「難あればこそ、有り難い」
これは、京都の永観堂 禅林寺の去年のカレンダーの「お言葉」。
全部で12か月分有るが、今年のカレンダーは手に入っていない。
含意というか、どういう意味か,やや漠然としている。
それが良いのだと思う。
「艱難 汝を玉にす」とも違う。これは苦難の連続の印象。
たとえば、初期のベンチャー企業にとって、最初に初めから問題がわかって入れば
前に進みやすい。うまくいかなくても、次はノウハウが蓄積しているので前に進める。
ある程度、軌道に乗ったったところで問題点が出てきては,修正が大変。
そんな意味合いが多いと思う。
4月はじめは何をしたか,2週間もしたら、もう忘れている。
人生はすべて忘却の彼方。
4月9日(日)朝から本流へ。
早く行けば良いことがあるかと言えば、そうでもない。
まあ、10時間は釣り場に詰めて立っていた。一か八かで、だめでした。
4月10日(月)午前中外来。午後は鳥取県の高校生の放課後の「公設クラブ」に顔をだした。片道 55 km 自分の出番はなし。18時には終了して帰って来た。
19時からのバドミントンに参加。足がもつれて疲れたが充実していた。
4月11日(火)
4月13日(木)昼間に局麻で頭皮の腫瘤を摘出。なんか頭皮直下で頭皮は1mmも無いぐらいに菲薄化。それは簡単に終了。急いで自宅に帰ろうとしたら、ちょうど17時半に頭痛のヒトが入院になった。40分は時間を取られた。疲れが体中に染みついている印象。そこの40分は、自宅までの帰り道で19時過ぎにぶつかり、渋滞のど真ん中の時間になり、すいているときの3倍は時間がかかる。疲れて運転するとぶつかりそうになる。
4月14日(金)朝は6時半から片道 75 kmを車で出勤。朝からフラフラする。予約外の患者さんがたくさん来る。2週間前からなんとなく「地に足がつかない感じでMRI希望」などの訴えの高齢者さん。内科には「なにもない」と言っておいて、こちらではそのような訴え。こちらがめまいがするときに大変。悪くなったので今日受診したのか聴くと、全くそのようなことはない。難聴もあり大変。脳外科疾患の症状でもないので、MRIを撮って月曜日に説明としたが、その後に脳ドック受診者ひかえており、自分は前のめりに倒れそうだった。頭位変換性めまいがおきつつつあり。
その時、この前、つり上げた50cmのニジマスをフライ?にして栄養課のヒトがもってきてくれた。謝礼も頭が回転せず、うまくいえなかった。回転性めまいの時は脳の活動は回転しないと納得。外来のスタッフと後で一緒にたべた。滅茶苦茶、うまかった。
前日の頭痛のヒトもこの高齢者も、「時間ぎりぎりになって、心配になって受診」というパターン。気持ちはよくわかる。「今後、夜になったらどうなるかという心配。私で無いとわかりやすい説明が得られない」こともよくわかる。とにかく他の医師がみても同じ結果になる患者さんは他の医師に診療してもらう方針が大事。外来患者数が手伝いにきてもらっている医師の3倍ぐらい違う。入院患者も10名以上常に受け持ちをしている。働き方改革がチャンチャラおかしい。働き過ぎである。
4月15日(土)外来日ではないのに、たくさんの患者さんが相談に来ている。病棟の用時もたくさん。今日が外来日でなくて心底、助かった。昼食は、イタリア料理店でスパゲティを食べてから病院に帰って診療情報提供書をいくつか書いた。
4月16日(日)雨。夕方までゴロゴロ。身体が疲労で動かない。起き上がれない。この日は脳外科の専門医更新用の症例報告を入力した。結構,毎日入院しているので、一か月分の症例も入らず。5月末が締め切りだがすむのかな?
まあ、身体は休憩日であった。
4月17日(月)母親の施設の件で、以前、一緒に働いていた先生に電話で相談。ようやくできた。
4月18日(火)昼から脳膿瘍排膿術。全麻。朝から雑用のなか、マーカーをつけてなんとかうまくいった。オペ記録早くかかないと。
5月20日(木)夜は、すひっそりと歓迎会で、参鶏湯を食べに行った。病院に帰って来て、退院のヒトの紹介状を書いた。23時には一旦真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に帰る。
4月21日(金)午前中外来。13時頃までかかる。この日は、自宅(岡山市)に早めに帰れた。洗濯物、冬の衣装など前日の晩に車に乗せておけば、病院から真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に寄らずにそのまま、自宅(岡山市)に帰れる。出発が15分早ければ、到着は30分は早い。要はラッシュの時間に町のど真ん中を走らなくて良いからだが、疲れの度合いが全く違う。町のど真ん中を15分で抜けるのと、30分で抜けるのは、疲れ方が全く違う。連休中の宿をどうするかで,いろいろ検討。結局,お寺に泊まることにした。新機軸。お寺に泊まって殺生するのはいかがなものか。人生、したこと無いことはたくさんあるので、ネタとしてはおもしろい。まあ、なんとでも。
4月22日(土)午前中、外来。予約がいっぱいだったが、それ以外は来なかったのでなんとかなった。13時15分から慢性硬膜下血腫の手術をした。手術場は15時前には出たが、なにか自分が無理に他の職員に時間外を強要しているような罪の意識が芽生える。「土曜日は昼までではないのか、あんたが働かせるのか。ここは、そんな病院じゃないよ。」と時間外で働く職員の恨みの声なき声が、こちらの脳に直接、入ってくる。段々に年を取っていくと皆、そんなになっていくもの。「他でやってもらいましょう」などの言葉も聞くことがある。病棟回診をして、他の指示も出して真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に。用時がたくさん。フライアングリングには今週は行かない予定なので、お仕事を。
4月23日(日)朝9時過ぎから前日の患者さんのドレーンを抜去。後は認知症のセミナーを聞きながら、カルテ記載。13時には昼食がてら病院の外へ。その後、忘れていたタイヤ交換に行った。ようやく冬タイヤから夏タイヤになった。夜は引き続き、セミナーをネットで聴いて、ようやく終了。認知症専門医の更新に必要な単位を聴いた。それから脳外科の症例入力。夜中まで頑張ってやったが、ようやく1年間分の半分が済んだ。これも脳外科専門医更新に必須なので、なんとか日曜日を使って行った。
4月23日(月)10時から外来だが、前日に入院の結構な脳出血+脳挫傷の患者さんの指示、フォローCTの段取りなどで,あっという間に外来始まる。12時まで。後は雑用を延延とこなした。薬の微調節など。17時半から勉強会。その後は19時からバドミントンに行った。最近は若い女性陣がきてくれて、人数が増えた。
11名ぐらいなので1コートでは足らない。横にもネットを張って待ち時間はそこで打っていてもらう。
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なんか、今までエアロセンサ600(旧トーナメント)を使っていたが、700は一段と打ちやすいしお遊びとはいえ、良いシャトルは使っていて楽しい。すでに5年間、やり続けて、シャトルは年々、すこしずつランクを上げている。体力の低下を補っている感じ。次回からは体育館の横の面を借りているヒトが19時から20時まではいないので、全面借りたら、余分に2コートは張れる。20時になれば撤収すれば良い。
夜は、フライアングリングの準備をしようとしたが、疲れてできず。
4月25日(火)副当直22時まで。慢性硬膜下血腫の紹介を対処。腕を打ったヒトに対応。その後に、面倒なことが起きていた。脳外科に紹介されていた患者さんが「終了」扱いになっていたが,ずっと待っていたらしい。トラブルケース対処も自分の枠割り。なんとかその日のうちに診断まで到達した。MRI撮って、高次機能テストを。次の段取りを。
4月26日(水)なんとか9時15分から慢性硬膜下血腫を手術。11時から外来。昼も外来。
4月27日(木) 久しぶりに病棟の仕事に全振りで仕事を15時まで。10時前に、患者搬送で乗っていく予定だったが、代わりにスタッフに乗っていってもらった。その後は散髪へ。とにかく予定、予定外とたくさんの仕事がある。
4月28日(金)午前中は、なんとか外来。午後は脳ドック。後は診療情報提供書を3名書いて渡した。フラフラする。20時には真庭ベースキャンプ(アパートの別称)に。連休にむけて、紹介状など仕事が目白押し。フラフラする。
4月29日(土)朝からお休み。7時半には目的の場所へ。なんとか段取りをして、サカナを釣り上げた。14時半には暴風になって、立っているのも大変。撤退。ベースキャンプに帰って一寝入りした。次にサカナの内臓を取って冷蔵した。