働きかた・生活改革

断捨離,5S, ミニマリストの多くの例外規定

多くの人が本も出していて勉強にもなる.
しかしどの本を見てもブログを見ても例外,適応外あるいは抜け道が書いてある.
1)ミニマリスト
部屋にほとんど何もおいていない写真が良くでる.
例外は「趣味にはお金をかけて,沢山,必要なものをそろえている」などが有名.
それは普通のことであろう.趣味にお金を使うヒトが,一般的には必要なものでも
我慢をして,趣味のものを購入などは普通によく聞く.
あるいは競馬,パチンコなどのギャンブルに没頭して借金も抱えたヒトの部屋などは,生活必需品さえも無い部屋などはよく新聞,雑誌などでは報道される.電気もガスも水道も止められた部屋など,その部分だけをみたら究極のミニマリストになる印象.
それらとはどう違うのか.
また,ミニマリストは自分に必要かどうかという気持ちで物,ヒトをみてしまう.
交友関係も最低限に絞る.ほかのヒトの道具をみても,他の人の家に行って,室内を見て,そんなもの,その人に要らないんじゃないかと思ってしまうらしい.
「自分は修行僧ではない」と突然開きなおるヒトもいると書いてある.
「修行僧≠ミニマリスト」は当たり前,バイクに乗るお坊さんやお寺でロックコンサートを開く坊さん達もいるが,道具にはこだわる坊さんは多い.
道を究めるには道具にこだわらないと絶対上達しない.
どの職業でも,ミニマリストは存在するし,そうで無い人もいる.
趣味が自転車のヒトが,部屋,日常生活はミニマルな生活をしていて自分の選んだ高級自転車に乗っていると「ミニマリストなのに高級自転車に乗って」と批判されることがあると言う記事を読んだ.ミニマリストである以上は,趣味の自転車も中古の5000円のママチャリに乗れという圧力がかかるような.滑稽な話である.
ミニマルライフは,通常の毎日のものを選んだり,捨てたりの基準がある意味極端な場合と考えられる.「極めて強い選択と集中」というところであろう.どんなヒトも,自分はこの程度の物で良いという線引きは誰でもしている.髭剃りなども最新の6枚刃でないといけないヒトもいれば,自分の様に自宅(岡山市),真庭ベースキャンプ(アパートの別称),医局,車内と4カ所にそろえておかないと行けないヒトは,最高級品をそろえることは予算的に不可能.それを個数をミニマルにするには,常に髭剃りを持ち歩かないといけない.無理な話.緊急避難用は安く,日常使い用は少しよいものなど,「金額的に,出費をミニマル」にすることになる.もっと言えば,4カ所に移動などしないライフスタイルに変えていくのが,人生のミニマリストであろう.転勤のない職場に転職などは今は普通.

日本の今のミニマルライフは,まとめると,
1)「部屋の見た目」を極めてさっぱり,何も無いかのように見せる.
2)特に日本では実際は出費を押さえる節約術の側面がある.
要は,「極端な選択(Super selection)」がミニマル ライフの要諦.
要は,自分自身に不要なものは最低限にそろえて,新しい不要なものを入れないこと.趣味の道具でも,購入時は悩む.若いときはその釣り道具があれば楽しかったが,年取れば行けなくなって,その道具を使うことはないなどは,自分のフライアングリングでも当たり前の様に起きている.それは次の断捨離に繋がる考え方.要は,昔は必要だったが,今は不要なものをどうするかということ.昔も今も不要で,家族の誰も使わないものは,初めから捨てることに全く問題はない.

ミニマリストの例外事項:
1)「冬の寒いエリアで服を捨てすぎる」など記載があるが謎である.南国出身で岡山県北在住の自分からすると,ありえない例もあるよう.1年目にヒートテック13枚,翌年には極暖,超極暖とどんどん購入した.今では30枚はある.それでも「最低限の装備」と思っている.
2)「片付けの魔法」「断捨離」での記載でも,「必要なもの,ときめく物は置いて置く方が良い」という立場.当たり前すぎる.要は,不要な物を捨てるのはどの方法でも基本の基本.ゴミ出しの日に大きなゴミ袋を出し忘れて,それが1週間,玄関にあれば,だれでも困る.要は誰が考えても捨てるゴミが自宅内,室内にあれば皆困ると言う感じ.
3)ミニマリストになって不要なつきあいを止めたら,一人の時間をもてあます.
これはただの世捨て人であって,「社会生活」「集団生活をすることで地球上で生き残ってきた人類の生存戦略」と相反する.空いた時間をボランティアに使うなど,別の活動と併用してこそのライフスタイルである.要は,「ミニマルライフ」が人生の目的になってしまっていて,何かの別の目的のために,それ以外を削ることを「ミニマルライフ」と言うという定義自体に反している.
これは「手段の目的化」と呼ばれる間違いの一つ.
もっといえば,ある目的を達成するために,余分なものはそぎ落とすというのがどんなプロジェクトでも,基本の基本.何もかも捨てて,ひとづきあいもせず,室内で全く動かないで最低限の生活をするという意味では無い.というか本当にやりたいことがあれば,他の当面不要な物は大抵のヒトは捨てる.

自分のいつも考えている「一つを選ぶということは,他の全てを捨てる」ということに行き着く.
簡単にいえば,「誰かと結婚するということは,他の結婚候補を全員捨てた」ということである.それを企業活動の様に,普通に書けば「選択と集中」ということになる.

ミニマリストを節約術の解釈しているヒトが多い.
発祥の地は,英語である分,米国の様.お金持ちがあまりに沢山のものを持っても,仕方がない.自分の気に入ったものだけ購入して生活をするのが基本.
それは,大量生産,大量消費で必要な物があふれていた時代の名残りで金銭的にも余裕があったときの話.あるいは安くて便利な物が町に,部屋にあふれかえって繁栄を謳歌した時代の反省.
それがいつの間にやら,日本では,不要なものを購入しないと置き換えられている.日本もかつては,国民全体がお金持ちの時代があって,ものを作れば作るほど売れた.また給料も上がっていった.それがこの30年間,収入は上がらない.退職金も減額されて,転職も当たり前の時代になれば,「余分なものを買う余裕の有る生活はできない」となる.
大学生が,学費も払えないという時代になっているので,ミニマルライフはある意味,日本全体に覆っている楽しくない閉塞的な空気感という印象.
こだわりの物に高額なお金を出せないヒトは,単に貧乏な人である.ミニマリストになって貯金を貯めようなどは,ミニマリストのオリジナルの精神とは別の意味である.

2)断捨離の例外
これは非常に良く出てくる例外が「家族の物,配偶者のものを捨てる」こと.
当たり前だが,自分に取って着ない服は全部捨てるのなら,家人の服は全部捨てることになる.あるいは家人の趣味の品物を自分は使わないから捨てるなどは,家族,配偶者とは同居をしたらダメである.個人での生活空間を確立して,自分に必要でないものを捨てるということにしないと.断捨離もミニマリストも生活感,生き方の問題なので,「個人の人生,ライフスタイル」が基本の基本である.配偶者,子供,両親のことまで踏み込むのは,断捨離もミニマリストも「お門違い」と考えている.
「部屋に来ていた服を脱ぎ捨てて,ほったらかし」などは,断捨離にもミニマリストにもあて当てはまらないどころか,ただの「ずぼら」であり,生活人としての基本が出来ていないので,予選落ちである.
「汚部屋」に徐々になっていくと,人間は慣れる生き物なので,本人は意外と平気.
それではダメと突然,気がつけば,「片付けの魔法」などの本を読んで,ライフスタイルをみなおすことになる.

要は,断捨離もミニマリストも「手段の表現様式」であり,肩書きや職種ではない.「目的のために,不要なものは出来るだけ捨てる.さらには,不必要なものは購入しない.少なくとも室内には入れない.」

要は,断捨離もミニマルライフも「自分自身のおのれだけの生活活動様式」であって,大きな目的達成のための手段の一つである.
印象では「イチロー選手が現役の時」がミニマリストで断捨離の生活に感じる.
毎日,カレーだけしか食べないで体調を一定にするなどは,目的のためには,他のどうでも良いことを全部,自分に入ってこないようにするという意味で断捨離そのもの.

自分も散らかった真庭ベースキャンプ(アパートの別称)の部屋を少しでも,見た目だけでもきれいにしようと努力した結果,分かった事がある.
プレゼントされたものの外の袋,箱などはおいておいてもアパートでは100%使わない.箱代も高いでであろうが必ず捨てるようになった.
さらには,今の今使わないものがある.当たり前だが冬用タイヤに替えたら夏用タイヤは使わない.これらは一つ全く使っていない空いた空き部屋にまとめて置いてある.他にも年に2回行くだけのキャンプ用の寝袋,マット,椅子などもそこに放り込んである.ドアをあけないと見えない.その部屋のクローゼットには夏服も引っかけてある.まったく自分のリビングからは見えないので,あたかもスッキリ片付いた印象に見える.
要は,断捨離の具体的な行動の第一歩は,自分の目の前から「移動させる」こと.
それが断捨離の基本.
「不要なものを捨てる」などは,簡単に書いているが,結局はゴミ収集のトラックのヒトにまかす.預けると言う意味.自分が読んで不要になった雑誌も古本収集日に玄関に出して,ヒトに持って行ってもらう.結局は「次のヒトに移動させる」ということ.彼らも再生処理出来る物は処理工場へ運び,次の人達の作業に任せる.
「片付けの魔法」は本を家の外にだしているが,その出した本を自分で焼却あるいは地面を掘って穴に埋めるなどは現代人はしない.「移動させて次の作業をする人に任す」のが片付けの基本と悟った.要は,自分の目の前から消しさえすれば,現代人は「断捨離」をしたことになる.プロに任せて次へ次へと不要物を目の前から消すことが「断捨」とわかった.
要は,「不要物の選択と移動」が基本.
「離」に関しては,余分な物を入らない様にする.片付けていると,以前購入して,別の用途にちょうど使えて,新しい物を買う必要がないものなどがでてくる.
要は自分が持っている物,購入したものの活用で,なるべく「余分な物を購入しない,もらわない」のが基本.

3)5Sの例外
5Sは製造業の現場の話.清潔に使っていなかった機械が故障して生産量がおちては会社の存続にかかわる.また必要な道具がすぐに見つからず,探すのに時間を使えば,それだけ無駄な時間が増えて最終的な生産量が落ちる.
また「整頓」ではどの引き出しに何が入っているかを自分以外の誰が見ても分かる様に「名前を書いたテープを貼る」という項目がある.要は自分自身のためではなく,会社,工場全体の器械,職員,関係者の稼働率,生産効率を最大限に上げた状態を維持するためにそれぞれの部門が協力するための方策である.
アパートの個人の自室の洋服タンスに「夏物靴下」「冬物下着」などテープで張るなどは,どの日本人もやっていない.大家族で混乱を来すほどならある.
要は,「整理,整頓,清掃」は3Sとして,わかりやすい.
それは「多人数がかかわる作業場」で多人数の職員が迷わず時間のロスを少なくするための手段.

その次の「清潔」も分かったような分からない言葉である.
「清掃」は人間の行いは,ものが散らばっていくのが普通の状態なので,
「整理,整頓」が整った状態を維持するのが「清掃」である.
そこまではわかる.
なぜ「清潔」が入ったのかいつの頃からなのか調べたが記載がない.
清掃したら清潔になるが,一説では,最初の3Sは「作業環境の問題」で
清潔は「作業する人」「稼動する機械」の問題の様.
環境が整っていても,そこで働く職員が不潔では,困ることがある.
職員が不潔な恰好をする「食品会社」「健康関連企業」などは論外である.
それぞれの3Sに対する役割も部署部署,時間帯によっても異なる.
一説は,3Sを維持するためのそれぞれの職員の働く服装,道具,器機の整備などの手順などを標準化して職員全員が一定のレベルを維持できるようにするのが,「清潔」に入っているらしい.要は「標準化する.standardize」が本当の意味であったような.
まあ,ある人だけが頑張っても一人の基準に満たないヒトがいれば,最終的な産物,製品は大変なことになるので,4番目のSのターゲットは「働くヒト,器械,道具そのもの」の整備,品質保証ということになる.個人で言えば,3Sで,整頓して,「もとの置き場所にフライロッドがあるように片付けたが,前回の釣行の時に泥がついていたのをそのまましまっているので,次回までにきれいにして,現場でばたつかないようにきれいにしておこう.あるいは折れたロッドは米国に送り返して修理を.その間に釣行にいくためには日本製の安めのロッドを購入して,すぐに行けるように準備を」という話である.まあ,皆で使う道具なら,「元の場所に返して整頓,清掃が出来ただけではダメで,要は3Sだけでは,使った道具自体をきれいな状態に戻すという作業が入っていない.それをしておかないと次のヒトが使用するとき不具合が生じる」という意味合いが入る.
ヨセミテ公園で「取っていいのは写真だけ,残して良いのは足跡だけ」という言葉があったが,「次の時困る,次のヒトが困る.最終結果が基準を満たしていない様では売り物にならないので困る.一人がゴミを捨ててもあまり変わらないが,皆がそれをすると企業体としては,最後には立ちゆかなくなる.」ということ.これは国立公園が最終的には「ごみだらけ」になって,こまることと同じ.

日本風に言えば「道具の手入れ」「使用者の服装規定」などがこの項目に含まれる.料理職人が包丁を研いだり,大事にしまったりすることが,この「清潔」に入ってくる.包丁があるべきところにあっても,切れ味が落ちていては,仕事にならない.これらを常に遂行するのがこの項目であろう.要は3Sは職場,活動の環境に対する項目,4番目は職員,本人,道具のメンテナンスなどの基本項目となる.工場などはプロの料理人のあつまりではないので,器械を一定のレベル,職員も誰でもが一定のレベルに到達させることが大事.
自分にいわせれば,4番目のSは standardize skillの意味であろう.
製造業では「個人のわざ,力量」があまり注目されておらず,器械の事ばかりに目がいっているが,この4番目のSがないと中小企業などでは仕事は回らない.

5Sの最後は,今風にいえば,sustainableであっている.
持続,継続可能が基本.個人的には3日坊主にならないようにすることであろう.
「しつけ」という言葉は嫌いなので,使いたくない.

結論:どれもこれも,「明確な目標があって,これらの手段で,その目標に到達しよう」というのが結論.手段が目的化していると,絶対にこれらのことは続かないし,続ける意味がない.人生の目標が無い個人,目的,目標,ビジョンの無い会社が5Sをしても,絶対誰もしたくないし続かないのはよくわかった.自分にプラスにならないことを,喜んで行う人間はみたことがないので,間違い無い.

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