私生活,雑感

2023年 5月 私生活

5月1(月),2日(火)は、連休の合間で働いた。ものすごく仕事が多い。記憶にない。

5月3日()憲法記念日 祝日。一日中、疲労で起き上がれなかった。なんとか夜中に病院に行き、医局で脳外科専門医の症例登録を少しだけ行った。ほんとは連休前にすまして、連休は遊びたかったが身体が言うことをきかなかった。
5月4日(木)自宅(岡山市)へ帰って、家族と食事に行った。それしか覚えていない。
5月5日(金)昼に病院へ。少しでも症例登録だが、ほんの少しだけ。17時半から副当直。
5月6日(朝から病棟で仕事、点滴指示も出して、週明けにむけて仕事ばかり。休みの間の仕事日。
5月7日()この日は同僚先輩とフライアングリング。これは別記事に。夜は他県のお寺に泊まっていた。宿坊なのでTVもない。温泉にも入り、穏やかな気持ちで早めにねていた。夜中に慢性硬膜下血腫の紹介有り、スマホでアクセスして画像をみてみると、非常に大きく、両側の慢性硬膜下血腫で水頭症にもなっている。少し慌てるので、他に送ってもらった。夕方は大雨。
5月8日(月)代休を取った。大雨の後。朝7時すぎには次の釣り場に。激流となって川に入れず。15時にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰還。夜になって、気力が戻ってなんとか脳外科の症例登録を病院へ行って10例ぐらいやった。夜に23時ぐらいまでやって、少し先が見えた。
5月9日(火曜日)8日にオペをしてもらった上記の患者さんが帰って来た。朝からさらに脳外科の症例登録をして、以外と2022年11月後半から12月に入院してき患者さんは、少ない。それはコロナのクラスターが発生し、入院自体が取れなかったため。なんとか昼には「脳外科の2022年入院患者全例登録」が終了。これで2024年からの脳外科専門医も更新できると決まった。他は点数は全部あるのでホッとした。3月末が締め切りが5月末に延びて本当に助かった。これであと5年間は脳外科専門医が更新できる。気持ちも晴れ晴れとして、働いていた。「一日一つは自分を褒める」ということを実践している。よく、耐えて登録しました。その後に、15分ぐらいして郵便物が医局に届いた。なんと産業医の更新手続きの通達。これは9月23日までに全部点数をとらないといけない。段取りをすこしだけした。単位が足りないので、一気に勝負をつけないといけない。病棟の患者さんも外来の患者さんも来てバタバタしている。あっという間にまた、暗い気分になってしまった。夜は副当直、他の市から脳梗塞患者が搬送されて来て、入院。その隣の小さな市には,夜は脳外科がいない。MRIも撮れないのでこちらにくるのは当たり前。いつものように23時過ぎまで仕事してMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰還。

5月10日(水)外来の時間。17時前に80歳台後半の夫婦を連れて来て、「これから認知症の検査をしてほしい」と来院、「仕事が済んでから連れてくるので、この時間しかこれない」とのこと。こちらの仕事が済む時間が遅くなる。放射線技師、リハビリ、看護師、事務など皆が遅くなることの事実は、連れてきた家人には全く頭に無い。今日できるとこまでしましょうとなんとか、できることだけやって帰ってもらった。皆、そんなもん。自分が大変な時には、「全く知らない他の人の事情」まで考える余裕は全くない。そもそも全く他人のことなど考えて生活しているヒトは見たことがない。

5月11日(木)介護保険主治医意見書が5名分貯まっている。ほぼ初回。とにかく、今日は自宅(岡山市)に帰らずに全部済まそうと思っていたら、11時前に高齢者のくも膜下出血がきて、とにかく手術はしないと主張。家人の説得もむなしく当院に入院。そこまでに、その患者さんに正味4時間も時間を取られて、自分の予定は全部、パァーになった。自分の通常の仕事は全くできず。そこから増悪しても、こちらに責任を追求されても困ることなど、説明した。逆に17時半まで書類を書けるだけ書いて、その後で、その患者さんが来たら、時間外が4時間分発生するので、結構な金額にはなっていただろう。通常の時間の後に、夜に書類を23時までかかって書いても「時間外手当、残業手当」は一銭もでないのが,日本のシステムなので、夜中に書くことはしなくなってきた。「誰も認めてくれず、なんとも思われない仕事をしますか?。それは仕事ですか?」と言うことになる。そうなると書類はドンドン貯まることになる。遅れに遅れるであろう。それは働き方改革に反する印象。

5月13日(金) 製薬会社から電話、6月10日(日)に仙台で研究会があるから土日を開けておいてほしい。参加してほしいとのこと。土日の日直当直、土曜日の外来などを含め、すでに6月、7月は外来日を移動したり、計画を済ましたところである。前日の土曜日の外来もすでに20名以上は予約が入っている。それを全部移動させると言うことは、別の土曜日をつぶすことになるが、後日にずらせば、内服薬が足らない。3日(土)には外来ができない。どうするのか? その日曜日までつぶすと、今週終末から6月10日まで、日曜日は全部予定が入ることになる。全く自分のためにならず仕事もたまる。ヒマでヒマでたまらないという状態なら良い。今の病院で入院患者受け持ち患者数が一人の医師当たり、内科、整形外科などを抜いて、脳外科常勤一人の自分が一番多い。外来患者も病院の歴史上、脳外科医師一人当たりで一番増えている状態で、やりくりした後でそのような電話をもらって、しばらく、怒りの気持ちを抑えるのに時間がかかった。金曜日の外来は、朝9時から13時44分までノンストップで4時間44分しゃべりまくった。ヘロヘロになったところで、その電話があったような。Anger Managementを習得したら解決するような問題ではない。そのために、また来週、説明に来たいとの電話であった。「○鹿なことも、休み、休み、言うものである」という印象。自宅(岡山市)に帰る日時もずらして仕事に対応しているの現実がある。多くの人達の首尾一般しているのは、「他人の都合より、自分の都合、自分の実績」ということであろう。

5月13日() 外来患者を全部診療したあとで、「脳神経外科 武田君」という話を聞いて、ネットで漫画をみて、非常にリアルで興味深かった。赤穂市民病院は以前は京大系列だと思っていたが、滋賀医大になったのか。なんか「研修病院の資格も脳外科学会から正式に取り上げられている」という記事もあり、残酷な話とおもった。赤穂中央病院で働いている元後輩の先生も迷惑を被った印象。大阪の病院で働いていたとき、「下には下がある」とよく聞いたが、ここまで「下のレベル」の話では、「下であるほど、俺はできる」と思い込むヒトが多いという実態を感じさせる話であった。「上手なヒトの手術は、はたから見ていたら簡単そうにみえる」という特徴がある。羽生ユズル選手なら3回転ジャンプなど、なにげに飛んでいるようにみえる。努力をしていないヒトに限って、自分もできそうと思うのは大間違い。地道な努力、練習、勉強がヒトから評価されるまでには、相当の時間と苦労が必要である。その努力をしていないヒト、それがわからないヒトはだめ。わかっていない当の本人は「あまり,実力差、技術力に差はない」と解釈している。新人さん、入門者さん達と話をしているとそんなもんとわかる。
宮本武蔵の五輪の書の「鍛錬の鍛は1000回、鍛錬の錬は1万回同じことをすることを意味する」という文章が記憶に残っている。見たことがあるだけで手術をするなど最低の術者のレベルにも達していない。若い時から、脳外科は宮大工のようなもの。一つ間違えばその寺院、建物はすべて瓦解すると習ってきた自分としては、別の宇宙からきた生き物のような脳外科医のお話であった。

5月14日()医療事故報告書を5時間かけて書いた。14時から23時まで働いた。これは時間外が全く発生しない。しんどかったが、達成感はあった。

5月15日(月)この日はバドミントン。今までになく大勢の参加者で驚いた。合計16?15?名も参加。19時から20時までは全体を借りたので、大勢ができてほんとに良かった。
夜、身体も動かして、のんびりして、芋けんぴを食べていた。なにか、ものすごく硬いものが入っている。なにかなと思っていると、なんと自分の歯が欠けていていた。上のアマルガムが外れて、前からみたら全く普通だが、内側の2/3が崩落していた。これを「老化」というのであろう。「仕事半減計画」を急がないと。自分の健康、環境を整えないと。

5月16日(火)朝、頑張って、コロナ禍で合計15回?の検査を自分にしたが、全部(-)だったことに関して、まとめてみた。院内での発表に使う様にまとめた。
たまっていた仕事がだいぶ、できた。気持ち的には楽になった。
そのために、部屋の掃除、冬物を片付けるなどはできなかった。
5月17日(水)
5月18日(木)自宅(岡山市)に帰って、休憩。
5月19日(金)この日は、コロナ禍が治まってからの久しぶりの医師の歓迎会があった。
自分は、大量の仕事と翌日の朝からの用時があり、当日朝ドタキャンとなった。今までに、有志だけの歓迎会、要はトップ達が出席していてコロナに感染したりすれば、オオヤケの問題になるので、こじんまりとした内々の歓迎会には自分が出席して乾杯の音頭、挨拶もしていた。自分の役割は果たしていたので、自分は今回は休ませてもらった。もう少し、自分を大事にしても良いかも。

5月20日()朝から鳥取の谷でイワナ釣り。雨の翌日、まだ少し降っていたので、オーバージャケットを着て釣りをした。それにクリップオンの偏光グラスがひっかかって、いつの間にやらなくなっていた。帰り際に1年間使って無かったロッドが、フェルールの場所で抜けなくなってしまった。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰ってミツロウをジョイント部に塗っておいた。少しは滑りがよくなるか?。当日夜はキャンプというか古民家で宴会。楽しかった。山小屋、いろりのまわりで飲むのは楽しい。これは、2016年から参加しているが、なんといっても、今の県北の病院に来る直前の9月25,26日に自分は初めて参加。無料だったキャンプ場が、コロナの影響で、キャンプブームになると、一晩貸し切りで10万円に変わってそこを撤退したりで、時代の変化につれて変わっている。今回は、イノシシの粗挽きミンチのハンバーグがおいしかった。日野町の地域支援協力隊のヒトが作ってきてくれた。まあ、ひょっとすると今年で終了の可能性がある。最後になるかもと思い、万難を排して参加した。達成感があった。自分の県北での病院勤務と重なっており、感慨深い。自分はいくつものことを達成した。
5月21日()朝10時には山小屋を撤退。MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰って一寝入り。それからまた病院へ行き、書類など書いた。だいぶ仕事は済んだ。イライラしていた気分はだいぶ消えた。

5月27日()外来が、受診した患者さんが予約だけだったので12時半には終了。普通は、前日に頭を打ったとか、別のところからの紹介状を持って受診などで5名は多めに来る。書類の依頼が2件あり。一週間の疲れがでた。14時にはMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に帰り、横になったら,すぐにねてしまった。
5月28日()朝から日直、副当直。久しぶりにアキレス腱断裂が来た。コロナが終わってスポーツも皆、再開しているのだろう。さらに夜には膝関節内血腫の中学生が来た。コロナ禍ではなかった印象。帰る前には脳出血が救急搬送されてきた。22時で終了。その間に主治医意見書、交通事故の書類、脳ドックの所見と少しでも、記載した。
7月から、平日の副当直の17時半から22時までを院外呼び出しに変更すると4.5時間×4回でヒト月に18時間は自分の時間が取れる。その間に,書類が書ける。
結局朝8時半から22時まで延延と働いた。もう、良いな。

5月29日(月)外来、夜は薬の勉強会、19時からだったので、ダブルブッキングになった。そもそも17時半から別の勉強会が入っている。そこに、さらに入れてくれと製薬会社のヒトのリクエスト。簡単にいいですよと言ったものの、19時からはバドミントンが入っていた。目白押し。退院1名。まあ、今後は「月曜日の勉強会の主催は受けないこと」。仕事を半分に減らそうキャンペーンの一貫。
平年は6月8日が中国地方の梅雨入り。今年は,早いかも。
→結局 5月29日に梅雨入りした。
5月30日(火)なんとか頑張って、16時過ぎには歯医者へ。18時10分から開始。20時10分までかかった。2時間、口を開けていた。こういうところで「老化」を感じる。早くなおさないと、また次の歯が欠ける。夜はヤクルトY1000を飲んで寝た。確かによく寝られた。
5月31日(水)朝6時半に起きて、自宅(岡山市)からMBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)に。5月も終わり。この日は17時前に外来が終わって,驚いた。自分で仕事を減らそうとすれば、自然に減るのか?? 帰ってすぐに一度寝た。まだ、MBC(真庭ベースキャンプ:アパートの別称)内の大掃除が残っている。なんか印象としては、目の前にあるもの全部、考えなしに捨てても、全く困らないような印象。最近、気がついたがキッチンなどを洗うためのスポンジも汚くなるので古いものはすてて、新しいものに変えていかないといけない。増えて置き場所に困るのは医学雑誌である。それと趣味の雑誌。

どんどん捨てていこう。まず、困らないであろう。

   

 

 

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