医療関係

久しぶりに東京に研究会で出張

途中の景色

コロナも、第7波も少しピークアウトした9月10日()。この日でも全国では5万人には余裕で超えていたと思う。東京で「研究会?、発売1年記念会?」があるので来てほしいとのこと。自分はwebで十分と渋っていた。それが岡山県からは2名のみとのことで、渋々?行くことにした。
前日から、会場で着るスーツの上は問題なかった。下のスラックスはお腹が出て入らなかったので、ハルヤマで似た色調のスラックスを2本事前に購入していたのでそれをサムソナイトにいれた。ネクタイも当日の内服薬も髭剃りその他も全部入れた。
時間があるかどうか。
もともとは、外来日の土曜日に出張になった。もともと17名も患者さんの予約があったのを、3日と17日に移動してもらった。後になって17日(土)は自分が濃厚接触者扱いで休みになったのでさらに移動させた。
当日10時までに3名のみ、一月に一回の注射を打つヒトだけを診察して、病棟の術後患者さんの抜糸もした。10時過ぎには病院から出発。11時半には空港に到着。空港の駐車場まで45 km もある。そこで空腹でもあったのでラーメンを急いで食べた。

12時25分の飛行機に乗って、プレミアクラスだったので席は一番前の通路側であった。東京行きなので、すぐにお弁当が出た。


ラーメン食べた直後だったが、なんとかして全部食べた。
自分は飛行機のチケットを取ってもらっていたが、まさかそんな席とはおもっていなかった。CAの女性に「○○様(自分の名前)いつも御搭乗ありがとうございます」と言われたが、この2年以上飛行機は乗ってない。適当な挨拶なのであろう。

すぐに羽田について、タクシーで会場のホテルへ。なんと港区の町中のホテルまでも21 kmしかない。都会はぎゅうぎゅう詰めと言う感じ。田舎の、自分の病院から空港までの45 kmの山越えの道のりとだいぶ違う。なんとかホテルについて、疲れていたので一寝入りした。17時から会。20分前に目がさめて着替えて会場へ。田舎から来たひとはあまりいない感じ。
しかも、米国からの講演者は日本がコロナ大流行中の国なので、ビデオで講演に変更されていたなどと、なんかわざわざ東京まで行った意味があまりない。ウェブで十分では無かったのか?

驚いたのが、立食パーティーは中止になったと聞いていたのにすごい形式で行われた。
これはコロナ禍ならではであった。まずはアナウンサーの説明:乾杯の音頭などはなし。各テーブルの下に立つ位置をしめす表示がある。立食だが取りに行く方向はアクリルで通路ができて一方通行。撮るときに手袋をつけて取るための自動手袋装着装置が入り口にある。


食事もそれぞれ、小皿に入っていた。

そこは黙食エリア。隣のヒトとも会話はしないでくださいとのこと。
隣の部屋の大きな透明なアクリル板がある部屋があり、そこが歓談室。立食なので、アクリル板も大人の背丈ぐらいある。そこでは飲食禁止。二つの部屋に分かれていた。驚いた。
コロナ禍の立食パーティーの究極の形を見せていただいた。よく頑張られたと感心しました。その後は、自室に戻って、次はホテル内の夜の公演に散歩。
夜の庭園。なんかライトアップはあまりなく、怖い感じ。


翌朝は、久しぶりのホテルの朝食。


なんかシェラトン都ホテルもあっさりした感じ。オムレツに何をいれるか☑するのはいちいち口でオーダーしなくて良いので楽であった。

せっかくなので、港区白金台のプラチナ通りを歩いてみた。
それほどおしゃれでたまらないという感じではない。


写真博物館を見学。


後は、高速道路を使って空港へ。

プレミアクラスのラウンジで一番搾りを飲む。

機内で、夕食が又出た。

旅の終わりものんびりできた。

久しぶりの東京出張。
気晴らしにはなったが、学問的にはあまり得るところはなかったかも。

 

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