私生活,雑感

「私生活日記」をつけよう 2019年10月下旬

10月16日(水)朝,寒く感じる.日の出前は10度ぐらいではないか.真夏より20度も低い.細胞内の温度を10度下げると,酵素活性は1/3におちるらしい.20度下がれば,1/9まで下がる.人間は恒温動物なので,何とかして細胞の温度を維持するように活動している.
朝みると白の腕時計が壊れている.これ2005年に購入したG-shockで,ソーラーで自動電波時計で,とにかく今まで動いてくれていた.
ジャケットを羽織って出勤.労働意欲はほぼ最低限まで低下している印象.実際は,これからもっともっと落ちてきます.帰宅して布団の中にくるまってしまうと,動き出せなくなる.まだヒートテックは着ていない.冬は目の前.
時間が無かったので,以前ラーメン屋に忘れていたときに次ぎの為に購入していた黒の新しいG-shockを病院に持っていって,マニュアル通り設定した.夜の仕事が済んで病院で設定をしていたら,なんか白のもとのも設定してみようとしてみたら,動き出した.また白を使っている.

10月17日(木)今日は,自分が撮った写真が表紙にのった医師会雑誌10月号が届いた.

田舎の医師会なので,やや派手目の夜景の写真で良かったと思う.秋は,果物の季節.県北には沢山の果物が出回る.なんか大きな食品サンプルみたいな本物の柿が医局にあった.10 cmぐらいの大物.

19時には疲れて帰宅.
そろそろ灯油も購入かも.例年11月はじめに購入しているが,県北の冬も4回目.常にマックスの出力を維持するには,早めの対策が必要.もう冬だから大変とはいわないつもり.
集大成なので,この冬こそ楽しい冬となりたい.エアコンを今年の冬,はじめて暖房に変更した.

10月18日(金)夕方,岡山県の2つある大学の一つの脳外科教授から電話.自分が,脳卒中学会認定の脳卒中センターに申請しなかったため岡山県北西部に空白地帯が出来たらしい.学会中央から連絡があったとのこと.24時間365日tPA治療に対応できることが条件.常勤医が一名になった今の自分が勤める病院にそれは無理な話.しかもDSA装置はWindows Xpの頃のものでモニターもブラウン管.1998年頃のもの.血栓回収術は「しないほうが患者さんの安全」になると言う状況.市の人口はこの10年で56000人から46000人に減少.しかも,市のおおやけの病院のほうにはMRIも無い.一応自分の勤める病院には3 T MRIがある.その教授の言うことには「脳卒中になれば,そこにいくことになっている」とのこと.脳卒中学会の専門医も持ってはいるが,出身大学でもない医師も送ってくることもないところの教授が「そうなっている」と突然言ってきても,誰も彼もが困る.ありていにいえば,「聞いたことがない」状況.そうなっているなら医師派遣してきて,器械も購入してくれたら良いが,そんなつもりもなく,余力も100%無いのはよく分かっている.
出身大学の教授からも「その地域には脳腫瘍の患者もすくないし,若い医師を送ることは出来ない」とはっきり言われている.閉鎖してしまっても良い様な口ぶりであった.どうなるのでしょうか.自分に取っては趣味のフライアングリング以外は,全くアウェイの土地なので彼らにお任せ.
その30分後,脳卒中県北テレメディシンを勧めている神経内科教室から電話あり.一度,プロモーションをしたいとのこと.「どうぞ」
自分がいない時,いなくなった時用の準備にもなる.一日で,県北の脳卒中に関して状況がよく分かりました.
勉当会のお弁当の写真を上げておきます.今後は,薬会社の名前も挙げて言い来ます.すでに忘れてしまっています.おいしさだけは残っていきます.

10月19() 午前は回診.アクアにランチを食べに行こうとしたが,13時45分に到着しても,まだヒトが並んでいた.あきらめた.道の駅,醍醐の里でニイタカ梨を買って帰り,昼食.その後は,自宅(岡山市)に帰ってピザを食べに行った.生ハムとポルチーニが乗った豪勢なピザでした.
今回のテーマは,食事のレポートではなく,スマホと一眼の写真の比較.これは別記事に.

10月20日()朝には真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に出てきて,とにかく仕事.増えて増えて困る.秋晴れ.

10月21日(月)午前中,外来,午後はストレスチェックや雑用.要は,自分が今の病院の産業医なので,ストレス度の高いヒト達を選別.自分は時間がなくて,それも出来なかった.
22日(火)今日は外来もない.1週間以上経過したら,何をしたかは忘れている.
この日かどうか忘れたが,看護学科の実習生に昼休みに,他の職員とこのブログのことを話をしたら,見ておもしろかったというお手紙?,メモ?をもらった.お気に入りは「グルメ記事」とのこと.要は,食べ物の写真が良かったということでしょう.見る人を増やすには,一般受けする記事が大事ということ.フライアングリング,研修医用勉強会などの記事はマニアック過ぎるとは思う.自分の仕事,生活自体が非常にマニアックなのはよく分かる.
当面の方針は,とにかく写真を多く載せることとしました.自分でも見返すときに,写真しかみないこともあるので,そうなんでしょう.

23(水)外来,たくさん.その後に回診.19時にはいつも仕事を終えたいがギリギリ.
24(木)なんと,朝一にMRIの事故発生.そのとき,脳外科の患者は6人がMRI待ちであった.残念でした.入院してきたヒトも,撮れず難渋した.自宅(岡山市)に帰った.夕食はブリしゃぶ.記憶に残っている.
25(金)MRIは朝から電源を落として,修理終了.夜の20時20分.朝出てきて,16名入院中の患者に退院の段取りを.とにかく,情報提供書,書類,診断書書きまくり.ヘロヘロです.
10月26()この日は,外来,日直,22時まで当直.副当直の時間帯は,久世のケンカだんじりで,2名救急搬送されてきた.その後に情報提供書を書いて0時過ぎに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰った.風呂入って寝たのは3時頃.翌日の釣行の準備も適当.

10月27()朝から白賀渓谷へ,写真をスマホと一眼で撮り比べ.これは別記事に.結論は,スマホは自動アプリ付き高級コンデジという感じ.カメラはカメラである.

10月28(月)19時からバドミントン,18時前にはtPAの適応のあるような症例の紹介の電話あり.偶然? HCUが一杯だったので断った.患者さんを3 名ほど動かせば,入れないことも無かった様.バドミントン後,事務のヒトに聞くと,「当院は資格がないのでtPAをしてもお金はもらえない」との説明あり.これは,29(火)に詳しく聞いてみた.どうもtPA治療の施設認定,24時間365日,いつでも出来るという条件の中に,「薬剤師,検査技師,放射線技師などが,常に常駐していること」が入っているらしい.そりゃ無理です.2年前から施設認定の資格は無かったような.なにか2年前から指摘されていたので,申請を取り下げていたらしい.バドミントンは,空いた時間に他の職種のヒトとも話ができるので,いろいろ役立っている.バドミントンそのものは,1時間弱でなんとなくやって終わり.名前を知らない女性が小さい子供を連れてきてくれていたので,楽しく遊べた.
バドミントンは病院内の職員よりは,院外の友達? 自分は全く名前もわからないもの同士が集まってやっている.まあ,マイナーなスポーツには入るのですぐに集まってやると言うことは出来ない.

10月29(火曜日)ヘロヘロ.14時から検査.メンタルに疲労感がある.
20時前に真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰って,
一寝入り.月曜日に左薬指のアルフェンス固定を朝から外していたら,火曜日の朝からむくんで痛い.

10月30日(水)外来,なんか,田舎のヒト達は,来たらいつもやっていると思い込んでいる.午前は未破裂脳動脈瘤の説明.今までの医師は,統計の話をしないので,「うまくいくが死ぬ」しかないような考えを患者は持つ.実際は,ほぼすべてがその中間である.
なぜ,自分の外来だけが一杯で,他の医師の外来日がスカスカなのかわかった.
この未破裂脳動脈瘤の高齢者の話では「○○医師は▼▼と言うし,他の医師は逃げるし.先生が説明してくれると聞いたので予約を取って来た」とのこと.
昼休みには,内頚動脈塞栓症のヒトをヘリコプターで送り出して,14時前にギリギリ昼食.すぐに午後の外来.「イライラする.頭蓋内雑音」のヒトがきたが,全く,この日に来なくても良いが,あれもこれも大変と思ったが,どうもこの患者さんも「自分の外来の日」を選んで来ているとわかった.要は他の医師では適当に流されるからであろう.よくわかった.この日は副当直で22時まで.縫合したりで22時まで終了.その後は,翌日転院の2名情報提供書を書いて,0時過ぎに真庭ベースキャンプ(アパートの別称)風呂入って寝たのは2時ぐらいか.

驚きの事実が判明.急性期病棟は44症だが,自分が主治医は10名.もちろん脳梗塞で脳外科が出張る必要のない患者は内科で診てもらっている.それらを入れれば12-3名が常に自分が関与している.医師は11名ぐらい常勤医がいるが,急性期病棟の1/4が脳外科,脳疾患で入院.脳外科常勤医は1名だけ.また整形外科は常勤1名で患者が8名ぐらい.この偏在は,いつまで続くのか.県北西に脳外科常勤医師が自分だけなので仕方がないが,ぶっちゃけ,「いつまでも持つはずがない」.「やりたい仕事も出来ない」では,それにみあうものが無ければ,続かない.
研修に来た内科医師が受け持ち1名などは,笑ってしまう.ある意味残酷.飼い殺しなのか.「量が質に変わる時がくる」ことがわからないまま年を取ると,よくて平々凡々な,悪くすると無責任な無能な医師になる.平凡な医師も必要であるけれど.

10月31日(木)朝一番に,念のためにMRミエログラフィーをしてもらって,衝撃の事実判明.後は硬膜外生食持続注入.とにかく急いで仕事をしているが,大変.
17時からは薬用温度設定可能冷蔵庫の説明.
19時3分前には,タイヤ館に滑り込んで冬用タイヤ注文.店がしまる直前.
タイヤのサイズがやや頻度が少ないので,2週間後になるとのこと.
タイヤは3年間でダメになる.

10月からは,大学からの医師が月火と木金と来てくれていたのが,月火の医師が来なくなった.さすがに,それで最後の生命線が途絶えた感じ.ラストストローであろう.
病院の出費は減っただろう.その金額分,自分が働いた.
その金は自分には入らず,薄まって病院の諸経費に消えていっただろう.

「医者が増えたら仕事を増やす」
「医師が減っても,その仕事は減らさない」がほぼすべての病院のやり方.
それのどこがおかしいかわからないうちに,医師はひっそりと去っていくというのが繰り返された歴史であろう.そして,これからも繰り返す.
長続きさせたいなら,仕事を減らすこと以外の選択肢はない.
そして,わかったことは,今の仕事は自分のセカンドキャリアではなく,
ファーストキャリアの最終コーナーと言うこと.

方針:ブログが読まれるためには,記事に写真が必要.
一つの記事に3枚は載せるつもりで.

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