いつものように、Audibleを聞きながら、移動、夜の仕事をしている。
6月1日(木)この日はMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)にステイ。書類なども一生懸命書いた記憶。疲れが出ている。いつになったら、「仕事半分」が実現するのか?
夜は、6月16日(金)の院内発表会の準備をした。こういう作業をしていると病院から帰るのが23時にはなる。しかし、「記憶より記録」であって、自分のコロナの検査をしたことの記録が無い部分がある。それは「濃厚接触者」用に検査キットをだすと、保険診療ではないので、電カルには記載はないということが判明。それとフライアングリングの4Xのティペットがないので、日本では1.5号なので購入。少しずつ購入する。
6月2日(金)外来をしていたら、前向きに転倒のヒトの紹介。こちらの外来がいっぱいなので、外科に受診、両手がしびれて痛い。両上肢が動きにくいと言っている。外勤の外科の医師は、脳と骨のCTを撮っている。まあ、骨折や頭蓋内出血を除外するのは大事なこと。診断は、「中心性脊髄損傷」一択であろう。結局脳外科に回ってきて、入院の段取り。14時40分まで午前の外来がかかった。その人は入院。自分が「仕事を半分にしようキャンペーン」をしても、まわりが仕事ができないと時間がかかる。若い外勤の外科の先生も、後でスマホでその病名をしらべていたらしい。「骨傷は無い」も一つのキーワード。夜は、遠征準備。
6月3日(土)朝8時前に病棟回診。その後に遠征に出発。
6月4日(日)引き続き遠征。
6月5日(月)この日は休みをもらって、明け方からやって、10時過ぎには終了。自分は11時35分にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰り着いた。修学旅行?なみに楽しかった。これらは別記事に。
6月6日(火)溜まっている仕事がたくさん。晩ご飯をMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)で食べて、もう一度病院へ。定期処方、サマリーなどしてから23時にはまたMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に、過労でそのまま寝た。3日間の楽しかった思い出が、一日にしてグレーのモノクロの景色に変わった感じ。毎日、「仕事を半分に計画」をしたいが、見当も付かない状況。
6月7日(水)朝から、片頭痛の子供さんの相談。11時までに病棟の患者さんの回診。指示出しを済ました。11時からの外来の前にすでに2名を診て、半日の外来で32名。最後の2名は眼窩底骨折に下垂体卒中が受診という状況。大変。その後に副当直に入った。6月で22時までの院内当直は終わりにするので、なんとかしてあげよう。
今までの医師人生で初めて驚いたことがあった。今の病院の仕事の時間の労務規定が、17時半までである。以前の病院は医師は18時までが仕事時間と決まっていた。それで、今の状態は、医局会(医師間の連絡の会)は、毎週火曜日か木曜日にある。17時15分から17時半までである。自分が今の病院で働き始めた時は、17時半からだった。それが医局会の会議も時間内にやろうと途中から17時15分になった。それも長年の慣行を改善したものであろう。
世の中の働き方改革は、音を立てて、すさまじい勢いで病院にも到達している。企業体として、医師も有給休暇を年に5日はとらないといけないことになった。それが出来ない企業には、1人分ごとに30万円を国に払わないといけない。それなら、全員に5日以上休みを取らせたら、なにか国から褒美がでるのかと言うと、そういう訳ではない。国は負けのないゲームをしている。自分も頑張って有休を取った。その分、代休は、ほぼ余っている。医師も「頑張って、なんとか5日は取る」ようになっている。自分も家族の病気の時に、転院の日などに病院を半日とか1日とか留守にしたりする時には、有休を利用した。それでも今年の初めは有休の残りは40日間残っていた。
17時15分からの6月はじめの医局会があった。6月から一ヶ月間、地域研修にくる初期研修医が今月も来た。働きかた改革で、初期研修医は一人が毎日16時半までが仕事、毎週35時間労働との規約が研修元の病院の決まりがある。当直をさせたら、次の日は朝から完全に休みにしないと「週35時間労働」が守れない。もう一人は17時までが仕事時間。となると医局会は仕事になるので、17時15分からの医局会は出席できない。ということで、院長から「今月から○○病院と△△病院から初期研修医の2名が来てくれましたが、時間の関係で出席して挨拶はできません」と説明された。理事長、院長が出席する医局会なので「業務、仕事の一貫」なので、そのようになる。驚きの一瞬であった。週に一回、脳外科の症例提示も自分がメインの仕事がほぼ終わった17時ぐらいからしていたので、ほぼ今の初期研修医に対しては提示できない。当たり前だが朝8時半からか9時からが仕事なので、早めに出てきてなどはできない。dutyでもないので、しなくて良いならそれでこちらは文句は全くなし。
以前に働いていた病院は、毎日8時から症例提示、あと治療方針を決める検討会、抄読会、勉強会が毎日あったのに、もうそんなことをしていては時代の流れにあわない。今の病院は地域研修病院なので、脳外科の自分に関係のある部分はほぼ無いのでどうでも良い。 次は、その初期研修医の歓迎会をどうするか。19時から21時の間に、医局全体で主催するなら、理事長、院長、医局秘書などが出席する。それは業務、仕事扱いとなるなら、初期研修医は出席は出来ないことになる。歓迎会は行うが、歓迎される当の研修医は欠席ということになっては困る。病院の業務の一環なら、夜の2時間は宴会にでて、翌日、翌々日の2日間は1時間早く帰ってもらうことにするか。
初期研修医の歓迎会に当の初期研修医が出席できず、残りのオジサン上司達が、歓迎会を行うというシュールなことが現実化する。
とにかく、国立、公立病院から「働き方改革を実践していかないとダメ」なのであろう。自分の様な土日でも急患、手術で週末に毎週16時間働いていた世代としては、働く時間を減らすのは無理であろう。まずは若い世代をターゲットにするのが正しいだろう。彼らが新しい働き方を作りあげてくれるだろう。自分も彼らの様に週35時間労働に減らすようにしよう。もう定年の準備をする医師が労働時間を減らすのは、正当化されるであろう。
6月8日(木)朝から自宅(岡山市)に持って帰る洗濯物は車に載せた。仕事が終わってMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って洗濯物を入れたりすると、15分は高速に乗る時間が遅くなる。そうなると19時頃の一番混雑している時間帯に町中を抜けるので、帰宅するのに結局30分は余分に遅くなる。それが内服薬を自宅(岡山市)に持って帰るのを忘れたので、急いでMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に寄って、車にいれて自宅(岡山市)へ。岡山市内は雨。洗濯物が大量で乾かないのでコインランドリーに持っていってもらった。自分の奥さんに感謝である。それなら、こちらで月曜日の晩にMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)のそばのコインランドリーに入れたら良かったことになる。3日間の遠征のこともあり、多すぎる場合は今後そのようにしよう。
6月9日(金)ようやく、忙しさ、身体のしんどさがなくなってきた。
6月10日(土)午前中外来。疲れ。午後にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)で一寝入り。結局、仕事は紹介状書いたりの雑用のみ行った。
6月11日(日)疲れて14時まで寝た。その後、病院へ行き、院内発表の準備。慢性疲労。
発表の構想がまだうまく練られていない。本当は、日曜日で終わる予定だったが。
6月12日(月)この日は、外来数名。その後は各種の書類、16日(金)の発表の準備などバタバタした。19時からはバドミントン、最近は最初の1時間がコート3面で試合ができる。12名で試合ができるのは画期的。20時からは一面に減るので、急にできなくなる。それでも,結構、汗もかけて良い運動になる。しかし,20歳台の人達と、もう一緒にやり続ける体力が無い印象。段々、引いていこうかと。もう2時間ではなく、1時間半に自分は減らすか。それでも良いような印象。
6月13日(火)夜中まで発表の準備、必要なデータなどはだいぶそろった。情報が多すぎて困っている。
6月14日(水):夜中まで、発表の準備。全体像の中で必要な情報の収集。写真も少しださないと。そんなこんなでとにかく眠れないぐらいであった。
6月17日(木):3年ぶりに、地域の医師会の食事会も会議の後に開催されるらしいが、翌日の発表のスライドを完成させないと行けないので欠席した。なんとか夜中にはできた。
6月18日(金):院内研究会で、発表、自分は自分に16回コロナの検査をした。昼の外来が終わっても、さらにスライドの内容を縮小。簡素化した。疲れる。
なぜ回数が多くなったか。なぜ毎回陰性だったか?を分析して発表した。発表は17時半から。スライドが20枚になって6-7分かかってしまった。本当は5分。隔離期間にフライアングリングに行って大きなニジマスが釣れた写真を箸休めみたいに出した。聴衆には、その写真だけが印象に残ったような。
「記憶より記録」
6月19日(土):この日は、鳥取の高校生を朝から釣りに連れて行く予定が,木、金のゲリラ豪雨で川が増水。高校生が川で流されたのでは、大変なことになる。ヤフーニュースだけでは済まなくなるので、中止。9名も参加したいとのこと。釣り堀なみ。渓流の釣りを甘く考えているフシがあった。それで中止になった。しかし予定していた講師3名は、「源流は釣りになる」ことはわかっていたので、そちらに行った。これは、わたくし自身には非常に感慨深いものであった。足腰の弱りを再実感した。毎日歩かないから仕方がない(これは別記事に)。本当の藪漕ぎでした。
6月23日(金)午前中には外来、15時から脳ドック、さらに、夜は、久しぶりに本当の宴会をした。マスクなし。19時から始まって22時半すぎても、ドンチャンドンチャン,延々と治まることがない。バドバスの集まり。真庭には夜のアトラクションが全くない。映画館もないし、大きな本屋もない。簡単にノミに行ける店もない。行ったら最後、帰りのタクシーもない。自転車で行けるような場所にはどこにもない。自分にとっても、19時から21時までのバドミントンは本当に良い気晴らしであるが、参加する人達は、職員の友達の保育士さんの友達たちとか、職員が入っている消防団の仲間とかその友達とか、数年前に参加していて結婚して今は育休をとっている看護師さん達とか、訳がわからないぐらいだが、その人達も今回は結構参加していた。以前は、一回もバドバスの体育館に顔を出していないヒトも結構、来ていた。今回も誘われたからと、一回も実際に体育館に来ていない人も参加していた。店の主人に聞いてみると、この3年間で,まずまずの宴会ができる店がこの地域では4軒は閉店したらしい。コロナ禍で、バドミントン自体も1年近くは休止になっていたので、元に戻って感慨深いものがあった。また、楽しくできれば良い。
6月24日(土)午前中外来。午後は、思うところあって、近くの川にフライフィッシング。
18時前までやって、だいぶわかったことがあった。夜は自宅(岡山市)に帰った。
6月25日(日)久しぶりに、「街の生活」を楽しんだ。岡山市内の城下駐車場近辺には、新しい建物、お店が結構できていた。その後は15時にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。「街中の生活と自然の中のアウトドアライフ」が人生で楽しめるように算段をしていきたい。
6月26日(月)午前中、外来。最近は認知症での相談がものすごく増えている。前頭側頭型の70歳代のヒトが、他の人の家に上がり込んで、どうしたらよいか? など後は、いくつか、雑用を済ました。記憶に無い。定期処方を出した。
6月27日(火)朝から仕事。をして14時半から、休みを取って近くのR川へ、確かにどこでも17cmぐらいの昨年年末の稚魚放流のひれピンのきれいなアマゴが1匹釣れた。19時からは研修医の歓送迎会へ。10分遅れで間に合った。ぶっちゃけ、リニューアルしてこんなに都会的になっているとは思えなかった。それから病院に戻って、脳出血2回してからの急性の脳高次機能低下のヒトの書類を2,3時間かけてなんとか書いた。こんな書類を夜に書いても、「医師の時間外労働」の時間にははいっていない。令和6年、2024年4月からの医師の働き方改革の実行に向けて、話をしてみよう。
6月28日(水)朝から、回診、外来。他院から転院してきた。さらに朝一で、左に大きな慢性硬膜下血腫が来た。その手術の段取り。この日に、今の病院で自分が働いている内のミッションの一つが終了した。色々な理由で、超長期入院になっている患者さんがいる。自分がきて、5年半、自分が受け持ちになっていた。10年以上前から入院。家族が、毎回、毎回、「あの時は、こうでああで」と最初ににもどって、今までの経過について不平不満を訴える。受け持ちは、自分で4代目。それまでの医師については自分自身は直接知っている。責任を引き続き、全うすると言うこと。しかし、自分が今の病院をやめて、次の脳外科医師が派遣されてきたとき、おそらく前、元主治医達のことは一切知らないであろうし、責任を取るつもりもないであろう。自分の代の間に次に進んでもらうことが大事である。と言うことで、その患者さんが施設入所前提で転院していった。紹介状も6月25日の日曜日に2,3時間かけて書き上げた。ほんとに大変だったので、個人的には「責任は果たした」感情がわいてきた。なにか問題が生じても、転院先を支配下においた大病院の脳外科に相談したらよいであろう。もう、自分の役割のなかの一つは終えた。徐々に「卒業」の時期が来ている実感がある。
この日も副当直。あれもこれも22時まで頑張ってやった。17時には交通事故が来たので、それも診た。
6月29日(木)午前中、身障の面倒な書類をすました。13時からの手術の段取り、両側慢性硬膜下血腫なので、しかも研修医が入る。両側なら一人でやれば1時間半ですむところが、研修医と入ると結局2時間45分かかった。大変。こちらのストレスも上がる。16時前に病院を出発して、17時半の予約をしていた散髪に。片道75 kmを飛ばして行った。
まあ、研修医の先生にとっては「慢性硬膜下血腫が来たら穿頭はしてもらう」ということだったので、楽しかったかも。してもらう方は、気力、責任力、リカバリーする実力と手技力などが問われる。自分が教えなくても、次の世代がいれば教えてもらえるが、今の今は自分しか居ない。
6月30日(金)午前中の外来は、それほどでもなかった。術後の処置などあれもこれも。
いわゆる「弁当会」と呼ばれるお弁当付きの勉強会も、コロナが治まって減ってきた。学会も現地開催に戻ってきている。ばたつきそうな。
「仕事も持っているものも半分に」という気持ちはあっても、「断わらない以上、今までと同じことになる」のはわかりきっている。少しずつ、減らしていこう。断ろう。