医療関係

現在の認知症の診断定義は,どうなっているのか?

以前、自分がIQ(知能指数)についてお勉強していたとき、
「知能」の定義の部分で、その項目にとりあげられるものは、高い能力のヒトから低い能力のヒトまでが標準分布の形をするもの。それは7項目から8項目程度に分けられるなどいくつか定義があった。
知能指数というものを点数化していくときに検討されたことが記載されていた。
わかりやすいのは100 m走の秒数などであろう。いびつな形ではあるが、分布していることは間違いない。計算能力なども時間と正確さで分布図は描ける。
知能指数600などの天才児などがニュースになったりするが、それは大人なら,これぐらいの時間がかかるという平均の数値を100として、ものすごく速いヒトはこれぐらい。ものすごく遅い人はこれぐらいと分布図がかける。それを年齢ごとに分布図を作ることができる。それを4歳の子供が短時間で正解したりするとそういう数字が計算上でてくる。それでも大人になればIQは下がる計算になる。大人になれば、さらにその数倍の速度で計算ができるということはない。限界というものがあるから。それはいくら走る速度が速くても,限界があるという事実に基づく。8歳で100 mを11秒で走れてたらものすごく速いということになるが、大人になれば3秒で走ると言うような人間は出てこないので、計算上そうなる。              IQの計算式はその年齢なら回答したヒトは、大体ここまでという風にテストを作っておき、20歳の人なら30秒で回答する。それが平均点とするとIQ:100となる。それよりものすごく速いか遅いかなどを調べるということ。それが知能が優れているかどうかを調べたのが始まり。だから子供でものすごいIQ値がでる「ことがある」。それが70歳ででたらどうなるか。もう誰も気にしない。70歳のヒトが本当のIQが高いとして、なにか社会で成し遂げたかどうかなどが問題になり、すでにAIをその時点で使いこなして社会貢献しているかなど実績を問われるためである。会社の社長、会長ならその実績が問われる。IQの高さなど精々が高校、大学受験勉強までで、社会生活、結婚生活、幸せな人生かどうかなどには、ほぼほぼ、関係はない。90歳でIQのテストをする意味がありますか? この人は賢いから会社で働いてもらおうなどには、まずならない。体力、筋力などの前に、すでにその人は人生を送った後で、悠々自適の生活に入っているはず。もう一度引っ張り出す意味がない。財産も築きあげているだろう。実際は90歳のヒトを認知症検査をすると55%が認知症に当てはまるらしい。

要は、知能テストは若年向け、認知機能テストは高齢者向けということになる。

それでは「認知機能」はどうなのか?
「知能」と同じような考え方になる。
認知機能に入る項目は測定ができないとだめ。
答えからいうと今は、7項目である。
この7項目のうち2項目以上が標準偏差マイナス2SD当たりまで低下していたら認知症ということになっているらしい。要は「生活に支障を来すぐらいの低下」が2項目以上あれば認知症になる。
しかし、NIA-AAの定義では記憶、遂行機能や判断、視空間機能、言語、行動や人格の5個の機能のうち、2つ以上が障害されることが必要とされている。

記憶

以前に聞いたこと、自分で言ったことを忘れる。短時間で忘れる。どこにものを置いたかをわすれる。これは、記憶できる項目の数、覚えておける時間などで測定が可能。これが人間の認知機能の最たるもの。本を読んでいると興味深い記載があった。「途中まで何かしていてそれが中断されて、もとに戻って中断された作業を、途中からまた再開できる動物は人間だけ」と記載があった。金魚の記憶力は3秒から5秒などの記載もあった。チンパンジーなどは何かしていて、ほかの出来ごとがおきてそちらに行って、それが済んで帰って来てまた作業を途中からやり直すことは出来そうでもあるがどうなのか。
よく、カギの有り場所を覚えて自分で取ってきてドアを開けたりすることは報告されているが、出て行こうとして邪魔が入って一旦中止になれば、また「そうそう、これをやっていた途中だった」と思い出すことはできるのだろうか?
しかし、7項目のうち2項目が低下が認知症の条件なので、「記憶力が低下していない」認知症の人も存在している。

実行機能

遂行機能ともいうが、「自発的に」に自分で計画をたてて、それに沿って行動をして、ある一つのことを完遂する能力。これは、結構大変。日常生活はこの作業の繰り返し。
自発的、効果的、計画的に行うこととされている。
実際は、簡単なことが多い。朝起きて薬を飲むなどは、大勢の人がしているが、認知症が進んだ人は、「薬の管理ができない」というところまでいく。
多くの人が勘違いしているしていることがある。10の能力が8に落ちたら、10個の仕事のうち、8個ができて2個が出来なくなると思っていること。もう少し能力が落ちて10の能力が5に落ちたら、半分の作業はできて残りの半分が出来なくなると思っていること。
これは大きな間違い。一つの作業について、5の能力しか発揮できないと、その一つは完遂できない。よって、全部の仕事が中途半端で、なにもかもが完成されないとなる。要は10個の仕事のうち、出来るのはゼロとなる。
要は、普段の能力は10ではなく、50も100もある状態で、それが半分の25、50に落ちると、それぞれのたくさんの仕事のなかで、できないものが出てくるということ。
ぎりぎり全部出来ていた人が、能力がさらに低下すると「できなくなる」ので、いつも本人は忙しいとかあれをしないといけないとか焦っている状態。端から見たら、「いったい何をしているのか?」と不思議に見える。要は、10の仕事のうち、10個が全部中途半端で完成しないことになる。そこまで低下してはじめて、まわりの人は、この人は機能が落ちたと認識できる。要は普段は何気なく、していることは、ものすごく高い能力と余力があるということ。それが出来なくなると言うことは、ぎりぎりまで低下していた潜在的な能力低下がとうとう、表面にでてしまったということ。これは試合に勝てなくなったスポーツ選手をみてもわかるが、勝てなくなったということは、一定以上の体力、技術が衰えたということの表現形なので、それまで段々,能力は低下してきていたはず。
よくある質問は「お風呂は自分で入ってますか?」「トイレは行けてますか?」などである。実際はその程度のことも幼児などは訓練を受けていないとできない。当たり前と思っていることが出来なくなるのはつらい。

注意/集中

注意障害には2種類ある。まずは、注意ができない。いわゆるケアレスミスを起こす。信号があるのに、それを見落として交差点でぶつかる。青信号でヒトが横を渡っているのがわからないではねてしまう。要は「注意が続かない」ほうの障害。なにか一つのことをするとき、気が散ってミスをしたりはするが、「注意の持続」が続かない状態。要は「注意自体ができない」一瞬、注意自体が落ちてしまうヒトも時に見る。
もう一つは、一つのことに集中していると、他のことが目に入らない、あるいはそちらもしないといけないのに,一つのことだけに注意が集中して、他のことがわからない。
「注意転換障害」と呼ばれるもの。要は一つが出来たら他が全部だめになっているという状態。人間は一変に外の環境から多くの情報を意識的、無意識下で集めて、それを分析している。要は日常生活はお湯を沸かしている間に電話がかかってきて、その直後にものが落ちたりしながら,毎日を乗り切っている。それぞれに必要な注意を払わずに次に進むので、災害的な結果になり、それが何に寄るものか本人が気がつかない状態。要は「一つのことを集中して注意する」ことと「多くのことに目配り、様は注意を分散させながら」ことをすすめることができない。

言語

これは途中。ブルースウィルスと同じ人は結構いる。他の能力は落ちないのに、この能力だけが低下する、認知機能低下のヒトが存在する。これは本当に興味深いので、後日にまとめて書きます。ブローカやウェルニッケの失語では無いので注意を。

社会的認知、判断

社会性の欠場、延々と教育、地域の生活などで身につけた常識と呼ばれるものからの逸脱である。他者の思考、感情に思い至らない。診察室で、こちらの髪の毛を「先生、白髪があるよ」と抜き出した患者さんがいた。付きそいのヒトが一生懸命止めに入ったが、本人は,その行為が診察室で、不適切であることに一切気がつかない。その人は、壊れてしまったと言う印象をまわりに強く与えてしまった。日本人のいう「忖度」ができなくなったあるいは「常識」と呼ばれるものがなくなった状態。ヒトの感情に共感がなくなる。
もちろん、自閉症やASDとよばれるひとにも共感はない、サイコパスと呼ばれるヒトにもない。しかし、「もとは備わっていたヒトが、なくなった」と言うのが認知症の定義なので、彼らは違う。「軽度知的障害」のひとも、そのようなことができないが、穏やかな感情の共有は出来るヒトはいる。要は、18歳までに正常なこれらの機能を獲得したひとが徐々に低下、あるいは脳卒中などで急激に低下したら、認知機能低下となる。

精神運動速度

情報処理能力の低下、思考 作業に時間がかかる。要は、一つのことを聞いても、それの解釈に時間がかかる。世間には「一を聞いて十を知る」タイプのヒトがいるが、それが、「10を聞いてなんとなく一部がわかる」程度まで低下する。要は理解力、全体の把握力が低下する。そして、それにあわせて、最適解に基づいて行動するにはどうしたらよいかがわからない。平均的なヒトが100秒でできるタスクを500秒かかって、ヘトヘトになって漸くできるという状況。うつ状態でも低下するが、うつ状態のひとは出来ないことを自覚して苦悩していることが多い。認知症のひとは、出来ないことのどこが良くないのか自体が理解できない。要は「打てば響く」状態の逆。これは脳挫傷などでも起きる。以前、3つのものを組み合わせる工場に復帰した職人が、全く出来なくなっていたことがあった。これは空間失認、構成失行などたくさんの分析結果がでるだろうが、時間をかけたら,その人も出来る気がするが、皆が5秒で済ましている作業を50秒もかかっては、その職場には居られなくなる。

視覚認知 視空間認知

一番わかりやすいのは、ヒトの顔をみても名前が出ないである。これは普通は小学生、中学生の時の同級生にあっても通常は名前は出ないことが多い。そうではなくて、自分の配偶者、父母の名前がでないのが特徴。「相貌失認」は、その人の声を聞いたらだれかわかるなどの別の特徴がある。これは「久しぶりにみた、あの俳優の名前がでない」などの日常生活の物忘れとはだいぶ違う。またアルツハイマー型認知症の初期症状として有名な「よく知っている場所で道に迷う」がある。全く未知の場所にきたような感覚になるような。この認知機能のテストは図形の模写であろう。有名なダブルペンタゴンの絵を描かしたり、時計を書いてもらって短針、長針の位置をみたり、影絵の鳩の形をしてもらったりは空間認知能力のテストである。現実の日常生活ではトイレの位置がわからず押し入れをあけて排尿したりなどで家族が驚くことがある。

 

★認知症サポート医の講習の前に勉強しなおした。認知症学会専門医の試験よりは、数段、簡単だったが、自分のために勉強しないと。

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