医者が外からみても頚動脈の狭窄がわかるもんか」と怒る.電話をうけた看護師が「3週間後に検査の予約がはいっている」というと「その場で,適当にいったのだろう」とさらに怒ったらしい.そこまで知識のないヒトにバカにされた発言されると,こちらも自分だけでなく,他の職員も守らないといけないので,「医療は契約」であるので,その時点で診療は終了と決定した.その後,一切,自分の勤める病院では,診察もしない方針にきめさせてもらった.「どこでも好きな病院に紹介状を書きます」と説明して他へ行っていただいた.
まあ,1分にも満たない会話で「自分の怒りを,全く関係ないヒト」にぶちまけるだけの内容しか話が、出来ないヒトが存在する.要は、相手に怒りをぶつけるためだけに口を聞く人が存在する。
おそらく,今回の事件も,全く似たような状況であっただろう.
「死後30時間経過しても,生き返るかもしれない」と思うのが,ある意味,すごい.
それだけでも,普通の困ったヒトというレベルをさらに超えた考えで,自分がいつもおもっている.本当に非常識なヒトは,「事実は小説より奇なり」を地で行く.
なぜか以前考えたことがあるが,小説家は世間の常識が備わっていないと小説がかけない.編集者会議など沢山のチェックを受けるので,これぐらいなら非常識でも考えられるとの線引きがある.しかし,実際の非常識な人間は,自分なりに自由奔放に考えを巡らせることが出来る.非常識なシステムから非常識なソフトやアプリが作り出されるという状況.
だから「死後30時間後でも,生き返るかも」と思うことも自由である.
「千の風になって」もある意味,死者の魂に対する考え方を歌ったもの.
心臓が止まって30時間しても動き出すというのは,古くはギリシャ神話でも黄泉の国まで迎えにいったり,フランケンシュタインの映画にもなったり,死者を悼む気持ちから様々な作品が出来ている.
しかし,今までに診てくれた正常な善良な医師を散弾銃で撃ち殺すという作品は全く存在していない.それは人類の認める倫理,希望などに反するため小説にも映画にもならない.複雑に考える前に,「受けないし,知ったら気分が悪くなる」反応を引き起こすため.
以前,大阪でシャクティパッドといって,亡くなった人のところへお参りに行って,
おでこを叩く儀式をして,「まだこの方は死んでいない.」と説明して150万円家族からせしめたエセ宗教家がいた.扇風機でニオイを飛ばしていたと記事があった.
今回の犯人も,このようなエセ宗教家の餌食になる可能性もあった.
それは奇人達の戦い,魑魅魍魎の世界である.
(条件)結婚していない60歳以上の息子、
母親は90歳以上。二人ぐらし。
8050問題は、まだ問題が先送りできる。85歳ぐらいまでは母親は,「私がいないと」と思って一生懸命に生きる.それが生きがいの一つである.いまさら,息子に社会に出てほしいなどの希望は全くない.せめて私のいきている間はということに専念する.それしか出来ないし.人間個人も動物なので必ず、死ぬ時がくる。小さい頃にペットのイヌが死んだりしたら,悲しかったなどの記憶は皆持っている.また昔はヒトが死ぬことも直接みたりしたが,今はみることがない.
まあ,「9060問題」として,この残された息子,娘さん達をどうしてあげたら良いかである.認知のゆがみのある彼らは,「医療従事者に母親,父親を殺された」と思っていることがある.敵意に満ちた人生を送り続ける可能性がある.体調が悪くなれば,誰かの責任と思うことが,どこが悪いのか全くわからない.
ところで,引きこもりの50,60歳の息子などの問題は日本だけでないことは知っておいた方が良い.イタリアでも全く同じことが起きていると記事がでていた.長寿をえた先進国の共通の課題であるらしい.人類のかかえている目の前の問題の一つである.
これから90歳代のひとは段々亡くなっていく.それは自然の摂理だが,残された引きこもり,あるいは学習障害,ADHD, 軽度知的障害の60歳代のヒトはどうすれば良いのか,自分の知識不足なのか,全くセーフティネットに関しての情報がない.これからであろう.
自分の懸念,心配ごとの一つは,対応策のガイドラインができて一定の距離を保てる算段ができるまでに,医療従事者は大分被害にあうであろうと言うこと.これからこのような事件の発生頻度は必ず増えていく.今の大勢の90歳以上の方々が順番になくなるのは致し方がない.次の世代,要は60歳代の残された,軽い言い方ならひきこもり,重い言い方なら精神異常者はどのように残りの人生を全うできるかが課題.癌,認知症などよりも,さらに大変.
対策は、「8050なら、ハッピー9060を」という合い言葉で、
母親が80歳台になった時に、50歳台の息子さんも含めて「母親もいつまでも生きていないので、一人になったらどうするかを、民生委員、ケアマネージャー、医療従事者、福祉関係者」などがまとめてお話をすることであろう。「母親が死んだら、その後によいことは起きない」のは当事者の息子は、感づいている。無意識でも理解している。おそらく一般的な母親も途方にくれている。当事者の母親の思いつく対策は、「少しでも自分が長生きすればよいのではないか」が精一杯であろう。80歳まで存命したヒトの平均余命は10年はあるはず。
母親は無限に長生きすると信じている息子さんがいたならば、周囲の関係者に周知徹底をすることが大事。
「容疑者の92歳の母親は数年前から訪問診療を受けていたが、栄養をチューブで送る『胃ろう』を在宅で受けられないことに不満を抱いていた」と報道されている。
このようになってからでは遅い。「寝たきり大黒柱」もいずれ倒れる。そこで80歳から母親に説明して、食事もとれて理解力もある間に、息子さんのための「引きこもり介護保険」の料金を払い込んでもらうようにすれば、10年間分で結構な金額がたまる。
母親が元気なうちに、5年ぐらいの時間をかけて、他の8050の人たちも一同に会して、こんなに大勢の「仲間」がいることを見てもらい、現実を周知徹底することが大事。まだ母親が元気な時に、母親どうして集会を開いてもらってもよい。引きこもりなら部屋からズームでもよいので見てもらうこと。母親の元気な時の動画をたくさん撮って記録しておくことも大事。20年間、自宅のトイレ、風呂、自室以外から出たことのないヒトも存在するであろうが、より軽症のヒトもいるであろう。軽症用の施設、重症用の施設を作ることであろう。それを母親に見せて、「息子さんは、母親の死後も安全、安心な施設で引き続いて、引きこもりの生活ができますよ」と説明できれば、現実的な解決法になる。息子が施設に入る費用は、80歳過ぎた時点で母親の年金から天引きすればよい。それなら、母親が寝たきりになっても、さらに年金で一定の金額が支払われるため、運営も可能であろう。いったん施設に入ってしまえば、そこで引きこもってくれていたら、それほどの費用は発生しない。引きこもりの息子にも70歳になれば、幾ばくかの年金が支払われる様になる。残った息子を自宅で生活させるのは危険。汚部屋から出火など容易に起きそうな。息子さんには引きこもり収容施設にはいってもらって、自宅を賃貸、あるいは、そこを接収して、売りに出したら、50,60歳の息子の生活費は結構でるであろう。それらを行政書士、親族などで相談して説明する。
この対策のよい点は、「引きこもりは引きこもりのまま」でよいというところ。
母親の年金の一部を早くから、母親死後の息子に渡るように段取りができるところ。
引きこもりの自宅を活用して、幾ばくかの引きこもりの息子さんの生活費を捻出できること。
問題は活発で猟銃を持っているような息子さんであろう。訪問の順番を守らないなど、社会通念が通じないヒトには、訪問時には、法律関係者、警察も同時に訪問してもらう。
一番は、「8050なら、それをある一つの集団だけで助けるような無理なことはしないこと。ましてや医療従事者がなにかしてあげられるかもなど、思い上がったことをしないこと。」。制度上の問題であろう。生涯単身者としての評価を明確に公にして、社会全体で対応することであろう。その中では「母親の健康管理」などはほんの一部である。