撤退戦
4月になったら楽になるかと思ったら、真逆の展開。
4月1日(火)まだ、新しい医師はこない。代わりに外来を少しして、用事をこなした。
4月2日
4月3日(木)4月からの新しい非常勤医師がきてくれた。当日、すぐに慢性硬膜下血腫が入ったので、一緒に手術。ローカルルールで、覚えていただかないと行けないことがたくさんある。大変である。4月、5月で合計40日も有休があるが使えるかな?
4月13日(日)朝、8時から日野川、本流へ。まったくライズがないので、支流で少し遊んで終わり。このときには、すでに右膝が時折、痛かった。
4月14日(月)仕事が済んでバドミントン。これも、真庭に来て7年間続けていたが、初期の頃は12名中、全員が病院職員だったのが、今では自分一名だけ。後は、中学生がメイン。自分のストレス解消とは全く違う。この時、右膝はものすごく痛くなった。そこで真庭ベースキャンプ(アパート)に帰って、シャワーをあびて、22時からまた病院にでていった。そこで翌日の手術の病理の依頼、インフォームドコンセントの作成などをしてから自分が教えに行っていた大学看護学科のスライド、動画をなんとかかんとかコピーした。全部で60ギガもあっで、自分の128ギガのUSBに移した。途中は時間がかかりすぎて、コピーするようにして、PCをそのままにして24時過ぎに帰って2時には寝た。
もう、アマプラ、you tubeなどのんびり見ているヒマは一切なくなった。
4月15日(火)木曜日には、車のタイヤの交換。そのためには、フライアングリングの道具を車から全部おろして、タイヤを積み込んでおかないといけない。朝、3階からホィール付のタイヤを降ろそうとしたら、ものすごく重い。滅茶苦茶重い。2本運んだらタイヤが右膝にあたって痛くなって、右下肢全体がしびれだした。大変なことになった。とりあえず2本のみ車に載せた。病院についても右下肢がしびれて、抜けたような感覚。外来日なので足が痛くても仕事はできる。朝からいくつもの仕事。外来やって10時半から手術。それが済んだらサマリー2名。脳ドック1名のまとめ。その間に、漸くスライド、動画のコピーができて、授業をしてくれる病院の先生宛に郵送するところまで済んだ。夕方は医局会で自分が居なくなった後の説明。新任非常勤に、画像所見のコピペの仕方を教えたり、内科に入院してもらっている患者の説明をしたりととにかくめまぐるしい。19時からは、おそらく自分が担当する最後の薬会社の勉強会。その後の21時すぎに午前中に手術した人が創部から漏出性の出血、層があっていない。自分一人ですればほぼ起きないことだが、DOACを一日だけ止めて手術したので1 mm ずれていたら、しばらく止まっていても局麻が吸収されたら、表皮がへこんできて出血することがある。それを層をあわせてテープで留めた。診療情報提供書を9名書かないといけないが、22時前になっている。自分は23時までは病院で仕事をするようにはしているが、年取ってきて、前日のバドミントンの疲れがでて、仕事は終了。
4月16日(水)外来患者数はすくないが、自分の定年退職の話と次の外来日の話を、それぞれの患者さんにしないといけないので時間がかかった。その後、頼まれていた急ぐ患者の診療情報提供書を3か所に書いた。23時過ぎになって、ヘロヘロで頭痛がする。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に上がる前に、車の後ろのフライの道具をあげておいた。3階までの二往復でもまだ残っている。
4月17日(木)この日は、昼休みに近くのタイヤ館に夏タイヤに変更しにいった。やはりホィールがついたままだと3000円と激安。以前は換えてもらってもらっていたので10000円は取られた。その分、滅茶苦茶重いホィール付タイヤを3階まで4回往復しないといけない。しかし、次は○道市なので、冬タイヤはいるのかどうか検討が必要。冬も今の病院に隔週でくるので、どうなるかである。
4月18日(金)午前中外来。3名ほど紹介状が必要。13時半には終了。14時からの手術にはいった。その後は、回診など。手術の影響か、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰宅したら右膝内側に激痛が走る。月曜日のバドミントンでねじった場所。その前から痛かったが完全に壊れたと納得。一歩歩くたびに激痛で、おもわず声がでる。
薬会社のMRさんが認知症の新しい雑誌をもってきてくれたが、もうすぐ終わり。
4月19日(土)この日は、歯医者に遅れた。なんとか自宅に帰れた。
4月20日(日)朝、なんとか車で○道市へ。途中から右膝が痛くてたまらない。
夜はワーフで牡蠣を食べて、ビールを飲んだ。地ビールが値段が倍で、一番おいしくなかったので、ある意味ショック。人それぞれの味覚だろうがどうだか。窓側の席だったので、ガラス窓からみえる桟橋を歩いている人は10人中7名以上がいわゆる「外人さん」で自分としてはサンフランシスコのピアー、フロリダキーズなどを思い出した。同行した奥さんは、ハワイの海岸みたいと喜んでいた。アナザーワールドで、日本の中の外国という感じで開放感があった。これから、観光をしていく気持ちがいっぱいの奥さんにしては、「夫が良いところへ異動、転勤ができてよかったよかった」という感じで楽しそう。
4月21日(月)は○道市の病院の官舎を見に行った。右膝は痛い。なんとかかんとか見て、
不動産会社にも行ったが、わかったことは、そのエリアにはJRの駅が2000年頃にできて、新興住宅地であること。アパートはすべて2004年から2007年頃に出来たモノばかりであった。官舎は16年前に建てられた鉄筋コンクリートであり、一階が駐車場の4階建てなので、エレベーターがついている。助かる。なんとか自宅(岡山市)まで車を運転して帰宅。
大戸屋が岡山市に初めてできて、そこへ食べに行った。
4月22日(火)朝、なんとか自宅(岡山市)から車で病院まで到着、駐車場で降りたとき、右膝に激痛が走って、「終わった」ことを実感。歩けない。車椅子で移動。外来でニーブレースを右足に巻いた。なんと前日の晩に慢性硬膜下血腫が入院してきている。膝の激痛なので、慢性硬膜下血腫は穿頭するときだけ立位で行い、後は座ってできた。しかし、尋常でない痛みで、これは靱帯損傷とは異なるとなんとなく自覚があった。
昼に右膝のMRIを撮ると、内側の半月板断裂、縦にも横にも割れていた。これは困ったことになった。
4月23日(水)、朝から右関節内の液体を抜いて、ヒアルロン酸+ステロイドをいれた。朝9時に入れた。階段の、上り下りが一番厳しいとわかった。
引っ越しの準備もあるし大変。なんとか、4月29日火曜日に引っ越し日をいれて書類をメールした。
4月30日(水)JNDの全例入力、ひとつきに15名ぐらい入院するときもあり、なかなか進まない。年間120名ぐらいは入院している。脳外科の研修施設あてのものでもあり、個人の専門医の単位になるがオペ無しの患者20名で1点、オペ有りの患者は10名で1点である。6点が最少得点らしいが、100名中30名が手術なら3点+手術無し3点で1年間で最低限は満たされる。とにかく目の前の仕事を済まさないと。
専門医についての方針:6月からはセカンドライフなので、捨てられる専門医はすてる。一番は救急科専門医であろう。