5月になったら引っ越しの準備。単身赴任から単身赴任。いろいろ準備が必要。
5月1日(木)この朝から紹介状。午後に、まずは日通にネットで見積もり、電話がかかってきてものすごく高いと判明。次は引っ越しの「サカイ」にネットで相談。営業所がないときてくれないらしいが電話があり、なんと18時に見積もりにくるとのこと。17時半に真庭ベースキャンプ(アパート)に帰って、少し片付けた。18時半には見積もりにきてくれて、ぶっちゃけ日通より10万以上安い。びっくりして、その場で契約。
5月2日(金)外来、大勢。後は、紹介状など、重症患者の家族に電話など。
最初に受診した患者さんが、紹介になったり大変.
5月3日(土)久しぶりに休憩ができた。階段の上り下りがほんとに大変。祝日で助かった。右膝半月板断裂は甘くない.
5月4日(日)昼間に歩いて150歩ぐらいのところにある真庭市の図書館のひとつに話をしにいった。要は、真庭ベースキャンプ(アパート)にある本の寄贈はできますかという質問。答えは「きれいな本なら図書館に寄贈は可能。しかし古い、汚い本は、リサイクルの方にまわる」とのこと。これはよい。要は単身赴任8年8か月の間に購入した本の処分ができることになる。図書館に寄贈できない本は、別の意味では「捨ててくれる」ということになる。非常によい情報がえられて、次の単身赴任の場所への荷物が減ることになる。
パッと見た感じで70冊はあると思う。実際は4箱分で150冊ぐらいはでてきた.
引っ越しのサカイの見積もりの担当員からしたら、今のままでも「荷物は少ない」との評価である。
しかし医局のコンピューター、モニター、雑誌などが、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)の荷物に、さらに加わる。
荷物はできるだけ減らさないと。
背景には、「とにかくセカンドライフの始まりなので、ファーストキャリアのものはなるべく、減らしたい」「身軽になること」。
この日は、なんとか大事な仕事をひとつすました。それはJNDで脳外科に全例入院した患者の登録をすること。なんとかかんとか夕方には、2024年の入院患者を全員登録した。ラクナ梗塞などは内科で入院扱いになったのが効を奏して、一年間の主治医としての入院患者は90名ぐらいしかなかった。サブ医師としては年間10-20名が入院しているが、それらは別に記録しないでもよいであろう。
非常に開放感にあふれた一日であった。後は、引っ越しの準備である。
明け方3時過ぎに電話あり、超高齢者の方が急変して永眠したとのこと。
5月5日(月)この日も祝日。なんとかかんとか昼間に紹介状を1名すまして、自宅(岡山市)へ。食事に行ったが、GW中は客が多く、料理が出てくるまでものすごく時間がかかった。楽しい感じではなかった.
5月6日(火) MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)の本を並べて、近くの図書館に持っていく準備。本が多すぎて困る。
5月7日(水)前日に入院していた患者さん.連絡はなかったが.9時から慢性硬膜下血腫の手術をした。8:55には自分の右膝にヒアルロン酸を打ってからの手術。膝が痛いため、結構しんどかった。なんと11時から12時の外来に、9時からいっぱい予約外の患者が来ている。11時から12時までの1時間の外来の予定がノンストップで済んだのが15:20。トイレも行けず、昼ご飯も食べられず。15時からの外来患者もすでに数名まっている。18時までノンストップで何とか済ました。引っ越しの準備をする気力はもう残っていない。GW開けの外来日だったのでいっぱい来たのであろう。なんか無法地帯のような印象。夜には、○△の病院に引っ越し予定日をメールで送った。
5月8日(木)この日に今までの7年間やっていた、バドミントンの道具を片付けた。途中からAerosensor 700を使って遊んでいたので、それ以前のランクの低い未使用のシャトルの筒が6から10本ぐらいはでてきた。驚いた。全部、譲渡。全部で50本以上の筒がでてきた.これだけで1年間は余裕で遊べるであろう.自分は卒業に近い.
5月10日(土)外来をなんとか済ました。その後は、19時過ぎまで医局の机のまわりの古い学会雑誌などを順番に廃棄処分。結構たくさんあるが、「引っ越しの時には、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に持って帰らないと、そこから荷物出しなので、大変。」なぜなら、右膝が痛くて、階段を重い荷物を持って上がるのが大変だからである。車の後ろにPC,モニターなどを載せておくのも手段かも。医局の簡易本棚なども持っていかないと行けない。どうするか。しかし、そうは言っても、少しずつ減ってきてはいる。
今日で脳外科新患の入院は止めということになっているが、どうか心配。
5月11日(日)もう、疲れてやる気がしない。なんとか月曜日の退院の人の段取りをいれてきりぬけた。知らない間に、一人脳外科患者が入院している。慢性疲労が身体を覆っている。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)の不要な本、雑誌を一回10冊ずつぐらい医局にもってきているが、アパートの階段を降りるのが、ほんとに大変。半月板断裂はあまくない。なんとかしないとと焦る。
5月12日(月)朝、回診。なんとか10時から外来で5名診察。その後に、抜糸、退院の人へ説明。その段取りは日曜日にできていた。まあ何とかすんだ。その後に、日曜日に入院した自分が主治医の最後の段取りをした。夜は食事に行った。
5月13日(火) 本当は、この日に午後から休みをもらって、真庭ベースキャンプ(アパート)を片付けたかったが、仕事が多くてうまくいかず、最後に自分のライフワークの疾患の人が来た。たまっていた診療情報提供書を4通書いた。これは達成感があった。というのもこれで、今の今、たまっていた外への診療情報提供書が全部すんだことを意味する。真庭ベースキャンプ(アパート)に帰って、疲れがでて本棚のいらない雑誌を袋につめた。普通は段ボール箱に詰めるのだが、両手がふさがるので、階段を降りられない。右膝が痛い。まあ、大変だ。引っ越し準備が、印象としては「高速道路を時速30kmで走っている感覚」。
間違いなく、このままでは間に合わない。
引っ越し前には、冷蔵庫の電源おとし、中身を捨てるなど。たくさんある。
PCの電源を落としてバックアップをすることなど。
ほかにも、いくつものことがある。
5月14日(水)この日は11時から外来だったが、沢山の患者が9時半ぐらいからきて、とにかく10時前からどんどん予約外の初診の患者さんをみて、なんとか12時半には済んだ。ものすごく早い。さらに15時からのところで14時半から患者さんが来た。なんとか17時15分には済んだ。さらには、18時から脳卒中センターのズーム会議があった。6月からは脳卒中センターは閉鎖になる旨、連絡した。なんとか朝からの相談患者の段取り。さらには入院患者の内科への受け持ち変更の段取りをした。
来週からは、入院患者はゼロになる。夜にプラスチックのゴミをだした。
5月15日(木)この日は朝から代休をもらって、考えていた引っ越し準備を実行した。まずは図書館に寄贈する本を選別、自分でつけたカバーを次々はがして箱につめた。単純に100冊は優に超えている。車のトランクに乗せて2回、すぐ近くの真庭市の図書館に持って行った。まだ大分残っているが真庭ベースキャンプ(アパートの別称)の3階までの上り下りが右半月板断裂に響く。他にも医局で捨ててもらう学会雑誌も150冊は超えている。8年8か月の単身赴任はあまくない。2016年の頃の学会雑誌なども全部廃棄処分。大変。さらに夕方には、もう、ニジマスを竜田揚げにする機会はないので、金曜日が生ゴミの日なので冷蔵庫の冷凍部分に保存していた大きなニジマスなどを袋にいれてアパート付属のゴミステーションに捨てた。すでに他の人のゴミもでていた。さらには自分が最後まで諦めていなかったフライアングリングは、もう引っ越しまで行けないと判明したので、巻きかけのモンカゲロウフライや、フライのマテリアル、フック、バイスなどを箱詰めした。なんかすっきりした。あきらめがついたという感じ.半月板断裂で歩行速度が1/5になって、階段の上り下りも苦痛になった今、とにかく毎日、毎日少しでも前にすすめないと。また不燃ゴミも自分で捨てにいかないといけない。まだまだ、準備は1/3も済んでいない。しかし「引っ越しの具体的な作業が始まった」との印象になった。
5月17日(土)この日は,夕方,刺身と串カツの店に行った.最後の訪問になりそうな印象,おいしかった.
5月20日(火)この日は、昼休みにMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って、念願の、余分な布団、これは母親が入院してきて、実兄も見舞いに来たときに寝た布団。高知の実家から持ってきていた。それを「押し入れ」のない次の単身者用のアパートに持っていくことは100%できない。膝が痛いので、どうしたものかとおもっていたが、どうせ廃棄処分にするならと、3階のベランダから放り投げて下へ降ろした。5回も投げていると、爽快感がある。まあ、それで7.5km先のクリーンセンターへ持っていった。なんと布団だけだったので費用は無料だった。自分の歩き方をみて、そのときの担当者から「医療に携わっていても、怪我はしますか」と聞かれた気がした。自分の顔って、本当によく知られているとびっくりした。真っ昼間の昼休みの1時間で済んでしまった。やってみると以外と簡単。それから、また仕事に戻った。
5月21日(水)11時から外来。さらには15時から外来。自分が居なくなるので、近くの病院へ診療情報提供書をかかないといけない。
17時半前に、なんと北関東から朝、仕事で車で4人で運転してきた来た人の一人が車中で脳梗塞になったようなと、なにげに開業医の先生からの紹介。もう、脳外科としては入院出来ないけど、診断だけでも付けてあげてからとおもったら、半身麻痺のうえにMRI中に痙攣が起き出して、difffusion画像だけで脳膿瘍と判明。CT撮ってけいれん重積をとめて入院。引っ越しまで1週間。後任無しで結構大変。交通の便のことも含めて翌日、他院と交渉。別件でもうひとり入院。引っ越しの準備、特に半月板が割れてなければなんでもないことだが、ストレスになる。
5月22日(木)この日は,医局の送別会だったか? なんか6月8日に記事を書いているので忘れた.
5月23日(金) 午前の外来が12:50には済んだ。13時半出発の患者搬送、16時には病院に帰って来た。なんか経営会議とかいろいろ用時は入っていたようだが、内科系の若い先生もおらず、致し方ない。
5月24日(土)午前中、外来、紹介状など2名あり。サマリーも2名有り。とにかく、引っ越しにあわせて仕事を済ませないと。不要な段ボール箱の壊したモノを玄関に出したら、自分が出入りできないほどの量であった。それでも少しずつ前に進んでいた。近くのスーパーの駐車場にも捨てられるところがあると判明した。6畳の洋間が手つかずだったので、その部屋を掃除、段ボールに荷物をいれてみた。だいぶ片付いた。後は台所とPCの机まわり。
ちょうど、オーディブルでミニマリストの話を聞きながら仕事をしていたが、大半の人は、「モノが買えなくて貧乏だから、ミニマリストになった」というのではなく、「いっぱいあっても、結局は使わず無駄などとわかったから、そうなった」人が大半というお話があった。おそらく、あれば便利なモノはたくさんある。しかし、それは2年に一回しか使わないなどは、場所を取ったりするなら廃棄して余分な空間を確保した方が良いというような理屈。
5月25日(日)朝一に2回段ボールを近くのスーパーの駐車場の廃棄場所に捨てに行った。夕方、もう一回分でたので捨てに行ったら驚いた。朝一にはほとんど、その捨て場には何もなかったのに、夕方には山盛りになって段ボールが廃棄されていた。日曜日だからかどうか。日本の産業というか皆の生活の実際を見た感じであった。そういう感覚は大事。夜はPC用の高さの変わる机を箱にしまおうとしたが重すぎて一人では出来ない。後はデスクトップのPCを送ってきた箱にしまうこと。家に持って帰る本が5箱も車に載せてある。これをのけないと、病院の医局まわりの資料が車に乗らない。これも箱は5箱になる。PCのモニターも2台ある。今回は「単身赴任から単身赴任」なので、それが大変。キャンプ用品など次の「単身者用というか研修医用?の1Kのアパートに入る訳がない。40年目の医師の荷物をどうやって詰め込むかというのが命題。別に倉庫でも借りるか。ベランダに物入れでも買ってもよいが、ミニマリストを目指すのが一番であろう。
ここからは,尾道O市へ移動してネット環境もなしでどうしたものかと言う話になる.
6月8日にスタバに来て,この記事をいれている.
5月26日(月)この日は、外来なし。昼間の仕事中にもどんどん医局の本棚の雑誌を捨てた。歯医者があるので早めに帰った。歯医者もほんとに長い。2023年9月に芋けんぴを食べていて歯がかけて、早1年半経過した。その都度、虫歯の横の歯も実は虫歯など、ほんとに大変。しかし、引っ越しは大事業。8年8ヶ月も単身赴任だった。詳しく分析すると、8年8ヶ月は「長すぎた」。最後の2,3年は「煮詰まっていた」感じがする。2016年に来て、認知症の患者さんが多く、学会に入り、2021年には「認知症学会専門医」をとった。そこまではまだ上昇志向だった。2023年には産業医の資格更新5年分を正味1か月で20点とった。これは最後のお楽しみであった。
5月27日(火)この日は,自宅から奥さんを乗せて真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に,有給ももらって朝から引っ越しの大作業.「引っ越し脳」に変更、とにかく、部屋が汚い。5月27日(火)この日は有給をもらった。朝、奥さんと一緒に車で県北へ。一日中、大仕事。朝一に古タイヤといっても半年しか使っていなかったが、それを「タイヤ館」に渡しにいった。一本400円で引き取ってもらった.そのときに引っ越し業者から電話あり。費用が振り込まれていないとの連絡だ.が、こちらは「別便で口座番号を、後でメールします」といわれて、「待っていたが全くメールは来ていない」と電話で話をすると、向こうのメール履歴をみても、それはなかった。ということで、その場で現金で渡すことになった。昼間にスーパーに行って、その前のATMで現金を引いた。昼ご飯もそこで買ってたべて、また引っ越し準備。19時にホテルに、奥さんはチェックイン。奥さんはそれで引っ越しの仕事は、その日は終了。夕方は20時には,真庭はどこの食堂も閉まってしまうので,行くところがない.適当にコンビニで購入。夕食にした。その後、自分は医局へ。医局の机の中、右3段、左2段の引き出しの中を一所懸命にビニル袋にいれた。さらにはモニター、PC本体をプチプチに巻き込んだ。車に台車を使って箱を5個ぐらい運んだ.24時過ぎには帰れた。その後はシャワーをあびた。暑い一日だった。なんとかかんとか作業をした.段ボール箱をすぐ近くのスーパーの駐車場のエコポストに捨てられるのがほんとによかった.真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰ってシャワーをあびて寝たのが2時過ぎ.まだ,後一部屋が手つかずで大変.
5月28日(水)引っ越し当日,朝,奥さんをホテルに迎えにいき,病院の荷物を車から降ろした.病院へ8時半に到着。不要なスピーカーとPDF作成機械、足に巻くおもりをゴミにだした。本棚の本などを箱にいれた。PC、モニターも車に乗せた. それから9時に来たら,まだ患者の相談事や外来患者さんが11時から12時までに6名はいっていた.モニター台も車に乗せた。11時から外来だが、患者の相談、紹介状があって「6月でよいので5歳の子供の頭痛患者をみてほしい」とのこと。6月の隔週の金土には、金午前、午後と土で、70人以上の予約が入っている。全く予約枠に入るところはない。1.5倍以上入っている。おそらく、だめであろう。しかも5歳となると言葉で説明できないので、「小児神経内科」を受診してくださいと説明した。書類などで10時45分ぐらいまで忙しい。3名は今後は他の科で薬をもらってと紹介状.12時に外来看護師と記念撮影。花束をいただいた。さらに紹介状.引っ越し業者は13時につくとの前日の電話。医局の机の上の本棚なども載せて帰った.12時45分。車の後ろのPCなどを地面においた。これは3階にあげてまた降ろしてくる理由はない。晴れ渡った天気でほんとによかった。天気も良いので下にそのままおいておいた.急いで最後の玄関の横の洋間、クローゼット内を片付け始めた。しかし14時前になってもこない。電話で確認。前のところが長引いて14時20分になった。まだトラックは蒜山のほうにいるので17時前にくるとのこと。急いで真庭ベースキャンプ(アパートの別称)の帰ったが,全然こない.14時前に到着.3名がどんどん,荷造りをしてくれる.まだメインの2トントラックは蒜山から向かっているとのこと.大体の準備ができたので、15時過ぎにまた病院へ。死亡診断書が間違っていた患者さんの「保険会社の書類」がきていた案件を済まさない。これは(月)に市役所に電話して、担当者から連絡待ちだった案件。水曜日の午前中に家族には電話で説明。病死ではなく、外傷でなら保険のお金が出るらしい。それはよかった。転倒が原因なのでよかった。15時半からまた病院へ行って、急いで書き直し。なんとか説明の書類も書いた。 それがすんで奥さんに電話。まだ引っ越し業者のトラックは来ていない。それならと、もう2名の書類を書いた。一人は労災関係で手間がかかる。17時過ぎに目の前の書類をすました。当面の仕事は全部済んだ.奥さんに電話すると「もうトラックは出たよ」とのこと.アパートに帰って,ものすごいゴミの袋.10袋はある.コリドーにだしていた生ゴミ?はカラスに破られて大変だったような.疲れ切ったが,今回は奥さんのおかげで引っ越し作業ができたようなもの.ものすごくきれいになっていてびっくりした。奥さんができる限り掃除をしてくれたような。感謝しかない。8年8ヶ月の長い単身赴任生活では「きれいに掃除をするところも決まってくる」。ということで汚いところはめちゃくちゃ汚かった。疲れ切ったが急いで出発しないと翌日9時には荷物が○△市に到着する.不要な段ボール箱を近くのスーパーに捨てて,いざ次の場所へ.その後、アパートの鍵を病院に返しに行く予定だったが、高速に入った瞬間に,アパートの鍵を病院に渡すのを忘れていたことに気がついた.一つ先のインターチェンジまで乗って,折り返して30kmは余分に走って18時過ぎに再出発.病院にアパートの鍵を預けて、引っ越し業務、病院の常勤業務は何もかも終了した。ほかにも、ネット工事などいろいろあるが、とにかく「具体的な引っ越し作業」は終わった。高い費用でした。なんとか20時過ぎには到着.ホテルにチェックイン.なんと食べに行く予定の店は水曜日が定休日だった.それで町中の飲み屋さんみたいなところへ行った.夜はホテルでなんとかねた.自分が困っていたのは、 真庭市の場合「透明な瓶。茶色の瓶」などでも捨て方が違う。カンの捨て方も違う。アルミ缶と鉄缶でも袋もそれぞれに違う。袋には自分の名前を書かないといけなかった。まあ、なんとか荷物もでて大量のゴミがでた。○△市の食堂は21時までと判明。真庭市は20時までだったが1時間遅い。近くの居酒屋に入った。奥さんもヘロヘロだったが自分も最後の150 kmの運転は最後のとどめで浮遊感が起きる。とにかく大変だった。夜は早めに寝た。
5月29日(木) 明け方、3時30分ぐらいに左足が攣って目がさめた。大変だったのであろう。右膝の半月断裂のため右足の動く分を左足を使ったためだろう。朝、起きて8時35分に病院にアパートの鍵をもらいにいった。とにかく松葉杖での歩行なので、遅い。9時すぎにアパートについた。引っ越し業者も9時過ぎに到着。しかし、到着したときに、修理会社の人かなにかが2台の車で来ていた。なんとそれがエレベーターのメンテナンスの話で10時半までエレベーターが使えないと判明。3階まで荷物をあげるのがまた大変だろうと思った。しかし、あっという間に荷物が上がってきた。さらにエレベーター作業が済んで、引っ越し作業が早くなった。昨日の電気会社の電話はうまくいかなかったので、10時から会社が始まるので、もう一度10時ジャストに電話をして、なんとか12時にはブレーカーをあげていたのが電気が通った。10時半にはガス会社の人が来た。これで水道、ガス、電気が無事通じた。11時前には荷揚げ、引っ越し作業は終了した。その後は、荷物を開けて順番にしまっていった。昼食をたべに近くのレストランを探してみた。意外と住宅街の中にカフェがあった。15時までランチがあったので助かった。その後、引っ越し作業の後に別のホテルに止まった。まあ、これで○△市のホテルは3個のホテルに泊まったことになるが、観光都市としては、限界があると思われた。
5月30日(金)朝は起きてホテルで朝食。後は引き続き、新しいアパートでの引っ越しの作業。昼はスタバに行ってテイクアウトを購入。14時過ぎに病院に正式に挨拶に行った。週、月のスケジュールを聞いた。挨拶がてらに半生菓子を4箱もっていたが、松葉杖にその箱は重く、直の上司になる先生に持っていただき、病棟に配ってあるいた。その後は、書類も書いた。夜は近くの無人駅の階段の話を聞いた。19段×3回、そこで切符をかって14段×2回おりないと電車にのれない。まあ、自分の二本の松葉杖とキャリーバッグを引っ張ってでは電車まで乗れないと判明。スタートから痛い目にあっている。奥さんは自分が病院に挨拶に行っている間に帰宅。自分は帰宅途中に車の運転中にNTT光から電話。とまって電話にでると工事が6月27日(金)になるとのこと。これは困った。ほぼ一ヶ月、ネットがつながらない。まあ、自分としては、お初の新しいアパートで寝た。
5月31日(土)朝 起きて、はじめての○△市のアパート、今までは真庭ベースキャンプ(アパートの別称)と呼んでいたが、新しい場所は最後の前線基地と呼ぶべき場所である。今回の引っ越しでわかったこと。1)荷物が多すぎるので、とにかく、新しいモノを増やさないこと。二度と拡大政策にならないこと。2)ゴミの出し方が違うので、とにかく、ゴミを少しでも毎日出すこと。3)新しいことを新しい場所ではしないこと。もう、いままでの生活の延長はできない。